法蔵飛魂

 土岐は糸魚川の民宿〈美山〉から一の宮神社に向かった夕暮れのことを思い出していた。〈禰宜の高野は法蔵寺の係累だった〉と若い宮司は語っていたが、貞子の話が真実であるとすれば、高野と志茂法子が親戚で、その時の法蔵寺の住職は捨て子とされた三田法蔵の実の父親だったことになる。
 戦時中、高野が長田家の口減らしのために、小学生の長田賢治を法蔵寺の小僧として連れて行ったのは親戚の志茂法子に会って、ついでに三田法蔵の様子を見るためだったのか。冬の雪深い敦賀の駅から法蔵寺に向かう高野と長田賢治の二人連れが、寒風吹きすさぶ月明かりの中に影絵のように浮かび上がるイメージが土岐の頭の中に描かれた。
「あなたのお母さんが、三重県の善導寺まで行って、法蔵さんの骨壷を受け取ったのはどうしてです」
「・・・だって、母にしてみれば、叔父だから、あたりまえじゃないですか?」
「でも、今から四十年ぐらいまえだから、なくなってから随分、時間がたってますよね」
「・・・なんで、戦後すぐ、受け取りに行かなかったか、ということね」
「そうです」
「・・・知らなかったからみたい。戦後、落ち着いてから、善導寺から法蔵寺に法雄さんのお骨をとりにくるようにという連絡があったらしいんですけど、どうも、その連絡を受けた大黒さん、・・・先々代の住職の奥さんが、そのことを握りつぶしたみたいで、・・・廣川さんが、『法雄さんは特攻で死んだ』と吹聴していたんで、骨なんかないだろうと祖母も思っていたみたいです」
「それがどうして分ったんですか?」
「・・・母が、四十年前に叔父の供養に香良洲に行ったんです。三重海軍航空隊の記念館の館長さんから法雄さんが特攻死ではなくて、事故死だと聞いて、骨壷が善導寺に預けられたと聞いて、善導寺を訪ねたんです」
「そうしたら、骨壺がまだあったということですか・・・」
「・・・それで、母は今の住職の先代の住職のとき、志茂家の墓に納骨しようとしたんですが、先代の住職に断られて、今は無縁仏として供養されているそうです。母の話では、先代の住職は法雄さんと同世代で、先々代の住職と中学の成績をよく比較されて、家庭教師もいて、時間もたんまりあるのに出来が悪いと叱られて、法雄さんに相当嫉妬していたそうです」
「あなたのお母さんは法蔵寺に墓参りには行かなかったんですか?」