法蔵飛魂

 三田法蔵は敦賀の法蔵寺からの長田賢治の一学年先輩の朋輩で、賢治とは海軍に入隊するまで京都の智恩寺で一緒だった。廣川弘毅は門前の民家に住んでいた。戦後、廣川弘毅と長田賢治は半年ぐらいの間、智恩寺の若僧とその寺男という関係で接触した可能性がある。廣川弘毅と三田法蔵は入れ違いで、三田法蔵が智恩寺に寄宿するころには、陸軍予備士官学校に入校している。しかし、豊橋にいたはずの廣川弘毅は松村博之という偽名で、清和家の書生になっていた。その清和家で令嬢の家庭教師だった三田法蔵と会っている。一方、塔頭哲斗は智恩寺の北隣の清浄寺の小僧として長田賢治とも三田法蔵とも顔見知りだったはずだ。その長田賢治をモデルにして、塔頭哲斗は『学僧兵』を書いた。その絶版となった小説を廣川弘毅は殺害される直前にわざわざ貸出カードを作ってまでして世田谷区立奥沢図書館で借りて読んでいる。
 三田法蔵は終戦の前日に三重海軍航空隊で事故死し、その教官として長瀬啓志が終戦直前に三重海軍航空隊に赴任している。三重海軍航空隊で三田と同期の堀田は自殺の可能性もあると言っていたが、確証はない。長瀬啓志は廣川弘毅の主宰する〈開示情報〉に最近まで公認会計士事務所の雑誌広告を出していた。しかも、廣川弘毅は郵送ではなく、手渡しでその雑誌を公認会計士事務所に届けている。その関係の起点は、神州塗料の粉飾決算がらみのインサイダー取引にある。廣川弘毅は神州塗料の空売りで大儲けし、その情報を当時会計監査を仕切っていたセンチュリー監査法人に所属していた長瀬啓志から入手していた。しかし、廣川は長瀬とそもそもどうやって知り合ったのか。二人の接点がまだ分からない。『学僧兵』の二人の主人公たちのように、清和家で知り合った廣川と三田が文通でもしていれば、間接的に、廣川が長瀬の存在を知り得た可能性がないではない。
 次に、廣川弘毅の偽名、松村博之を中心としてまとめてみた。