法蔵飛魂

「・・・これは、仄聞だが、コメントがあればコメントしてもらいたい。多少おれの推理と脚色も混ざっている。まず廣川弘毅は陸軍中野学校の出身だ。これは証拠も証言もある。戦時中、アメリカの牧師と和平工作をしていた京都の清和家に書生としてもぐりこみ、本土徹底抗戦を考えている陸軍の方針に従って、和平工作の妨害を画策していた。ここまではよくある話だ。吉田茂と中野学校出身のスパイの話は有名だ。こうした類の戦中秘話はごろごろ転がっている。ここからが、どこまでが本当で嘘で単なる噂なのか分からないが、廣川弘毅が二重スパイだったということだ。最初は陸軍のスパイとして養成されたが後に海軍のスパイにもなった。というか、海軍のスパイに協力するようになった。海軍は陸軍中野学校に対抗して、久邇政道少佐をトップに据えて、同じような秘密諜報員養成組織を作った。太平洋戦争に突入してからの話だ。それまでは、表向きはスパイは武士道に反するとか、大和魂にそぐわないとかいう理由でそうした本格的な諜報機関は造らなかったが、太平洋戦争に突入するに至ってきれいごとを言えなくなった。そこで、長瀬啓志が海軍経理学校から、船井肇が海軍機関学校から、馬田重史が海軍兵学校から、それぞれ引き抜かれた。他にも何人かいたようだが、戦死したか物故している。海軍の戦略は早期和平工作にあった。もともと海軍は山本五十六を筆頭に日米開戦に反対だった。傷が深くならないうちに和平を結び、戦後の復興にかけるというのが海軍の方針だった。そこで日米和平工作を民間レベルで画策している京都の清和家と東京の久邇家を支援した。両家の間で重要な役割を果たしていたのが、廣川弘毅だった。そのうち、海軍は廣川を長瀬、船井、馬田を補佐するスパイとして利用することを考えた。ただ廣川が中野学校出身であることを知っていたので、裏切らないように目付を置く必要があった。そこで、当時、家庭教師として清和家に出入りしていた三田法蔵に廣川の監視を依頼した。このとき三田法蔵に会って直接依頼の話をしたのが長瀬啓志だ。そのとき長瀬は交換条件として、難関の甲種飛行予備練習生への応募を考えていた三田法蔵に合格を確約した。三田法蔵は廣川が二重スパイであることを見破った。昭和十九年に入って、日本の敗戦は決定的になった。長瀬と船井と馬田は敗戦後の身の振り方を考えた。幸い、諜報活動の資金として、海軍の隠匿