祭りのあと

「暴対用で餌付けしてもぐらせている協力者からの情報でおま。その確認はまだとれておまへん。で、長田隆は東京でのしのぎが思うようにいかず、東京進出は時期尚早やゆうことで、万博の前に、大阪に舞い戻った。浪江は万博でテキ屋の手伝いをしていたようで、一二年ぶらぶらやっとったようやけど、どうゆうわけか、こちらの小学校の教員になって、隆が企業舎弟のようなものになって、通天閣付近でビニ本屋と写真屋を開業し、裏で児童ポルノを販売し、かなり財をなしたようでおま。不思議なことに、浪江は定年迄、企業舎弟の妻であることがばれずに、あるいは、ばれてはいたが教育委員会がびびって解雇しなかったのか、最近退職して年金生活にはいった。そのころ既に隆は肝硬変から肝癌になって、食道静脈瘤破裂で死んでいて、それから尊広と規子の三人だけで生活し、WSJ開園と同時に現在の住所に引っ越し、規子はWSJの出入りの清掃会社の掃除婦に雇われた。地回りのやくざがねじ込んだのかも知れまへんな。規子の父親も組関係者で。尊広は、どこの親分とも杯こそ交わしてはおまへんが、隆が関係をもっていたやくざと取引関係を継続しておって。ざっとこんなところでおま。尊広の犯罪を証明するような物証はいまんとこ、なんもありまへん。まだ、さきが長くなりそうでんな」
と小関は突き出した顎をしゃくりあげながら大阪弁と標準語を無秩序に混ぜて話し続けた。
「あしたどうしまっか?事件の起きたのは東京なんで、こちとらも別の事案があるんで南條はんに浪江の件は引き継いで貰えれば、ほんま、ありがたいんです。でも先日うかがったように、少女の連続偽装殺人が事件化すれば、話は別ですが。いまんとこ、なんも出てこんので。なんか出て来たら、そんときはいくらでも、協力させてもらいますが」 
 小関の話を聞きながら南條は事情聴取のコピーに改めて目を通していた。目を引くような情報は長田浪江が日暮里の小学校の教諭であったことを除けば他に何もなかった。
「今回は本当にお世話になりました。東京の方も気になるんで、今夜は帰らせてもらいます。それにしても、浪江は息子が溺死したというのに、悲嘆にくれている様子がぜんぜん、まるでなかったですね。さすが、その筋の女というか」