物資の所在を知らされていた。燃料、軽金属、銅、コメ、みそ、しょうゆ、いろいろあったが、少人数でも横領可能なダイヤモンドや貴金属や骨董品に目を付けた。それらを隠匿物資とは明かさずにさばくために、久邇政道が久邇商会を設立した。隠匿物資は昭和十九年三月に海軍に接収された慶応義塾の日吉校舎の裏手のマムシダニの地下壕に隠されていた。終戦間際のどさくさに、巨額の隠匿物資を横領し、自分たちの力で戦後の日本の経済社会を立てなおそうと計画を立て、この計画に廣川と三田法蔵を引きいれようとした。廣川は応諾し、三田法蔵の説得を任されたが、三田法蔵は拒否した。三田法蔵は、長瀬啓志に、『隠匿物資は天皇陛下の赤子たる国民全員にひとしく配分されるべきものだ』と言ったようだ。これに対して、それを聞いた馬田は、のちに長瀬啓志に、『国民全員で分配したら、復興の原資になりようがない』と主張し、仲間の数人で分けることを正当化した。『一億円を一億人で分配すれば、一人あたりたった一円にしかならない。しかし、この一億円をただ一人の経営者に託せば、企業を興し、やがて数千人、数万人の雇用を生み出し、それが数千万人に波及し、いずれは数兆円の所得を生み出す』と仲間に説いた。この話は、馬田の自伝に出てくる。もっとも、隠匿物資を横領したとは書いてはいないが・・・。長瀬啓志に依頼された三田法蔵の説得に失敗した廣川は三田法蔵の抹殺を画策する。理由は三つあった。ひとつは、二重スパイであることを知られていること。二つ目は隠匿物資の横領計画を知られてしまったこと。三つ目は、一目ぼれした平井圭子が三田法蔵を愛していたこと。二重スパイであることがばれれば、廣川は中野学校の連中に粛清される。廣川はどうしても三田法蔵を抹殺する必要があった。そこで長瀬啓志たちに、秘密を知っていて共謀に参加しない三田法蔵の抹殺を依頼した。海軍の諜報機関は秘密保持のため、長瀬啓志を教官として三重海軍航空隊に赴任させた。そこで事故を装って三田法蔵を終戦の前日に殺害した。死亡の状況に疑念を抱いた上官もいたようだが、終戦の混乱でうやむやになった。それから、長瀬、船井、馬田、廣川らの海軍隠匿物資の横領が行われた。久邇政道は久邇商会を通してそれらをさばいた。長瀬は終戦の日、香良洲にいたので、横領の実行部隊は船井、馬田、廣川の三人だった。遅れて駆け付けた長瀬は骨董的な隠匿物資


