法蔵飛魂

 長田の咳払いのやむのを待って、土岐は質問した。
「三田法蔵さんが特攻死ではなく、事故死だと知ったのはいつですか?」
「・・・数年前のことだ。廣川弘毅が戦後すぐ、圭子さんに会いに来た時に、法蔵寺の住職に、『三田法蔵さんは特攻死した』と伝えたので、最近までてっきりそう思っていた。全く疑問を持たなかった。しかし、香良洲だけでなく昭和二十年八月当時、昭和十九年に志願した予備学生に与える特攻用の飛行機はなかったということを誰かから聞いて、疑問に思い始めた。この八月に香良洲に行ったのは、それを確認するためだった。昼前から夕方までそこにいた。そこで会報誌に法さんへの追悼文を書いている長瀬啓志の存在を知った。法さんの事故死とその直前の長瀬啓志の赴任に違和感を抱いた。それに長瀬啓志が寄贈した軍刀は骨董品だった。名簿で長瀬啓志の住所を調べた。東京の知り合いの骨董商にお願いして、長瀬啓志の家に出入りしている業者がいないかどうか尋ねたら、長瀬啓志は骨董好きで、五十年来の付き合いのある骨董商が居た。長瀬啓志は骨董好きというか、戦後、その骨董商にかなりの貴金属を売却したそうだ。中には国宝級のものもあったそうで、その骨董商は、もう時効だからと、教えてくれたが、戦後、長瀬啓志が骨董商に売りに来たものは、海軍の隠匿物資らしい。あのころは、すべてが乱れていたから、ほとんどの人間にモラルなどなかった。長瀬啓志もヒロポンをやっていたそうだ。しかし話はそこまでで、法さんと長瀬啓志の関係はつかめなかった。長瀬の大手町の事務所に電話して本人に聞いてみたが、三田法蔵なぞ知らないと言う。だがそれはありえない。やつは、戦後、会報誌に法さんへの追悼文を寄稿している。直接面会して聞こうかとも思ったが、その直前に、廣川弘毅の転落事故があって、仁美の部屋にほとぼりのさめるまで隠まってもらうことにした」
 長田賢治の話の区切りを待って、土岐は質問した。
「あの日、廣川弘毅とは茅場町駅で何をしていたんですか?」
 聞こえている筈だが、その質問には長田は答えない。