すぐ蝶ネクタイのウエイターが注文伝票をもってやってきた。海野は生ビールとおつまみを適当に頼んだ。土岐も同じものにした。
 海野は人懐っこそうな濁った丸い眼の奥で笑っている。額と頭に境目がない。
 しばらくして、ジョッキの生ビールと枝豆とお通しが、それぞれ二つずつ出てきた。
 土岐は丸い板テーブルの上にスペースを作って、汚れのないのを確認して、そこにシステム手帳を広げた。
 それを海野は蔑んだように下目使いで見ている。一口生ビールを含んで、口の周りを泡だらけにして話し出した。
「・・・あれは、殺人だ。・・・間違いなく、ホームから突き落とされた」
「しかし、・・・未亡人の話では、警察は自殺で処理する方針だとか・・・」
 海野は再びジョッキを口にあてる。一息飲んでから、足を組み、枝豆を手に取った。
 土岐は生ビールを呑むのも、枝豆を口に入れるのも忘れて、海野の話に聞き入った。海野の饒舌な話が滔々と続く。
「死んだ廣川弘毅は叩けば、おそらく、そこいらじゅうが埃だらけになる元総会屋だ」
 海野は左手を肘からテーブルの上に置き、右手でジョッキを口に運ぶ。焦げ茶のジャケットの両袖口が擦り切れて、綻びが見える。ワイシャツの袖口が見えないから、白いシャツは半袖だ。 
「でも、未亡人は総会屋の話はぜんぜんしていなかったですね」
 そこで土岐は初めて大ジョッキの生ビールを口に運んだ。ジョッキのクリーミィーな白い泡が殆ど消えていた。少し苦味がはしる。海野はジョッキ越しに土岐の目を見た。
「自殺であれば、胸をなでおろす老齢の財界人や長老の政治家が多い」
 そう言った拍子に海野の節くれだった右手の指先から枝豆の緑が飛び出してテーブルの上に転がった。
 土岐はその緑豆を指ではじいて床に落とした。
 そこに海野の右足があった。土埃にまみれた黒い革靴の先の左側の小指のあたりに穴があり、中の黒い靴下が見えた。
 土岐は目を上げた。海野の話は続いている。
「先妻の子どもは興信所に、加奈子の間男の調査を依頼しているようだ」
 土岐は加奈子が玄関で土岐を出迎えた時にはいていたベージュのスラックスをすぐに同色のフレアースカートにはき替えて応接間に現れたことを思い出していた。
「先妻とは離別ですか?・・・それとも死別ですか?」
「・・・死別だ。聞いた話では自殺したらしい。二十年以上前の話だ」