吉野の話を聞きながら、土岐は碁盤にシステム手帳を広げて、〈キャノン機関、M資金、隠退蔵物資〉とメモした。吉野の話が続く。
「商法改正以後、特に平成九年の第二次改正以降、月刊だった開示情報を季刊に縮小し、社歌ビジネスを始めた。株付けはしなかったから総会屋の範疇には入ってこなかった。後任にはそのことを伝えて警察手帳を返還したが、海野もそのうちの一人ではあったが、あいつはどうも腰が定まっていないようで、昔っからブレの激しい男だった」
 土岐は小刻みにうなずきながら聞き、話題を海野から開示情報に戻した。
「最後まで広告主として残った数社は廣川弘毅とどういう関係なんですか?」
「・・・それは知らん。定年退職後の話だ」
 隣の対局が終った。国防色の工員服を着た対局者が白と黒の目を数えている。白が勝った。工員服の勝った方が吉野に声をかけた。
 土岐は席を立った。午後一時を過ぎていた。土岐が階段に向かいかけたとき、土岐の横っ腹に吉野から声が掛った。
「記憶に鮮明に残っている事案がある。インサイダー疑惑の事案に廣川弘毅が絡んでいた可能性があった。神州塗料という当時大阪が本社だった東証一部上場企業が棚卸で粉飾決算をした疑いを総会ででっち上げた野党総会屋がいて、紛糾の揚句、後日臨時総会を開催することになって、その間、空売りで神州塗料の株価が暴落し、数億円の金が動いた。棚卸の粉飾の情報がどこから漏れたか。どうも、吹田工場の工場長らしいということがつかめた。総会直前に工場長と飲食していたのが、廣川弘毅だ」
「それで、その工場長というのは、なんという人ですか?」
「坂本茂。そいつについては、玉井要蔵の方が詳しい。とっくに定年退職している筈だが」
 土岐はシステム手帳に、〈神州塗料・吹田工場長・坂本茂/玉井要蔵元刑事〉とメモし、吉野の丸い背中に礼を言って、保木間町会会館の碁会所を後にした。

 土岐は竹ノ塚から東武伊勢崎線の北千住で千代田線に乗り換えて、大手町で降りた。地上に出て逓信ビルの近所で、雑居ビルを探した。