「・・・郭公姐さんは終戦からしばらくして、この街に来て、最初についた旦那が廣川さんでした。廣川さんはとても遊び慣れた人でしたが、薄情で酷薄な人で、それを見抜かれて、『郭公さん、余計なことを言うようだけど、廣川さんとは深入りはしないようにね』とわたしの先代のお母さんが年中説教していました。廣川さんはいつも接待される側で、接待する人は入れ替わり立ち替わり、いろんな会社の方が来られました。廣川さんは自腹では一度も来られなかったと思います。あるころから、ぴたりと、来られなくなって、それと符牒を合わせるように、郭公姐さんが愛子ちゃんを生んで、先代のお母さんは、口を酸っぱくして、父親に認知してもらうように説得したんですけど、結局、愛子ちゃんは私生児として育てられることになって、・・・とってもかわいい子で、郭公姐さんがお座敷に上がっている時は、隅屋の茶の間でお勉強したり、テレビを見ていたりして、仲間のお姐さん達のペットみたいな感じて、みんなに可愛がられたんです。愛子ちゃんが中学を卒業するころ、『愛子ちゃんは愛嬌もあるし、十人並み以上だし、どう、芸者にしてみない?』って、先代のお母さんが郭公姐さんに聞いたんですけど、愛子ちゃんはその気があったけど、郭公姐さんが断って、・・・それで、愛子ちゃんは高校に進学して、卒業後地元のスーパーに就職して、・・・その頃、廣川さんが不意に現れて、廣川さんの奥様のお兄さんだとか言う敦賀の住職と二人連れで、・・・そのときは、廣川さんがぎこちなく接待していましたね。それから二、三年の間、年に一回ぐらい来るようになって、愛子ちゃんが成人したころ、今度はその住職が一人で来られて、・・・その時以来、廣川さんは一度も見えていません。で、住職さんが愛子ちゃんに縁談があるというので、昼間、隅屋のお座敷でお見合いをしました。お相手が確か、見城という方で、その住職の古い朋輩の息子さんだということで、見城さんのお父さんにとって、住職の方は主筋にあたるとかで、・・・愛子ちゃんがその方と結婚してから、郭公姐さんが少しずつおかしくなって、お座敷に上がれないような状態になって、愛子ちゃんが引き取ってから、見城さんとうまくいかないようになったみたいで、愛子ちゃんにはお子さんが居られたみたいでしたが、離婚されて、郭公姐さんのお葬式の後、どうなったか、愛子ちゃんともお会いしていないんで、


