といいながら南條は所在無げにあたりを見回した。通勤通学で最寄り駅迄乗って行ったらしく、自転車置き場には空間が目立っていた。残された自転車は幼児用と買い物籠つきのママチャリが殆どだった。
「こんなとこだが、まだ時間があっから、聞き込みでもしてみっか」
「何を聞くんですか?」
「まあ、いろいろだ。昨日と一昨日、ここの住民についてはだいたい聞き込みをやったが事故直後だったんで、その後、想い出したという情報はまだ集めていない。自殺で片付けようとしているんで、恐らくこれ以上聞き込むことはなかろうとは思うが」
 亜衣子が目を輝かせて、南條の前に一歩進み出た。
「やりましょ」
「じゃ協力してくれ。最初に俺がインターフォンを押す。そのとき、お前らはドアの陰に隠れていろ。話の成り行きで顔を出せ」  
 土岐には言っている意味が理解できなかった。
「それって、どういうことですか?」
「人間いろいろだ。公権力アレルギーで刑事には話したくないという連中もいる。異様に感情移入が激しくて、遺族に同情し、ぺらぺらしゃべるというのもいる。マスコミ好きとか、マスコミ嫌いとか、取材されるのがいやとか、取材されるのがすきとか、いろいろだ」
 勘のいい亜衣子は南條の意図を理解した。
「話の状況で、親族とかマスコミとか、色々演ずるということ?」
「そうだ。あんたは分かりが早い」
「それって情報提供者をだますことになるんじゃないですか?」
と土岐は南條が亜衣子をほめたことが面白くない。
「誰も傷つけない、誰にも損害を与えない嘘は方便だ。それで真実が引き出せるのであれば社会的にはそれはするべきことだ」
と言いながら南條は1階の廊下に足を踏み入れた。亜衣子と土岐が続いた。非常階段に一番近いドアが一番端の部屋になっていた。
「ドアの陰に隠れろよ」
と南條はドアフォンを押した。返答がない。
「ここの団地は共稼ぎが圧倒的に多い。家にいるのは幼児を抱えている主婦か、年金暮らしの老人ぐらいだ。あと、仕事にあぶれたフリーターかな。ところで筆記用具持ってっか?」
「ボールペンなら」
と土岐が内ポケットのボールペンをぬいた。
「あるんならいい。俺の話にあわせて、使ってくれ。で、手帳は?」
 今度は亜衣子が肩から提げた黒いポシェットから手帳を取り出した。企業が無料で配布している小さなメモ帳だ。