祭りのあと

「奈津子が死んだその夜浪江に電話した。いずれ奈津子の死が発覚した後のことを考える必要があった。浪江は『尊広を始末してくれ』と言ってきた。『責任をとってくれ』とも言っていた。その日の夕方、大阪の浪江から尊広が自宅で常用していたモルヒネが宅急便の特急で送られてきた。俺に尊広を殺させたいという考えは浪江の俺と尊広に対する復讐の意味だ。浪江も俺に隆と結婚させられて家庭内暴力で酷いめにあったはずだ。隆の稼ぎがよかったから別れなかったものの、決して幸せな結婚生活ではなかった。おまけに酒乱と家庭内暴力は隆から、保険金殺人の犯罪は俺から、それぞれ尊広が受け継いで、隆の義兄弟でもあった俺に対する恨みは相当なものだった。大阪に行って尊広に会ったとき俺の目の前で尊広が隆に二三メートル程吹っ飛ぶ程、殴られたのを幾度か見たことがある。一度は尊広が浪江と話しながら食事をしていたときだ。隆はいきなり箸の頭で尊広の頭を思いっきり殴った。『食事中は口をきくな』と怒鳴った。もう一度は尊広が隆の言いつけに対して反抗的な態度をとり、ほっぺたを膨らませたときだ。このときは隆が平手で思いっきり尊広のほっぺたを叩いた。尊広はすっ飛んで唐紙が破れた。こうして子供のときに受けた暴力がもとで尊広も家庭内暴力を振るうようになった。夜、優子に運転させて舞浜のクリニックに行ってみると尊広は泥酔していた。尊広は奈津子を愛していたが奈津子はその愛を受け入れなかった。義理の兄妹だから当然と言えば当然だ。興奮状態の尊広に注射を多めに打ち前後不覚になってから車に押し込んだ。重かったが老骨に鞭打ち、ここに住んでる優子に手伝ってもらって渾身の力を込めて、車に乗せた。更にモルヒネを打った。あとはエンジンを掛けて車ごと海に落とした。注射を打つ位なら俺にもできる。子供の信夫を道連れにしたのは奈津子の遺言だった。信夫は言わば不義の子だ。奈津子がいなくなればどのみち生きてはいけない。俺は一家心中の手助けをしたことになる。俺が言うのもなんだが尊広は心底性悪だった。司直の手に委ねることも考えたが悪行の責任をとらせなければいけないという思いの方が強かった。浪江にお願いされたこともある。それに司直の手に委ねると事件が大きくなる恐れがあった。時効の過ぎたものも間近のものもある。事件には関係したが部落出身で今は足を洗って平和な生活を一般人と築いている多くの者