「・・・圭子さんが自殺したことが頭のどこかにあったのかも知れない。彼女は法さんを愛していた。わしもそうだった。戦後、小ガネをためて法蔵寺に行った時にはすでに、廣川と結婚したあとだった。それに、戦後間もなく、誰からか噂を聞いて、上野で露天商をしていた廣川に会いに行ったことがあったが、けんもほろろだった。もともと智恩寺にいたとき、ちらりと見た程度の間柄だったが、廣川には打ち解けようという姿勢が全く見られなかった。何人かで一緒に酒を飲んだ時、岩波の文庫を持っていたので、文学好きだと思って、郷里の相馬御風の話をちょっとしてやったことがあった。そのとき、なんとなくそりの合わない奴だとは感じていた。むしろ、わしを避けようとしているようにも見えた。法蔵寺の先代の住職の法事のときでもそうだった。殆ど口をきくことがなかった。そうしたわだかまりは、なくなっていなかった。愛子をなんとかしようという思いは、それとなく伝わってくることもあったが、わしに対しては、赤の他人でいたかったようだ」
「最近になって、廣川弘毅が塔頭哲人の『学僧兵』を読んでいたらしいんですが、どうしてですか?」
「・・・わしが教えたんだ。あの小説ではわしと法さんがモデルになっている。舘鉄人とは智恩寺にいたころ知り合った。妙にウマがあった。小説では、わしと法さんの関係が実際以上に濃密に描かれている。実際はわしのほうが一方的に法さんを崇拝していたんで、法さんはわしに対しては、弟弟子という思い以上のものではなかったと思う。九月初めに廣川に連絡したら、わしのことをよく覚えていなかったようなので、『戦後、智恩寺と上野駅であんたとちょっと顔を合わせたことがある』『ずいぶん前のことだが、法蔵寺の先代の住職の法事でも挨拶をしたことがある』と言ってもほんとうに、思い出さないようなので、『舘鉄人の『学僧兵』という小説を読んだことがあるか』と聞いたら、にべもなく、『そんなもの、読んでない』と吐き捨てるように言うので、『わしと三田法蔵さんがその小説のモデルになっている』と伝えた。顔を合わせたとき、廣川はわしのことを多少覚えていたようだった。舘鉄人の小説については、愛子が実の娘であれば、ひょっとしたらわしと親戚になるかも知れないと思って読んだんじゃないか」
「最近になって、廣川弘毅が塔頭哲人の『学僧兵』を読んでいたらしいんですが、どうしてですか?」
「・・・わしが教えたんだ。あの小説ではわしと法さんがモデルになっている。舘鉄人とは智恩寺にいたころ知り合った。妙にウマがあった。小説では、わしと法さんの関係が実際以上に濃密に描かれている。実際はわしのほうが一方的に法さんを崇拝していたんで、法さんはわしに対しては、弟弟子という思い以上のものではなかったと思う。九月初めに廣川に連絡したら、わしのことをよく覚えていなかったようなので、『戦後、智恩寺と上野駅であんたとちょっと顔を合わせたことがある』『ずいぶん前のことだが、法蔵寺の先代の住職の法事でも挨拶をしたことがある』と言ってもほんとうに、思い出さないようなので、『舘鉄人の『学僧兵』という小説を読んだことがあるか』と聞いたら、にべもなく、『そんなもの、読んでない』と吐き捨てるように言うので、『わしと三田法蔵さんがその小説のモデルになっている』と伝えた。顔を合わせたとき、廣川はわしのことを多少覚えていたようだった。舘鉄人の小説については、愛子が実の娘であれば、ひょっとしたらわしと親戚になるかも知れないと思って読んだんじゃないか」


