法蔵飛魂

 翌朝、激しい二日酔いと喉の渇きで目が覚めた。午前九時だった。どうやって、自宅事務所にたどり着いたのか、記憶がない。久しぶりの痛飲と記憶喪失だった。頭痛をこらえて、船橋法典の特別養護老人ホームへ電話してみた。
「すいません。ちょっと、お尋ねしますが、そちらに入居している中井愛子さんに、今日面会の予約が入っているかどうか分かりますか?」
 少し間をおいて、若い男の声が返ってきた。
「・・・さあ、・・・ここは、いわゆる病院とは違うので、面会される方はいちいち予約はしませんけれど・・・一応、十時から五時の間なら、いつでも入居者と御面会できますが・・・」
「そうですか・・・すいませんが、お名前を教えていただけますか?」
「・・・わたしのですか?」
「ええ」
「・・・竹中と言いますが・・・」
「どうもありがとうございました」
 携帯電話を切ると、土岐は階下の合鍵を持って一階の印刷工場に降りて行った。印刷工場の警備員を兼ねることで、月五万円の割安家賃を支払っているが、警備員らしい仕事をしたことは一度もない。時々、近所のスーパーの急ぎのチラシの印刷があると、土曜日も輪転機を動かしていることもあるが、今日はひっそりとしている。
 事務室の固定電話で見城仁美の携帯電話にかけてみた。固定電話から仁美に電話するのは初めてだった。その電話番号は仁美の携帯電話には登録されていないはずだった。
 土岐は床に落ちていたチラシの紙を送話口に一枚挟んだ。声音を少し高くする。
「あ、見城さんですか?」
「・・・はあ・・・」
 疑り深そうな声が返ってきた。
「こちら、船橋法典の特別養護老人ホームですが、今日か明日、こちらに面会に来られる予定はありますか?」
「・・・今日か明日かはまだ決めていませんが、・・・」
「そうですか・・・実は明日は一日中、館内の清掃を行う予定になっておりますので、面会に来られるのでしたら、今日の午後にお願いできればと思いまして・・・」
「・・・そうですか、わかりました。それじゃ、今日の午後に面会に伺います」
「どうも、ありがとうございます」
「・・・失礼ですが、お名前は?」
「竹中といいます」
 そう言うと仁美の返事を待たずに土岐は事務室の電話を置いた。仁美が竹中の声を知っていれば見舞いには来ない。二階の事務所に戻ると外出の支度をした。