法蔵飛魂

@海野元治様。船井肇氏の同期生のご照会について、とりあえず現時点で分かった範囲内でご返信申し上げます。舞鶴の海軍機関学校は、昭和十七年に将校制度が改正され、さらに昭和十九年十月に廃止され、海軍兵学校舞鶴分校となった経緯があり、機関学校の名称は横須賀に既設されていた海軍工機学校が改称されて引き継がれたという複雑な歴史があり、同窓会名簿それ自体が不完全なままの状態で現在に至っております。そうした不完全な名簿に当たった限りでは、船井肇氏の氏名は見出すことができませんでした。これは、前述のような事情によるものと思われますが、先ほど、東京大手町のご本人の事務所に電話で確認したところ、入学を辞退したらしいとの秘書の方の話をうかがうことができました。海軍機関学校同窓会世話人・伊藤倉之助@
 これで三人とも卒業していないことが明らかになった。海軍三校にいなかったとすれば、一兵卒として召集されているはずである。しかし、難関を突破して卒業後は将校になることが約束されていることを蹴って、待遇の悪い一兵卒として従軍することはありえない。

 十二時になって、階下の印刷機のモーターが停止した。事務所は嘘のように静かになった。振動もなくなって、別の場所にいるような違和感がある。
 窓を叩く雨音がかすかに聞こえてくる。耳の奥に自らの血流が聞こえる。
 
 そこに、携帯電話の着信音が鳴った。
 かなりかすれた関西なまりの老人の甲高い声だった。坂本茂と名乗った。
 土岐は着信履歴から坂本茂の自宅の固定電話の電話番号を登録した。

 土岐は調査報告書の提出を一日早めることにした。廣川弘毅の戦中の行状を調べるために京都に行き、坂本茂に会うために大阪に行くには調査の継続が必要になる。カネがない。
 佐藤加奈子に電話をかけ、午後五時すぎに自宅を訪問することを連絡した。
 電話を切ると、パソコンの文書ソフトを立ち上げて、事前調査報告書を打ち始めた。報告書の末尾に、調査日誌と請求書を添付し、ホチキスで閉じて、クリアファイルに挟んだ。同時に、日付入りの未署名の事前調査費用の領収書と本調査の着手金の領収書も用意した。書類が整ったところで、階下の印刷機が動き始めた。午後一時になったようだ。
 土岐は傘を持って、有価証券図書館に向かうことにした。