水戸街道と言問通りの五差路の交差点の交番前で南條は立ち止まり、黒い携帯電話を取り出した。交番にいる若い巡査が顔見知りらしく無言で軽く会釈した。南條は安物の腕時計を見た。
「そこのおまわり、机にしがみついているだろう。昇任試験の準備をしてる。いまの警察は試験ばっかだ。試験に合格しない限り、昇任できない。一般企業のように年功序列で昇進していかないんだ。逆に、年功がなくっても、試験に合格しさえすれば、どんどん昇任する。現場でろくに働きもせず、ペーパーテストの点数のいい奴が、警部になり警視になってゆく。ノンキャリの出世の道が開けたことはいいことだが交通違反の反則切符も切れねえような奴が警視様でそっくりかえっている。外勤は試験準備ができないから不利だ。その不利を補おうとすれば警察活動がおろそかになる。現場の理解も浅くなる。最近の警察の問題はそんなところにある」
と南條は交番の机に座り資料を読みふけっている巡査を一瞥した。
「自宅にいるとは思うが突然訪ねてもあれだから電話を入れる」
と傍らに佇む土岐と亜衣子に断った。携帯で登録番号を呼び出した。耳に当ててから数秒で出た。南條は当たり障りのない挨拶をして、
「申し訳ありませんがお嬢さんのご位牌を拝ませてもらえますか」
といい終えて携帯電話を切った。南條は言問橋西詰の交差点を右に折れ言問通りを浅草方面に歩き始めた。後ろから土岐が声を掛けた。
「僕も一緒に行っていいんですか?不祝儀袋を持っていませんが」
「好きにしていいよ」
と言われて亜衣子が一歩前に出た。土岐も従う。三人は馬道通りを越えてひさご通りの向かいの千束通りを右折し二本目の小さな路地を更に右折した。南條が立ち止まったのは角から五軒目の仕舞屋風の木造二階建ての家だった。入口に、
〈水野〉
という手書きの木の表札が釘で打ちつけてあった。南條は格子の引戸を開けて声を掛けた。
「こんばんは。南條です」
暫く間があって、女性の抑揚のない落ち着いた声が聞こえてきた。その声を追いかけるように中年の痩せ細った女が照明のない暗い玄関に亡霊のように登場した。
「おあがり下さい」
と洗い髪の女は立ったまま南條を招じ入れた。南條は、
「友を連れてきました。よろしいですか?」
「そこのおまわり、机にしがみついているだろう。昇任試験の準備をしてる。いまの警察は試験ばっかだ。試験に合格しない限り、昇任できない。一般企業のように年功序列で昇進していかないんだ。逆に、年功がなくっても、試験に合格しさえすれば、どんどん昇任する。現場でろくに働きもせず、ペーパーテストの点数のいい奴が、警部になり警視になってゆく。ノンキャリの出世の道が開けたことはいいことだが交通違反の反則切符も切れねえような奴が警視様でそっくりかえっている。外勤は試験準備ができないから不利だ。その不利を補おうとすれば警察活動がおろそかになる。現場の理解も浅くなる。最近の警察の問題はそんなところにある」
と南條は交番の机に座り資料を読みふけっている巡査を一瞥した。
「自宅にいるとは思うが突然訪ねてもあれだから電話を入れる」
と傍らに佇む土岐と亜衣子に断った。携帯で登録番号を呼び出した。耳に当ててから数秒で出た。南條は当たり障りのない挨拶をして、
「申し訳ありませんがお嬢さんのご位牌を拝ませてもらえますか」
といい終えて携帯電話を切った。南條は言問橋西詰の交差点を右に折れ言問通りを浅草方面に歩き始めた。後ろから土岐が声を掛けた。
「僕も一緒に行っていいんですか?不祝儀袋を持っていませんが」
「好きにしていいよ」
と言われて亜衣子が一歩前に出た。土岐も従う。三人は馬道通りを越えてひさご通りの向かいの千束通りを右折し二本目の小さな路地を更に右折した。南條が立ち止まったのは角から五軒目の仕舞屋風の木造二階建ての家だった。入口に、
〈水野〉
という手書きの木の表札が釘で打ちつけてあった。南條は格子の引戸を開けて声を掛けた。
「こんばんは。南條です」
暫く間があって、女性の抑揚のない落ち着いた声が聞こえてきた。その声を追いかけるように中年の痩せ細った女が照明のない暗い玄関に亡霊のように登場した。
「おあがり下さい」
と洗い髪の女は立ったまま南條を招じ入れた。南條は、
「友を連れてきました。よろしいですか?」


