加奈子の家は角から二軒目だった。駅の方角にゆるやかな坂を下って行き、最初の曲がり角を右折した。そのあたりは敷地の広い高級住宅が立ち並んでいる。次の曲がり角で、再び右折した。道路には黄ばんだ落葉樹の葉が散らばっている。もう一度右折すると、加奈子の家の前の通りに出た。その通りが、高級住宅街のブロックと中級住宅街のブロックの境界になっていた。
 土岐はブロックを一回りして、加奈子の家の右隣りのアイボリーのインターフォンのボタンを押した。埋め込みの白い表札に漆黒の象嵌で、〈黒田〉とあった。
 訪問者の様子を伺うような少し舌足らずな若やいだ雰囲気を漂わせる声がした。三十代後半に見える女が玄関のドアからなま白い顔をまぶしそうに出した。首が長い。
 女と土岐の間には二、三メートルほどの距離しかない。
 格子の木調の門扉越しに土岐は深々と会釈した。
 女は意を決したように玄関から出てきた。土岐から一メートルほどのところにたたずんだ。薄いベージュのパンツに淡い色調の草花のプリントのチュニックで、胸の前で軽く白い腕を組んでいる。指が腕に軽く食い込んでいる。
 土岐の背後には秋の北の空が明るく広がっていた。まぶしくないはずだが、女は眼をしかめている。眉間に縦じわが走っている。
 土岐は名刺を手渡した。
 女は土岐の名刺を物珍しそうに、少し首を突き出して、覗き込むようにして見る。小鼻の脇の黒いほくろに手をやりながら、興味深げに見入っている。
 土岐はポケットから手帳を取り出した。表札の〈黒田〉をメモした。
 女は少し口を開けて、白痴的に意図的に大きく眼を見開いている。薄いファンデーションの下にジグソーパズルのピースのようなしみがいくつか見える。
 土岐は問う。
「お隣のことで、・・・何か気づかれたことはありませんか?」
「運転手の人が車の中で待っていたら、亡くなられたご主人が大声で怒鳴っていました」
 女の足元に眼を落とすと、ゴールドのヒールの低いミュールから素足が見えている。内側にそり気味の親指に綺羅入りのピンクのペディキュアが塗られている。
 女はおちょぼ口でまだ何かしゃべりたそうだった。薄い上唇で厚い下唇を噛んでいる。話の穂が見つからない風情だった。
 土岐は深々と頭を下げた。玄関の前を辞した。すぐ片側一車線の通りを渡り、向かい側の家の前を十メートルほど進んだ。