「・・・法さんはわしの兄弟子だった。わしは小学校六年の正月に糸魚川から敦賀の法蔵寺に小僧に出されて、筆舌に尽くしがたい困窮の中学生生活を法さんとともに過ごした。和尚は修行に厳しかった。毎朝の勤行、浄土三部経の暗唱、境内や本堂の掃除、朝食と夕食の準備、買い物、葬式、法事、風呂焚き、写経、中学校の予習と復習、自分の時間などまったくなかった。中学の五年間を一枚の学生服と二揃いの下着で過ごした。靴下も下着も制服もつぎ当てだらけで、河原乞食のようだった。学校行事で街中に映画を見に行くときも、カネがないので体調不良と嘘をついて早引けした。弁当は日の丸弁当だった。あまりに恥ずかしいので、級友に見られないように手で隠して食べた。靴は寺の長男のお下がりで、貰ったばかりのときはだぶだぶだった。靴底は穴だらけで、中に段ボールを敷いて学校に通った。体操着も一着しかなかったから体操の授業が連日あるときは洗った後、庫裡のかまどの煙突に巻きつけて乾かした。冬の寒さは夏の暑さ以上に堪えた。便所に置いてあった北国新聞を下着と体の間に挟んで、一晩中震えながら体を温めた。和尚は酒飲みで、冬の豪雪の夜に、よく酒屋に使いにやらされた。日本陸軍が八甲田山中で雪中行軍で遭難したことに思いをいたしながら、『法さん、雪の中で遭難死するというのはこういうことなのかなあ』と法さんと語り合ったもんだ。法事に檀家回りをすると、法さんと二人で行くと、法蔵寺へのお布施とは別に、小遣いをくれる家がよくあった。そのまま持って帰ると大黒さんに取り上げられるので、法さんと二人で、隣の神社の本殿の下の石組みの脇に隠して、貯めておいたことがあった。法さんは捨て子で、実家はなかったので、わしがいつか糸魚川に帰るときの汽車賃にしようと協力してくれていた。しかし、もう少しで往復の汽車賃がたまりかけたとき、このカネが大黒さんに見つかって、全額没収され、その上、寺のカネをくすねたという身に覚えのない嫌疑をかけられてお仕置きを受けた。このとき、法さんがすべての罪をかぶってくれたので、わしへのお仕置きは軽くて済んだ。わしも法さんも何かにつけて大黒さんのいじめにあった。いじめの理由は、大黒さんの息子たちより、わしと法さんの学校の成績が良かったことだ。それに檀家衆の評判もわしたちの方が良かった。時間にもカネにも家庭教師にも恵まれていた息子たちよりも、わした


