法蔵飛魂

「そこの軍刀を寄贈した長瀬啓志という人について何か分かることがありますか?」
 管理人らしい老女は椅子から立ち上がり、土岐が指さした軍刀の前に立った。
「この方には大変お世話になっていて、去年多額の寄付もして貰いましたし、館の運営にもアドバイスを貰いました。維持費が大変だろうからって、これを売りなさいって」
と言いながら写経セットと線香を見せてくれた。
「・・・隊名簿に記載があると思いますよ」
 老女が事務所の奥から持ってきたタイプ印刷の古い名簿で索引を引くと、長瀬啓志の名前があった。肩書と記載を見ると、〈海軍中尉・海軍手先信号法教官・昭和二十年七月着任〉とあった。
 土岐が蒲田の事務所でインターネットとeメールで調べた限りでは、長瀬啓志は昭和十八年に旧制神奈川中学校を卒業して、海軍経理学校普通科練習生となったが、そこを卒業していない。三田法蔵との接点は確認できたが廣川弘毅との接点が見えてこない。
 ついでに土岐は経年自然劣化の激しい同じ名簿で、〈三田法蔵〉を検索した。容易に見つけることができた。肩書と記載は、〈甲種飛行予科第十五期前期練習生・昭和十九年九月十五日入隊・昭和二十年八月十四日殉職〉とあった。三田法蔵は特攻死のはずだった。
 土岐は老女に名簿を見せながら、このことを聞いてみた。
 老女は土岐が開いた名簿を白髪の混じる眉根に皺を寄せて覗き込んだ。
「・・・昭和二十年八月には、この航空隊には飛行機は一機もなかったのよ。殉職というのは、『戦闘機がなくって、グライダーで飛行訓練していた時だ』と十五期の会報誌に書いてあったわね。グライダーは本来、飛行機に牽引されて、上空で切り離されて、あとは滑空だけで、滑走路に戻ってくるんだけど、当時、牽引する飛行機もなくて、グライダーの練習は、グライダーをワイヤーでウインチで引っ張って、浮き上がった頃に、ワイヤーのフックを切り離して、滑空することをしていたらしいんだけど、そのフックが外れなくなって、そのまま地面にたたきつけられて殉職したと十五期の人に聞いたことがあるわ。死ぬには惜しい、とても優秀な方だったらしいですよ。『戦後に三田法蔵が生きていれば・・・』とここに来られた十五期のどなたもおっしゃっていましたね」
 そう言って老女は、入り口わきの椅子に戻って、腰を下ろした。