土岐は名刺を渡した。改札の外で、壁面の地図で茅場署の位置を確認した。10番出入口から地下商店街を通って、地上に出た。
 午後五時近くになり、早番で帰宅する通勤客が目立つようになっていた。茅場署は茅場町の交差点から、昭和通り方向に一本路地を入ったところにあった。七階建てのオフィスビルのような外観をしていた。受付の貧相な事務官に海野刑事に面会したいと申し出た。
 しばらくして、中肉中背で、よれよれの茶のジャケットとカーキ色のチノパンに埃だらけのスニーカーを履いた男が現れた。加奈子がねずみ男と評した人物に違いない。受付のカウンターに身を乗り出して、婦警と何か話している。
 土岐の方から近づいた。内線で呼ばれて下りてきたはずなのに、少し驚いたような顔つきをする。ゴマ塩の無精ひげが日焼けした風貌を縁取っている。
「・・・で、用件は?」
「先週の地下鉄の轢死について、ちょっと・・・」
 すこし間があった。どう返答するか考えているようだ。土岐と目線が合った。土岐は胸ポケットから名刺を出した。
「廣川弘毅さんの事件の捜査の状況を教えていただければ・・・」
 海野は思案している。返答を考えているのではないことはすぐ分かった。
「・・・夕飯を食いながらなら、すこし話してもいいよ。・・・あんた、納税者だからね」
と言いながら、薄ら笑いを残して海野は歩き始めていた。土岐は後ろに付いて行った。
 海野は昭和通りに出ると京橋方面に向かった。足が速い。
 土岐はすこし遅れて付いていた。
 海野は振り返ることをしない。両手をポケットに突っこんだまま、どんどん歩き進んでゆく。
 二、三分で目的地に着いた。何の変哲もないオフィスビルの正面玄関の脇に地下に下りて行く狭い階段があり、その傍らの入口の脇に〈居酒屋株都〉という極彩色のど派手な看板が出ていた。
 海野は途中に狭い踊り場のある石造りの階段を駆けるように下りる。
 店内は、LED照明がすこし落ちていた。天井の高い古い酒蔵のような造りだった。壁一面に日本各地のラベルの付いた酒瓶がずらりと五十本以上立ち並んでいる。
 海野は使用済みの酒樽を利用したレジ近くの三人がけの壁面沿いのテーブルに座った。
 客はまだ、五、六人しかはいっていない。壁一面に造りつけの椅子があって、満席になれば五十人以上は入りそうな店だった。