松村博之(廣川弘毅)は肺病やみあがりの書生として昭和十九年に清和家に来ている。松村(廣川)と三田法蔵は清和家で面識になっているはずだ。戦時中、清和家と久邇家の当主は刎頸の友で、両家の何かの連絡に松村が使者として働いている。その久邇家の当主は終戦直前に貿易商社を設立し、貴金属、宝飾品等を扱い、八紘物産は久邇商会の大株主になっている。その八紘物産の戦後の中興の祖と言われる馬田重史は、現在名誉相談役となり、〈開示情報〉の広告主となり、廣川弘毅が郵送ではなく、直接雑誌を届けている。
二時過ぎに、久邇商会からメールがあった。
@土岐明様。お問い合わせの件についてご返答いたします。戦時中の久邇家当主の政道と
清和家の交流については会長はまったく存じ上げていないとのことです。ただし、当時執事をされていた宮島敦夫様のご子息がご存命とのことなので、ご連絡先をお知らせいたします。久邇商会秘書室次長 井上孝雄@
土岐はメールに記された固定電話番号にかけてみた。呼び出し音が三回鳴って、携帯電話に転送された。さらに、五回呼び出し音が鳴って、男の声が出てきた。
「・・・はい」
「宮島様ですか?」
車のエンジン音がかすかに聞こえた。
「・・・すいません。いま、運転中なので、すぐ掛け直します」
数分して、土岐の携帯電話が鳴った。
「はい、土岐です」
「・・・先ほどお電話をくださった方ですか?」
「そうです」
「・・・宮島ですが、ご用件はなんでしょうか?」
「ええと、失礼ですが、宮島敦夫さんのご子息の方ですか?」
「・・・いいえ、敦夫は祖父で、わたしは孫に当たります。祖父は三十年ほど前に亡くなっておりますが・・・」
「それでは、お父様と連絡を取りたいのですが・・・」
返答がない。土岐は事情を説明した。
「じつは、久邇頼道さんのご紹介で、お電話しています。戦時中の久邇家のことについてちょっとお伺いしたいことがありまして・・・」
「・・・父はいま、入院しておりますが・・・」
「面会できるでしょうか?」
「・・・ええ、重篤ではないので、・・・」
「病院はどちらでしょうか?」
「・・・再生会中央病院です」
「と言うと、田町の?」
「・・・そうです」
「お父様のお名前は?」
「・・・宮島吉昭といいます」
二時過ぎに、久邇商会からメールがあった。
@土岐明様。お問い合わせの件についてご返答いたします。戦時中の久邇家当主の政道と
清和家の交流については会長はまったく存じ上げていないとのことです。ただし、当時執事をされていた宮島敦夫様のご子息がご存命とのことなので、ご連絡先をお知らせいたします。久邇商会秘書室次長 井上孝雄@
土岐はメールに記された固定電話番号にかけてみた。呼び出し音が三回鳴って、携帯電話に転送された。さらに、五回呼び出し音が鳴って、男の声が出てきた。
「・・・はい」
「宮島様ですか?」
車のエンジン音がかすかに聞こえた。
「・・・すいません。いま、運転中なので、すぐ掛け直します」
数分して、土岐の携帯電話が鳴った。
「はい、土岐です」
「・・・先ほどお電話をくださった方ですか?」
「そうです」
「・・・宮島ですが、ご用件はなんでしょうか?」
「ええと、失礼ですが、宮島敦夫さんのご子息の方ですか?」
「・・・いいえ、敦夫は祖父で、わたしは孫に当たります。祖父は三十年ほど前に亡くなっておりますが・・・」
「それでは、お父様と連絡を取りたいのですが・・・」
返答がない。土岐は事情を説明した。
「じつは、久邇頼道さんのご紹介で、お電話しています。戦時中の久邇家のことについてちょっとお伺いしたいことがありまして・・・」
「・・・父はいま、入院しておりますが・・・」
「面会できるでしょうか?」
「・・・ええ、重篤ではないので、・・・」
「病院はどちらでしょうか?」
「・・・再生会中央病院です」
「と言うと、田町の?」
「・・・そうです」
「お父様のお名前は?」
「・・・宮島吉昭といいます」


