祭りのあと

「南條さんもいらっしゃるの?」
と困惑したような声で微笑んだ。土岐は携帯電話をオフにし、
「何か気になることがあるんだって」
と亜衣子の涼やかな目を盗み見た。二人は帰宅ラッシュで混雑する日比谷線の広尾から乗車した。人ごみに塗れながら三ノ輪で降りた。駅から大関横丁経由で明治通りに出た。明治通りとぶつかる日光街道の交差点はトラックや営業車で溢れていた。広尾辺りと比べると3ナンバーの車が5ナンバーの車より圧倒的に多い。都バスのバス停で白鬚橋方面のバスを待った。他に乗客はいなかった。数分ですぐ来た。乗車した。白鬚橋の東詰で下車したのは6時5分前だった。都営団地の中央のテニスコートにたどり着くと南條がダスターコートの襟を立てて煙草の紫煙をくゆらせながら所在なげに待っていた。薄暗い夕刻のテニスコートの金網の傍らに煙草の火が揺れていた。煙いのか待たされたからか、南條の眉間に深い皺が刻まれていた。
「こんばんは、昨日はどうも」
と亜衣子が先に艶っぽい声をかける。南條の疲れきった渋い顔がだらしなく破れた。
「お前らをだしにするようだけど、もう一度聞きたいことがある」と言いながら南條はエレベータホールに向かってそそくさと歩き始めていた。土岐と亜衣子は小走りに南條の後を追った。805号室はエレベータホールと非常階段を挟んで、北側の棟のちょうど真ん中だった。表札に、
〈平野〉
とあった。南條がドアフォンを親指で強く押した。暫くして、
「はい、どなたですか?」
という中年の女性の煙草の喫煙でしわがれた品のない声が聞こえた。
「南條です。恐れ入ります。お線香を上げさせてもらえますか?」と言い終えると、少し間をおいて、ドアチェーンがカチャカチャとはずされる音がした。ベージュ色の鉄扉が押し開けられた。アルコープでぼんやりと立っていた土岐はドアにぶつかりそうになった。
「昨日の葬儀はちょっと所用があって参列できなかったもんで、こちらでお線香をあげさせてもらえますか?」
と言う南條の野球帽を怪訝そうに見上げながら厚化粧の小太りの中年女が彼を招き入れた。どてらのようなダスターコートを脱ぎながら玄関に上がる南條の後に亜衣子と土岐が続いた。玄関には安物の脂粉の臭いが漂っていた。
「ご愁傷さまです。私達も警察の者で。お線香を上げさせて下さい」
と中年女に胡散臭い眼で迎えられた亜衣子が言った。