祭りのあと

「奈津子は親の犯罪に手を貸したことを悔いていた。それに尊広とできていた。男の子ができてから尊広とは母親の違う兄妹だと知った。父親の永田高志が死ぬ間際に告白した。そのせいか子どもの信夫には知的障害と脳腫瘍があった。脳腫瘍は延髄の近くにあって手術できないとの医者の見立てだ。信夫はどっちにしても死ぬ運命だった」
「尊広と奈津子の父親は誰で?」
と言う南條の問に暫く沈黙があった。
「俺の子だと思う。奈津子は間違いなく俺の娘だが尊広は多分としか言えない。浪江自身は分からないと言っている。DNA鑑定でもすればすぐ分かることだが血液型だけでも分かる。俺はB型だ。浪江と隆はどっちもA型だからB型の尊広が二人の間に生まれる訳がない。浪江が俺か隆かどっちの子か分からないと言っているのは隆の子だと思い込みたいから。奈津子が東京にいて隆が大阪だから二人ができるとは想定もしてなかった。奈津子が子供の頃、伯父ということにして日暮里の永山整形医院によく会いに行った。あの子の方も俺によく会いに来た。寝物語に伴性遺伝の作り話をしたが子供の頃は本気で信じているようだった。いずればれることだが半信半疑の間は少なくとも時間稼ぎにはなった。尊広は奈津子より九歳ぐらい年上だ。俺と従兄妹関係にある母親の浪江は俺が関西のチンピラだった隆とくっつけた」
「長田隆と義兄弟だったというのは、あんたのことか?」
「そうだ。俺はやくざではなかったが部落出身というよしみで長田隆と義兄弟になった。同和問題の裏会合で関西に行った時は必ず会った。
隆は酒癖が悪く、酔うとかならず浪江に暴力を振るった。隆と東京で一緒になって間もない頃、ビール瓶で頭を割られた浪江が俺の家に逃げてきた。ひと月ばかり匿ったが尊広ができたとすればそのときだ。