君のいない世界に、あの日の流星が降る

 見開いたページには丸い円形のなかに星座が描かれていた。
 夜空に色とりどりの星座が光っている。
 星には詳しくない私にはあまり違いがわからない。

「二年後の七夕のあたりにさ――」

 やさしい声で星弥が言った。

「流星群がこの町にやってくる。といっても流星群は毎月のようにいろんな場所で観測されているけれど、これは桁が違う。いわば、大流星群ってレベル」
「流星群?」

 尋ねる私に彼はやさしくうなずいてから、斜め上あたりに目をやった。

「彗星が放つチリの粒がまとめて大気に飛び込んでくるんだ。チリが大気にぶつかると高温になって、光を放ちながら気化する。その光の束を流星群って呼ぶんだよ」

 彼は人差し指で弧を描く。
 天井の照明がまるで星のように見えた。

「地球が彗星の軌道を横切る日時は毎年決まっているんだけど、二年後にかなり近くで見られるんだ」

 星弥の説明は難しくてよくわからなかったけれど、うれしそうに話す姿に私までうれしくなる。

「楽しみだね」

 あの日と同じ言葉を伝えると、彼は体ごと私に向いて大きくうなずいた。

「流星群と言っても、実際は流れ星みたいなのがちらほら見える程度なんだけど、この本によると、このあたりだけは違うんだって。空から月が消え、星が降り注ぐようにまぶしくてキレイなんだって。天文台に行けば、きっときれいに見られると思う」

 星弥が言うならぜんぶ本当のことのような気がした。
「うん」
「だから一緒に見ようよ」
「うん」
「君が好きなんだ」

 突然の告白に息を吞む。
 ああ、そうだったと思い出した。
 ヒソヒソ話のような告白さえ、記憶の底に封印していたんだ。

 あの頃と同じように答えられずうなずく私に、星弥はクスクス笑った。

「それってOKってことでいいのかな?」
「…うん」

 本当は『私も好き』って言いたかった。
 なのに、がんばっても口が動いてくれない。

 好き。
 あなたが好きだったんだよ。

 星弥がいなくなったあと、ずっと後悔していること。
 それは、一度も『好き』だって伝えられなかったこと。

 よく見るようなアニメでは最後、ちゃんと気持ちを伝えられてハッピーエンド。
 エンドロールを幸せな気持ちで見られるけれど、現実は違った。
 突然の上映中止で、物語はバッドエンド。
 エンドロールすら流れず、ひとり締め出された感じ。

 せめて……夢のなかでだけでも気持ちを伝えたい。

「よかった」ホッとしたように笑ったあと、星弥は言う。

「月穂と一緒に流星群を見たいな」

 うれしいけど、そんな日は来ないんだよ。
 あなたと同じ高校に通う夢さえ、結局は実現しなかった。
 ああ、どうか神様、星弥に本当のことを伝えたい。
 彼がいなくならないように、過去を変えたい。
 そのためならなんだってやるから。

 星弥のいない現実世界は、まるで太陽が消えてしまったみたいに暗い。
 月は太陽の光がないと、輝くことはできないの。

「私も見たい」

 まだ悲劇を知らない私がうれしそうに答えている。
 そうして彼はこう言うの。

「流星群は、奇跡を運んでくるんだよ」

 その瞬間だった。

 好き、という気持ちがリアルに思い出せた。
 体の奥底から湧きあがる感情が懐かしくて泣きたくなる。


 私たちはあの日、あのとき、たしかに奇跡を信じたんだ。











 目を開けると同時に涙が頬を伝っていった。

 ゆがむ視界の先に星弥はいなくて、薄暗い天井が無表情にあるだけ。
 ゆっくり体を起こし、夢だったと理解する。
 夢のなかでは『これは夢』だとわかるのに、目覚めたときはどちらにいるのかわからなくなることはたまにあった。

 ベッドから起きあがりカーテンをめくると、まだ窓の外は夜色に沈んでいる。
 時計を見ると、午前三時を過ぎたところだった。
 雨の音がかすかに聞こえている。

「夢だったんだ……」

 あっちが現実で、今が夢ならよかったのに。
 トイレのあと、冷蔵庫からお茶を取り出し飲んだ。
 冷たいお茶が、胃に落ちるのを感じながら、また泣きたくなった。

 久しぶりに星弥の夢を見た。
 これまでもたまに見ることはあったけれど、どれも短い夢ばかり。
 それにしても、不思議な夢だった。
 二年生のときの会話にはじまり、三年生で連れて行ってもらった図書館のことまで。
 こんなに長い夢ははじめてだし、とにかくリアルだった。

『君が好きなんだ』

 今も耳に残る星弥のやわらかい告白。
 あの日の私は、幸せな日々がずっと続くと信じた。
 ふたりで流星群を見られると信じて疑わなかった。

 ――でも、もういない。

「星弥」

 声に出してつぶやけば、やっぱり涙があふれてくる。
 一年前に星弥が亡くなってから、また片想いに戻っている。
 一度近くなったふたりだからこそ、心に染みついて消えてくれない。

 誰かに心のなかを話せば、少しはラクになるのかな。
 でも、親だけじゃなく、空翔や麻衣にも話せないまま時間だけが過ぎている。
 だって、言われたほうも困るだろうし、話すことでもっと忘れられなくなるのも悲しい。

 抜け殻のような毎日がずっと続いている。
 早くこの命が尽き、星弥に会いに行きたい。
 余生のような感覚なのかもしれない。

「どうしたの?」

 突然話しかけられ、体が跳ねた。
 お茶の入ったグラスが波打つ。
 母がリビングの入口に立って眉をひそめている。

「別に……なんでもないよ」

 いつもみたいに明るくしなくちゃいけないのに、ぶっきらぼうに答えてしまった。

「なかなか戻ってこないから、ソファで寝てるのかと……。え、泣いてるの?」

 近寄ってくる母に、思わず「やめて」と声にしていた。

「なんでもないって」
「でも――」
「放っといてよ」

 こんなこと言いたいわけじゃないのに。
 どうして心配させる人をもっと心配させたり、傷つけてしまうのだろう。
「ごめんなさい」

 ゆるゆると首を横に振った母から視線をそらす。
 ちゃんと、もうひとりの自分を演じなくちゃ。
 そうしないと、みんなに心配をかけさせてしまうから。

「なんかヘンな夢見ちゃって……ごめんね。もう大丈夫だから」

 ニッコリ笑うと、お母さんはホッとした顔をした。
 そう、これでいいんだ……。

「じゃあおやすみなさい」

 リビングから出ていく母を見ることもできず、ソファに腰をおろした。
 キッチンの頼りない照明に、テレビや窓の輪郭が浮かびあがっている。
 星弥がいなくなってから、世界は無機質に変わった。
 なにを見ても聞いても、心は動かない。
 うまく一日をやり過ごすだけの日々。

「でも……」

 さっきの夢のなかでは、生々しい世界を感じることができた。
 夢だとわかっていても、普通は好き勝手に行動はできない。
 できるとしても無理やり夢を終わらせて起きることくらいなのに。

 ひょっとしたら、あの夢のなかで星弥の死を止めることができれば……。

 そこまで考えて、ようやく我に返った。

 夢を変えれば現実も変わる?
 そんなことありえないし。
 少し冷静になった頭で、壁のカレンダーを見る。

 星弥は、去年の七夕の日に私を置いていなくなってしまった。
 もうすぐ、あれから一年が経とうとしている。

 きっと私の心も、一緒に死んじゃったんだね。





 登下校の時間だけ、バスの便は多い。
 それ以外は一時間に一本あるかないか、という程度だ。
 新緑や紅葉シーズンには観光客向けに増台されるけれど、今は梅雨。

 あのあとなかなか眠りにつくことができなかったせいで、起きたら朝の九時を過ぎていた。
 夢はその後、見なかった。
 ぼんやりする頭でリビングに行くと、母はパートに出かけたあとらしく誰の姿もなかった。
 少し、ホッとした。

 このまま休もう、と思ったのもつかの間、期末テストの存在を思い出した。
 四時間目にある数学の担当教諭は厳しく、出席日数次第では期末テストを受けさないと言っているらしい。
 直接聞いたわけじゃなく、クラス委員の松本さんが教えてくれた。

 重い気持ちを引きずり、制服に着替え駅前へ。
 おそらく四時間目には間に合うだろう。

 バスのなかは閑散としていて、もちろん制服姿なのは私だけだった。
 窓の外は雨模様。
 ガラスに引っついた雨粒が流れ、つながり、くだけていく。

 ふいに樹さんの顔が浮かんだ。
 お母さんに聞いたせいでもあるし、夢で話をしたせいでもあるだろう。
 もうずいぶんと会っていない。

 星弥が入院してから、図書館にひとりで行ったのは数回だけ。
 結局、星弥の病気のことも亡くなったことも伝えられていない。
 樹さんは星弥の死を、おばさん伝いで知ったのだろうか。それとも、お母さんから? あれほど世話になったのに、それすらも知らないなんてひどいよね。
 でも、一年も経ってから顔を出したところで、樹さんはいい気はしないだろう。星弥の彼女だった私のことなんて、もう忘れているだろうし……。
 自分勝手な言い訳を並べるのはいつものこと。
 訪ねて行く勇気なんて、どこを探しても見つからなかった。
 顔を合わせたら星弥のことを話すことになるから。
 そうしたら、またあの悲しみに襲われてしまう。それが怖くてたまらない。

 バスを降り、坂道をゆっくりのぼっていく。
 校門が見えたところで足が勝手に止まった。
 星弥と一緒に高校に合格した日のことは覚えている。
 ふたりでよろこび、一緒に通おうと約束した。

 結局、そんな日はこなかった。
 病に伏せた星弥は、一度もこの高校に来ることはなかった。
 合格したのに通えなかった星弥は、どんな気持ちだったのだろう。
 私だけこの高校に通っているだなんて不自然な気がした。

 雨が責めるようにカサを叩く。
 ここにいてもいいの?
 高校を変われば、苦しみから解放されるの?
 だとしたら町ごと変えないと無理だろう。
 あまりにも彼との思い出があふれているこの町で、心から笑える日なんてきっとこないだろうから。