この展開は、実際になかったこと。これだけでもすごい進歩なんだから、前向きに受け止めないと。
「月穂ちゃん」
力なくおばさんがつぶやく。
そう、おばさんも勇気づけないと。
「あの、きっと大丈夫です。今の医療ってすごいし、きっと――」
「そうじゃないの」
おばさんの瞳には涙がいっぱいたまっていて、今にも零れ落ちそうだった。
「今、私と月穂ちゃんは同じ夢を見ているの?」
「おばさん……。え、じゃあ」
「さっきから急に思ったように動けるようになったの。ああ、やっぱりこれは夢のなかなのね」
やっぱり同じ夢を見ているんだ。
わかりあえたことにうれしくなるけれど、おばさんの表情は苦しげにゆがんでしまう。
「でも、まさか星弥があんなことを言うなんて……」
「おばさん」
「どうして? せっかく病院へ行ってくれたのに、これじゃあ前と同じじゃない」
机に両手を置き、おばさんは責めるような口調で言う。
「この夢には絶対に意味があるんです。私たちがあきらめちゃダメだと思います」
これが流星群の運んでくれる奇跡だとしたら……。
「樹さんが……図書館の館長さんが言ってたんです。『信じる人にだけしか、奇跡は訪れません』って」
「奇跡……」
おばさんの右目からぽとりと涙がテーブルに落ちた。
涙が希望を消し去るように、おばさんの表情が苦し気にゆがんだ。
「でも……もしも奇跡が起きなかったら?」
おばさんはテーブルをにらむように見つめた。
「もうすぐ一年……。やっと、前向きになれてきたの。なのに、もう一度、あの苦しみを味わうなんてできそうもないの。だから……これ以上は」
唇をかみしめおばさんは静かに泣いた。
なにか声をかけたいのに、こういう時に限ってなにも出てこない。
「強い口調で言っちゃってごめんなさい。月穂ちゃん、私……怖いんだと思う。星弥が亡くなる時の悲しみを、もう一度体験するのが怖い。体が引き裂かれるほどの悲しみは、二度と味わいたくないのよ……。親だったら誰だってそう思うはずでしょう?」
押し黙る私に、おばさんは嗚咽をこらえて続けた。
「月穂ちゃんは大丈夫なの? 星弥の運命を変えられなかったとしても、それでも奇跡を信じるの?」
私は……どうなのだろう?
努力しても星弥の運命を変えられなかったなら……。
もう一度星弥の死を看取るなら……。
答えは『きっと一緒に死を選ぶ』だ。
そんなこと言えるはずもなく、「はい」と答えた。
「星弥の病気は秋に発覚したはずです。それがこんなに早まったんですよ。これが流星群のくれた奇跡なら、私は信じます」
しばらく黙ってから、おばさんは小さくうなずいた。
「そうよね。たしかに秋に病院にかかったのが最初だものね」
「このあと目が覚めたら、家に星弥がいるってことだってありえます」
運命が変わっているなら、星弥が亡くなったという事実が消えるかもしれない。
私たちが星弥に会えるかもしれない。
「私、精いっぱいやりたいんです。朝起きて、なにも変わってなくても、次の夢でなにか進展があるかもしれない。そう思いたいんです」
「……わかったわ。私も信じてみる」
うなずくおばさんの向こう。キッチンの壁がぐにゃりと曲がった。
夢の終わりが来たんだ。
どうか、朝起きたら星弥が生き返っていますように。
それが無理なら、次の夢をすぐに見たい。
ううん、見る。
流星群がこの町に来る前に、奇跡を起こしてみせるんだ。
□■□■□■日記アプリ□■□■□■
7月22日 ☑晴れ □曇り □雨 □雪 □その他
あんなに雨ばかりだったのに、今日からしばらくは晴れの予報。終業式のあと、希実が後輩を連れて来たので『月読み』をした。そのあと、米暮さんにもしてあげた。米暮さんは、いて座のせいもあって刺激を求めがち。もっと慎重に恋をしてほしいけれど、『月読み』では悪いことは言わないようにしているので、前向きな占いをした。午後から星弥と会うはずが、私のせいで遅くなってしまった。そんなときでも星弥はやさしい。夕飯をごちそうになった。帰り道は、薄い月と一緒に歩いた。昨日が新月だったので、これからどんどん丸くなっていく。明日からの夏休み、たくさん遊びたいけれど、星弥は推薦入試を控えているし、私も受験勉強をしなくちゃいけない。
10月2日 ☑晴れ □曇り □雨 □雪 □その他
今日は星弥の推薦入試の日。学力テストはなく、面接とか小論文、さらに集団討論という私にはよくわからないことをやるみたい。最近、風邪が長引いていた星弥も今朝はだいぶ回復したみたいで安心した。同じ高校に行く作戦を成功させる第一歩。神様、星弥の入試がうまくいきますように。今日は満月だから、月も応援してくれているはず!
10月19日 □晴れ ☑曇り □雨 □雪 □その他
星弥の体調が戻らない。今日から検査入院をすることに。学校が終わって会いに行きたかったけれど、それどころじゃないだろうし……。星弥は「ただの検査だから大丈夫」ってラインをくれた。「病院からはあまり星が見えないから苦痛」なんて、それどころじゃないのに。私を安心させようとしてくれてるのかな。
10月25日 □晴れ ☑曇り □雨 □雪 □その他
朝の9時10分。星弥からラインが来た。「いつでもいいから、病院に来られる? 大事な話がある」と書いてある。そのあとはなにを聞いても返事をくれない。これから病院へ行ってくる。大事な話ってなんだろう……。お母さんは「サプライズで高校合格の報告じゃない?」って言ってたけれど、きっと違う。これから会いに行ってきます。
□■□■□■□■□■□■
目覚めると同時に、忘れかけていた日記アプリを起動させた。
前のスマホからのデータ移行やバージョンアップなどで時間がかかったけれど、メモみたいな日記はまだ残っていた。
あの頃を思い出すのが怖くて、飛ばし飛ばしに読んだ。
でも結局、途中で読むのをやめてしまった。
アプリの内容は前に書いたままだった。
夢で起きたことが現実世界に反映されていると思ったのに、なにひとつ変わっていない。
やっぱり、結局は夢なのかな……。
夢で見た七月二十二日は、現実で星弥が受診した日より三カ月も前のこと。
あの日、私が遅れて星弥の家についたとき、彼はたしかにいた。
病院に行った形跡はなかったと思う。
つまり、夢のなかの星弥は、現実世界よりも早く治療を始められるということになる。
「信じなくちゃ……」
アプリの内容が変わっていなくとも、現実世界に夢が反映されていると信じよう。
ひょっとしたら……星弥が生き返っているかもしれない。
そうだよ、私が信じることで奇跡が起きるかもしれない。
すぐにでも星弥にラインを送りたかったけれど、もう少し頭のなかを整理したかった。
学校へ行けば、ううん……バスのなかとかで会うかも。
高校でも星弥はテニス部に入ってるだろうから、朝練がある。
そう考えると居ても立っても居られず、早々に家を出て学校へ向かった。
間もなく七月になろうという街は、朝日に輝いていて、昨日の雨の残りが木や葉、道端でキラキラ反射している。
やっぱり星弥がいるからこそ、この世界は輝くんだね。
リュックのなかでスマホが震えていることに気づき、道の端に寄って確認すると『星弥ママ』の文字が表示されている。
心臓が大きく跳ねた。
星弥が家にいる、という報告かも!
深呼吸しながら通話ボタンを押した。
「おはようございます」
そう言う私に、おばさんは『おはよう』と静かに言った。
声のトーンでわかった。星弥は生き返っていないんだ、って。
「夕べも同じ夢を見ましたよね?」
低い位置で照らす朝日に目を細めた。
あまりにもまぶしくて、自分が吸血鬼にでもなった気がする。
『ええ。本当に不思議な夢ね。起きてすぐに星弥の部屋に行ったんだけど、やっぱり戻ってなかったの。報告しておかないと、って思って』
「ありがとうございます。でもきっと、これからですよ」
もう六月末だ。
あと一週間ちょっとでこの町に星がふる。
その時までに星弥をこの世界に戻してみせる。
落ち込んでいるヒマはないんだから。
『あの……今ってもう外にいるの?』
気弱な声がスマホ越しに聞こえる。
「もうすぐ駅につくところです」
『私は、今日は仕事休むことにしたの。なんだか、夢のなかでもずっと起きてた感じだから疲れちゃって……』
私にとっては希望のある夢でも、人によって受け止めかたが違うんだな、と思った。
「大丈夫ですか? お大事にしてくださいね」
『やっぱりね、私……思うのよ』
歯切れ悪くそう言ったあと、深いため息が耳に届く。
『こんな不思議なこと、本当なら感謝しなくちゃいけない。あの子を取り戻せるならなんだってやりたい、って』
「はい」
『でも、やっぱり怖いの。もう一度失うことになったらどうしよう、って。前に夢を見たときもそうだったんだけど、夢のなかで星弥に会えるぶん、目が覚めた時の悲しみに涙が止まらなくるなるの』
おばさんの言っていることは理解できた。
私だって怖い。でも、奇跡は信じた人にしか訪れないから。
今、それを口にするのは違う気がして「わかります」と同意した。
しばらく呼吸音だけがスマホ越しに聞こえた。
『それにね、あの夢で起きたことが現実に反映されるって決まったわけじゃないでしょう? もし夢のなかの星弥の病気が治ったとしても、この世界に戻ってくる保証はないじゃない。がんばって、がんばって、でもダメだった時を想うと、私……耐えられない気がして……」
最後は泣き声が入り混じっていた。
おばさんは必死で星弥の死を乗り越えた。
きっとおばさんなりに前を向いて歩いていた。
それを引き留めたのは私だ。後悔がじんわりと生まれた。
「たぶん、ですけど……。『夢のなかで星弥に会いたい』って思わなければ、不思議な夢は見ないと思うんです」
『ええ』
「今夜からは私に任せてください。きっと、奇跡を起こしてみせますから」
そう言った私に、おばさんはしばらく沈黙した。
『なんだか月穂ちゃん、この間久しぶりに会った時とは別人みたい。昔に戻った、っていうか……ほら、星弥が亡くなってからそんなに会ってなかったから』
さっきより明るい口調のおばさんにホッとする。
「私も自分で不思議です。でも、今できることをしたいんです。ちゃんと報告しますから、無理はしないでください」
電話を切ったあともバスに乗り込んでからも、気持ちはブレていなかった。
学校へ向かう坂道も、ちゃんと前を見て歩けた。
星弥が私に力をくれている。そう思えたの。
教室に入ると、まばらなクラスメイトが私を見た。
自分の席まで「おはよう」を伝えながらたどり着いた。
教科書を取り出し、リュックを机のサイドフックにかけてから顔をあげると、向こうで顔をつき合わせてしゃべっている女子数人と目が合った。
が、すぐに逸らされ、なにやらコソコソ話に戻ってしまった。
なんだろう、と教室を見渡すと誰からもあからさまに視線を外される。
目が合わないゲームでもしているみたいで気になるけれど、今はそれどころじゃない。
期末テストも近いし、てるてるぼうずだってたくさん作らなきゃいけないし。
なによりも、星弥を助けるという使命が私にはある。
席に着くと机のなかからプリントが飛び出していた。
一枚はもうすぐはじまる期末テストの概要、もう一枚が修学旅行について。最後は、進路調査の紙だった。
誰かが亡くなっても時間は止まることなく進んでいく。当たり前のことなのに、ひとり取り残されたように感じてしまう。
それももうすぐ終わる。
流星群が奇跡を運んでくれるなら、あと少しで星弥は戻ってきてくれる。
いつ戻って来るのだろう?
今朝は期待しすぎてしまったけれど、過去を変えたからって翌日に戻ってくるわけではないみたい。
流星群と一緒に戻ってくるのかな……。
よく考えたら私は流星群についての知識が乏しすぎる。
テレビで流星群の特集を見たりもしたけれど、星弥が言うように『星がふる』というものではなく、『いつもより多く流れ星が見える』程度だった。
そもそもこのあたりは『星の町』という愛称を打ち出すほど、晴れた夜には流れ星が見られる。
もう一度、あの本を最初から読み返せば答えが見つかるのかもしれない。
学校に来たものの、すでに図書館であの本を見たい気持ちが込みあがってくる。
期末テストがはじまってしまうと行く時間がないし……。
机の木目とにらめっこしていると、誰かが前に立つのがわかった。
顔をあげると、さっきコソコソ話をしていた女子のひとりが気まずそうな顔で私を見ている。
彼女は、深川さん。下の名前はリナだ。
長い髪をひとつに束ね、肩から前に垂らしている。メイクもクラスでいちばん上手なイメージ。
「白山さんに話があるんだけどさ」
深川さんは平坦な声で言った。
あまり話をしたことがないのに、なんだろう?
そうだ、前に空翔が言ってたっけ。
クラスで私を悪く言う人がいる、って。
深川さんは、前髪を触りながら「なんで?」と問うた。
「白山さんって体が弱いんだよね? だから学校休んだり、遅れてきたりしてるんだよね? それなのに、なんで学校がある日に図書館にいたり、バーガーショップで目撃されてんの?」
うしろの女子ふたりも応援するように大きくうなずいている。
そっか、見られていたんだ……。
「それは……えっと」
いつものように軽い口調を意識しても、頭の半分は図書館のことで占められている。
どうでもいいよ、そんなこと。今はそれどころじゃないんだよ。
そう言えたらどんなにいいか。
気持ちに反して、私はまたヘラッと笑っていた。
そんな私に、深川さんは聞こえるようにため息をついた。
「本当に具合が悪いならなんにも言わない。でも、先生に聞いても、病名すら教えてくれないし、理事長……あ、松本さんも結局は注意してないんでしょう。それって不公平じゃない?」
もし、星弥が亡くなったことを説明しても、深川さんに私の悲しみなんてわからない。
夢の話をしようものなら、気持ち悪がられるのも目に見えている。
なにも答えない私に深川さんはさっきよりも声を大きくして続ける。
「別に注意とかじゃないよ。あたしがいいたいのは、ちょっとは麻衣のこと考えてあげたらどうなの? ってこと。あの子、昼休みだって『ひょっとしたら月穂が来るかもしれない』って、ひとりでご飯食べてるんだよ。かわいそうだと思わないの?」
正義感を振りかざす深川さんを、これまでの私なら黙って聞いているだけだっただろう。
でも、今は違う。
どんなことを言われても、私にはやるべきことがある。
誰にも……そう、誰にも邪魔されたくない。
「それに、あたしたちだって白山さんのことを――」
――ガタッ。
勢いよく椅子から立ちあがった私に、深川さんは驚いた顔のままあとずさった。
「深川さんの言っていること、ちゃんとわかるよ。迷惑かけてごめん」
「……ならいいけどさ。ねえ?」
うしろの女子たちも深川さんの問いにうなずいている。
「でも、しばらくの間はちゃんと来られるかわからない」
「だから、その理由を聞いてんの」
じれったそうに両腕を組んだ深川さんから視線を逸らすと、前の入り口から空翔が入ってくるのが見えた。
朝練かと思っていたけれど、今日は違うみたい。私たちを見て驚いた顔をしている。
「色々あって……。七夕が終わったくらいからは、迷惑かけないで済むと思う」
深川さん以外の人に聞かれないように伝えるが、彼女に隠す気はないみたい。
「期末テストはどうするの? それもサボるの?」
声量を強めて詰問してくる。
「ううん。受けるよ」
「学校は平気で休むのに、テストだけは受けられるんだね。それってヘンじゃない? そもそもろくに授業を受けてないのに大丈夫なわけ?」
「赤点でも仕方ないよ。自業自得だから」
そう、自業自得。
すべての未来は、これまでの自分自身が招いていることなんだ。
でも、過去を変えることができたなら、未来だって変わるはず。
リュックを手にした私に、
「え、帰るの?」
深川さんが不安げな顔になる。
今、帰ってしまったら彼女が私に言ったせいだと思われてしまいそう。
なんでもないように私は笑みを作る。
もうひとりの自分を演じるのは慣れているから。
「今日は、忘れ物を取りに来ただけで、これから病院なの。テストはなんとか受けるから大丈夫。イヤなこと言わせちゃってごめんね」
「でも、さ……」
「あと……麻衣のことよろしくお願いします」
お辞儀をするとリュックを右手に持ち駆け足で教室を出た。
さっきは一瞬、素の自分が出てしまった。
こんなこと今までなかったのに、動揺しちゃったのかもしれない。
もう大丈夫、今はやるべきことに集中しなくちゃ。
「おい。待てって」
追いかけて来た空翔が、私の前に回り込んだ。
「どういうことだよ。なんで帰るわけ?」
「さっき聞いてたでしょ。荷物を取りにきただけなの」
「ウソだ」
らちが明かないので脇をすり抜けて歩き出す。
「私のことは放っておいて」
けれど空翔はすぐうしろを同じ速度でついてくる。
「んだよ。お前さ、マジでどうしちゃったんだよ。待てって」
「待たない」
「待てってば!」
足を止めると、つんのめる形で空翔もブレーキをかけた。