「わからなかったんだ」

そう言ったモアイ像に、
「わからなかったんだ、それが」

宏美は返事をした。

「鈍いな」

「ええ、鈍いっすよ」

宏美はクスクスと笑った。

「まあ…今思えば、俺はあの時に心美のことを1人の女として意識をするようになったんじゃないかと思う。

その時から、心美しか見えなくなってた。

好きな人がいるのに、俺は何をしているんだろうって思った」

その当時のことを思い出したと言うように、宏美はやれやれと息を吐いた。

「当時の俺が目の前にいるなら、はっきりと言ってやりたい」

「何て?」

「未来の俺は神様の大間違いのせいで女になって生きているぞ、って」

そう言った宏美に、
「えっ、そっち?」

モアイ像は驚いて聞き返した。
「結果的には結ばれてるから、特にアドバイスをすることはない」

そう言い返した宏美に、
「結果的にって…何かきっかけでもあったのか?

鈍チンの君と幼なじみが結ばれた何かが」

モアイ像が言った。

「鈍チンって何だ、鈍チンって」

宏美は不機嫌そうに言い返した。

「自分で言ったじゃん、鈍いって」

「俺は“鈍い”と言っただけで“鈍チン”とは言っていない」

「何じゃそりゃ、一休さんか」

「宏美さんまたはミヒロさんじゃ」

「名前は聞いてない」

ひと通り言いあうと、宏美とモアイ像は休憩するように口を閉じた。

「それで、何がきっかけで幼なじみと結ばれたんだ?」

先に口を開いたのは、モアイ像だった。
「自慢じゃないんだけどさ、俺も告白されたことがあったんだ。

1度や2度で済む話じゃないんだけど」

「まあ、生前は精悍な顔立ちだったから告白されてもおかしくはないな」

「今は?」

そう聞いてきた宏美に、
「今は美人…って、何の話をしているんだ?」

モアイ像は答えた後でツッコミを入れた。

「ハハハ、俺は美人か」

「あんまりお高くしない方がいいと思うぞ?

1歩間違えると陰口の対象、最悪の場合はいじめられるのがオチだからな」

やれやれと息を吐きながら言ったモアイ像に、
「それに関しては生前で習ったから大丈夫だ。

少なくとも、男女共に上手につきあってきたと思う」

宏美は笑いながら言った。

「どこかエロく聞こえたのは、俺が疲れてるからなんだと思いたい…」

モアイ像は頭が痛いと言うように、人差し指でこめかみを押さえた。
「だけど…告白してきたヤツの中にはさ、しつこいヤツもいたんだよ」

「あきらめられない的な感じの?」

そう言ったモアイ像に、宏美は首を縦に振ってうなずいた。

「告白されるたびに俺も断ってたんだけど、かなり追いかけ回されちゃって…」

「大変だったんだな」

「最悪なことに、ヤツの怒りは俺から心美の方に向けられた。

俺と心美が幼なじみで仲がいいって言うことが気に食わなかったらしい」

「…逆恨みだな」

「ああ」

宏美はそう返事をすると、着ていたシャツのボタンを外した。

「お、おい…!」

突然の行動にアタフタするモアイ像だが、宏美は気にしていないようだった。

真ん中のところまでボタンを外すと、宏美は右手で左の袖を引っ張った。
「…さすがに、傷跡はミヒロの躰に行かなかったらしい」

呟くように言った宏美に、
「…何の話だ?」

モアイ像は戸惑いながら聞き返した。

宏美は露わになった左側を指差すと、ツッ…と肩から二の腕をなぞった。

「この辺りに傷跡があったんだ」

宏美は言った。

「傷跡?」

モアイ像は悪いと思いながらも、宏美の露わになった肌を見つめた。

「気にするな、器は女だけど魂は男だ」

遠慮がちな視線を向けてくるモアイ像に向かって、宏美は言った。

「バカ、気にするわ」

モアイ像は言い返すと、宏美の肌を観察した。

陶器のように白くて触り心地がよさそうなその肌には、彼が言っている傷跡は1つも見当たらなかった。
モアイ像の視線が離れたことを確認すると、宏美はシャツの袖を通してボタンを留めた。

「傷跡って、どう言うことなんだ?

それらしきものは特に見当たらなかったんだけど」

そう言ったモアイ像に、
「ヤツに切られたんだ」

宏美が言った。

「き、切られた…!?」

恐る恐る聞き返したモアイ像に、
「ヤツは俺と仲がいい心美を逆恨みして、カッターナイフを持って心美に切りかかろうとしてきた。

俺はヤツから心美をかばって…」

その当時のことを思い出したのか、宏美の顔は苦しそうだった。

「刺された、のか…?」

モアイ像の問いに、宏美は首を縦に振ってうなずいた。

「幸いにも、傷は浅かった。

まあ…相手は女だったし、学生服を着ていたから助かった」

宏美は息を吐いた。
 * * *

高校2年生の秋だったのか冬だったのかは忘れてしまったが、その日はとても寒い日だった。

その日の放課後も、宏美は体育館の裏に呼び出された。

「悪い、何度告白してきても気持ちは一緒だ」

宏美はそう言って、彼女からの告白を断った。

「どうしてなの!?」

告白を断られた彼女、清水は納得していない様子だった。

清水は隣のクラスの女生徒だった。

彼女とは高校1年生の体育祭で実行委員を一緒に務めたことがきっかけだった。

体育祭が終わった辺りから、宏美は彼女にしつこくつきまとわれていた。

「もういい加減にして欲しいんだ。

と言うか、もうあきらめて欲しい」

そう言った宏美に、
「――藤巻さんがいるからなの?」

清水が言った。

(またその話か…)

宏美は呆れた。
清水はもう気づいているはずだ。

自分が心美を好きなことをもうわかっているはずだ。

だから、
「ああ、そうだよ」

宏美は返事をした。

「心美がいるんだ。

お前も気づいている通り、俺は心美が好きだ。

だから、もう俺に執着をするのはやめて欲しい。

清水、お前が何度俺に自分の気持ちを伝えても俺の気持ちは変わらない。

もう俺のことはあきらめてくれ」

清水の目が大きく見開いた。

宏美は彼女の目をそらすと、その場から立ち去った。

教室に向かうと、心美がいた。

この場に誰もいないところを見ると、心美は自分が戻ってくるのを待っていたようだ。

「悪いな」

そう言った宏美に、
「いいの、気にしないで」

心美は笑って、宏美のカバンを渡してきたのだった。
宏美は心美からカバンを受け取ると、
「鍵は俺が職員室へ届けに行くから」
と、教卓のうえに置いてある鍵を手に持った。

「じゃあ、一緒に職員室へ行こうよ。

どうせ帰るだけなんだし」

そう言った心美に、
「ああ、いいよ」

宏美は返事をした。

教室の戸締りを済ませると、心美と一緒に鍵を職員室に返した。

下駄箱で靴を履き替えて校舎を後にすると、そこに清水がいることに気づいた。

(待ち伏せかよ…)

宏美は舌打ちをしそうになったが、心美が隣にいるのでやめた。

「おい、もういい加減にしろ…」

清水に向かって声をかけた宏美だったが、彼女の様子がどこかおかしいことに気づいた。

「――のよ…」

「えっ?」

清水が何を言っているのかがよく聞き取ることができなくて、宏美は聞き返した。