祭りのあと

隆がうろついているので浪江は勤務先の小学校にも行けなくなって、日暮里の小学校をやめた。結局隆が詫びを入れてきて金輪際暴力は振るわない旨一筆入れさせて浪江に言い聞かせて復縁させた。それから二人は東京にいづらくなって大阪に行った。万博の始まる二年位前だった。時々様子見に関西に行った折には尊広にあって寝物語でネアンデルタール人の作り話をしたが尊広は諳んじる迄に信じ込んでいた。尊広は俺の性悪の部分だけを受け継いだ。同じB型だからかも知れん。大阪万博で児童ポルノを始めた浪江の亭主の跡目を継いで学生の頃から暴力団とつるんで売上を拡大させた。尊広は高校を卒業するとすぐ永山整形クリニックに出入りし悪行の輪を広げて行った。尊広と奈津子の母親は二人ともここの部落の出身だ。教育委員会を脅して同和政策で小学校の教員にねじ込んだが部落出身であることが噂になって、いつ迄も結婚できなかった。同情がいつしか愛情になった。浪江は二十二で尊広を大阪で生み、その九年後に信子は奈津子を産んだ。信子には持参金をつけて嫁がせたのだが亭主の高志はロリコンで幼女趣味があり信子の体には全く興味を持たなかった。信子が俺に泣きついてきた時に奈津子ができた。浪江のことで関西の部落開放同盟の関係者に相談したら向こうの小学校の教員に採用された。今はどうだか知らないが部落解放運動はやくざと一部結びついていた。差別された挙句行き場所がなくなって組に拾われた者が多い。差別する社会を逆恨みしてやくざになった者も多い。日清戦争以後台湾と朝鮮が植民地になってからは第三国人も部落民と同じように差別された。差別で苦しんでた部落民も第三国人を差別した」
「あんたもやくざのようなもんか」