彼は鼻につく香りの煙草をふかしながら、いかにも面倒くさそうに簡素極まりない持ち物検査をすると、ヤマトに一言こう訊ねた。
「旅人さん、一つだけ質問、いいか。あんたは本当に、この村を正直村だと……そう信じているか? どうだ?」
不可解な質問だ。
「そう信じていますけど、違うんですか?」
ここでうそをついても仕方がないと、ヤマトは正直に訊ね返す。
「そうか、そうか。ならいいんだ。行きなよ、入村を認めよう。好きなように村を見て回るといい。……もっとも、好きなだけ、というわけにはいかないだろうけどな」
意味深長な言葉が続けられ、ヤマトの疑心は深まっていく。
しかし持ち物検査が甘いということは、この村が安全であるということの裏返しでもある。
とはいえ……
「旅人がなんの武器も持たずに旅をしているなんて、ありえないですよ」
軽く中身を覗いただけで返却された巾着型の袋を肩に背負い、検問所の建物から出たところで、ヤマトは思わず、扉の向こうにいる怠惰な番兵に、届くことのない助言をする。
「あれ? 帽子をもらいませんでしたか?」
外で待っていたセナの元へ戻ると、彼女はヤマトを見上げてそう訊ねた。
「帽子? もらわなかったな」
ヤマトが答えるが早いか、今しがた閉じた検問所の扉が勢い良く開き、先ほどの番兵が顔を出して「おおい、旅人さぁん!」と大声で彼を呼んだ。番兵はまるで救助を求める遭難者のように真っ赤な麦わら帽を大きく振りながら、「よそ者はこれを被らなきゃダメだー!」と叫ぶ。
「悪いね、すっかり忘れちまってたよ」
言葉とは裏腹に悪びれる様子のない番兵から赤い帽子を受け取ると、ヤマトはそれをくるりと回して検分した。色以外はなんの変哲もない、ただの麦わら帽だ。
「これを被っていればいいんですね? ずっと?」
「ああそうだ。よそ者はよそ者だと分かるようにしておかないとな。それを被っていないと罰せられるから、気をつけなよ」
「寝るときは脱いでもいいんでしょうね? もちろん?」
ヤマトが軽口を叩くと、番兵は「ああ。枕元に置いてくれればOKだ」と本気か冗談か判じがたい言葉を残し、検問所の中へと引っ込んだ。
ヤマトは頭を掻き、少しでも格好がつく位置を探し、後頭部の浅いところにその帽子を固定させるのだが、そもそもこんな珍妙な色合いの帽子が似合おうはずもない。
「とてもよくお似合いですよ」
思っていたこととは逆のことを言うセナに、ヤマトは「それはどうも」と気のない返事をする。
しかし彼女はいくらか声のトーンを落とし、「うそじゃありませんよ? 正直村の住人は、けっしてうそをつきません」と言葉を付け足した。
……本当だろうか。
ヤマトは旅人には必要不可欠な疑心を、いささか強く働かせていた。だから平和そのものといった面持ちの村人に、「旅人さんかい? ゆっくりしておいき」と声をかけられても、彼には「よそ者は早く出ていけ」と言われているように聞こえたし、セナに「ここは村一番の料理屋さんで、オムライスが絶品なんです。今はまだ朝なので、お店はやっていませんが」と紹介されても、ヤマトにはそこで昼食をとろうという気が微塵も起こらないのだった。
第一、その店の外観は、どこからどう見ても民家そのものだ。
……しかし、かといって、ここがかの悪名高いうそつき村なのだろうか。いや、うそつき村の住人は、ただの一つも正直な言葉を口にしないと聞く。セナをはじめとしたこの村の住人たちの言葉が、全てうそだというのは無理がある。
だからヤマトはまだ基本的には、この村が正直村であると信じていた。
「旅人さん、この村には宿屋というのはないですし、もしよろしければわたしの家に泊まりませんか? 母と二人暮らしで、お部屋は余っています。もちろんお代はいりません」
「でも、迷惑じゃないかな」
「正直に言うと、力仕事をいくつか、頼まれてほしいのです」
「なるほどね」
ヤマトは納得し、セナの家に泊めてもらうことにする。少女の母親は現在病床に伏せっているという話で、二人が家に着くと、ちょうど医師がセナの母親の診察に来ているところだった。
「……おはようございます、先生。もういらしていたんですね?」
「ああ、セナちゃん、帰ったのかね。なに、今日はやけに馬が元気に走ったもんでね。いつもなら、馬車の中で一眠りするんだが」
「旅人さん、こちら、村に毎月回診に来てくださっている、ライラック先生です」
「旅人さんか。初めまして。王都から来た、ライラックだ。この村に回診に来るようになって、もう何年になるか……この村は薬草学に長けた者はいるんだが、医者というのがいなくてね」
医師の言葉に、ヤマトは心の底から驚いた。
「そうなん、ですか……。それで、はるばる王都から……、馬車でとはいえ、さぞ大変でしょう」
「いやいや、村で私を待つ患者たちのことを思えば、苦労なんて一つもないさ」
ライラック医師はそう答えると、首から提げていた聴診器をトランクにしまい、バチンと留め金をはめて立ち上がる。どうやら診察はもう終わっていたようだ。
「安静にしていれば、じきに良くなりますよ」
医師はそう言い残し、ヤマトの頭の上にあるのと同じ赤い麦わら帽を被って、次の家へと出かけていった。
「旅人さん? なにもお構いできませんが、どうぞゆっくりしていってくださいね」
そう言って快くヤマトの宿泊を認めるセナの母親の顔色は、ヤマトの目にはどうしても病人のそれには見えず、やはり村ぐるみで自分を騙そうとしているのではないかと、そう勘ぐらざるをえなかった。
ヤマトは家の最も奥まった場所にある一室を借り、そこに旅荷物を置いて、セナの指示通りにいくつかの力仕事を手伝った。といっても、それは薪(まき)の備蓄を倉庫へしまったり、家具をあちらからこちらへ移動させたりといった程度のもので、それらの作業は正午を待たずして終わってしまう。
「それじゃ、僕は村を見て回ってくるけど、いいかな。本当にもう仕事はない?」
「はい、とても助かりました。……お昼は食べていかれないのですか? ご用意できますが」
「うーん、例のオムライスの店に行ってみるよ。でも夕食はぜひ、ごちそうになりたいな」
「分かりました。夕食は旅人さんのぶんも用意しておきますね。この辺りは陽が暮れるとすっかり真っ暗になってしまいますから、それまでには帰ってきてください」
ヤマトはセナの母親にも挨拶をして出ていこうかと考えたが、わずかに開いていた扉のすき間から、ベッドに横になっているはずのその女性が机に向かいなにやら書き物をしているのを目の当たりにして、結局は声をかけずに出ていくことにした。
代わり映えのしない家々を眺めながら足の赴くままに道を歩いていくと、朝方に通った広場へと行き着いた。
もともと入る気もなかったのだが、件の店は相変わらず看板一つ出していない。ヤマトは民家にしか見えないその建物をひとしきり眺めた後、懐から携行食の乾パンを取り出して口に運んだ。王都で安くまとめ買いした携行食のストックも、残り少なくなってきた。
§
一定の歴史がある村には必ず図書館があり、そこに独自の郷土史が収められている。逆に言えば、図書館のない村に大した歴史はない、ということでもあった。
さてこの村には、レンガ造りの立派な図書館があった。
ヤマトの期待通り、図書館の展示室には親書などの歴史的書物が置かれ、壁には村の大まかな成り立ちを説明する展示、著名な画家が描いたとされる絵画、そして歴代村長の肖像が掲げられていた。
ところどころに「正直村」という文字を見つけることができるものの、それでここが間違いなく正直村であるということにはならない。ヤマトは相変わらず疑い深く、それらを一つずつ検分していった。
『歴史の全てをここに記せるわけではない。』
そんな言い訳とも誠実さの発露ともとれる前置きの年表によれば、正直村の歴史とは、すなわちうそつき村の住人に騙される歴史であった。
うそつき村の住人の流入があって、それが村人を混乱させ、その都度新しい決まりだの制度だのが作られる。多くはそうして騒動が収まっていたが、上手くいかなかったときは決まって魔女狩りのようなことが行われた。
うそつきの嫌疑をかけられた者が、磔(はりつけ)にされて火にあぶられる。あぶられた者は「熱い、熱い」と泣き叫び、それに対して「うそをつくな」と周りがなじる――そんな様子が絵画によって表されていた。
そういった混沌の歴史は、王都から番兵が配備されたことで、一応の収束をみる。入村者管理の徹底により、「この村にうそつきはいない」という共通認識が広まったのだ。
『残酷な魔女狩りが行われることは、もう二度とないだろう。』との言葉で、この村の年表は終わっていた。
平和。それはヤマトには退化であるように感じられた。ちょうど、野性動物が外敵のいない檻の中で飼われ、闘争力を失うのと同じように。
自分はそれが嫌で旅を続けているのだという自覚が、彼の中にはあった。一度旅をやめてしまうと、旅をするだけの気力や体力といったものが、己の中から失われてしまうのではないか。ヤマトはそれを恐れていた。
年表の次には、村の特産品についての展示があった。正直村がある丘の岩壁には多くの黒頭白鷺(こくとうしらさぎ)が巣を作っており、村人は古くからその卵を採って重要な栄養源としていた。
もちろん、少なくない数の村人たちが、崖で命を落としていた。それは現代でもおおよそ変わらない。これに関する絵画も掲げられていた。
男たちはまっすぐに垂らされたロープを頼りに岩壁に張りつき、壁面にこぶのように点在する巣へと手を伸ばしている。女や子供など、体重の軽い者たちは、ロープの先に結ばれた籠の中に入り、壁面に生える山菜を採集していた。
しかしどちらにせよ、運悪く親鳥の襲撃を受けたり、ロープがほどけるなどして転落する者がいた。
絵画の説明書きによれば、『時には、はるか崖下に住まう魔物に足をつかまれることもあった。』とのことだ。
――魔物?
その隣に掲げられている、祭りの様子が描かれた絵画の説明書きにも、「魔物」という言葉が記されていた。
『豊卵(ほうらん)を祝う祭りは、いつからか魔物を鎮めるための重要な儀式となり、人々は燃え盛る薪を次々に崖下へと放った。』
魔物とはなんなのだ?
ヤマトは不思議に思ったが、おそらくなにかの比喩か、あるいは辺境の村特有の伝承の類だろうと結論付ける。
彼が以前訪れたとある山村では、川の上流に三つ首の竜が住んでいるとされ、毎年三人の見栄えの良い少女を生贄として差し出していた。
「なぜ三人なのですか?」
ヤマトが問うと、村を取り仕切る社(やしろ)の神主は、怪訝そうに、「それはまあ、三つ首ですからな」と答えた。
「でも胃袋は一つなわけでしょう。首に胃袋があるのなら、話は別ですが」
続けて神主に問うと、今度は迷惑そうに、「一人や二人だと、三つ首がケンカするわけです。生贄を食べられる首と、食べられない首が出るわけですから」
「するとどうなるんです?」
「三つ首は怒り、村に災いをもたらします」
「待ってください。無事生贄を食べられた首も、怒るわけですか? なぜ?」
「仲間思いなんでしょうな」
予想外の返答にヤマトは困惑する。三つ首の竜は仲間思いなのだ。
……ヤマトはその山村で、一部の村人たちから依頼を受けていた。それは、社に訪れる奴隷商を返り討ちにしてほしいという依頼だった。
「仲間思い……」
ヤマトは呟くように言うと、片手を挙げて合図をし、依頼者の村人たちと連携して、見事に神主を拘束した。そして神主に扮し奴隷商の来訪を待つと、なにも知らずにやってきた三人の男たちにこう告げる。
「遺憾(いかん)ながら、今年は一人分の生贄しか、用意できませんで……」
三人の奴隷商は、弱々しげにそう言うヤマトへの怒りはともかくとして、誰がその生贄を引き取るかで口論を始めた。
そして口論は暴力へと発展し、やがて奴隷商は一人になった。
「あの、誰が引き取っても、同じなのではないのですか」
「違うね。全然違う。俺は自分の取り分さえ確保できりゃあ、それでいいのさ」
奴隷商は仲間思いではなかった。しかしヤマトは彼らを責める気にはなれなかった。三人の生贄の少女のうちから、見せかけの生贄一人を選ぶ段でも、ひと悶着あったのだ。
少女たちも仲間思いではなかった。
不運にも殺し合いの一部始終を見届けることとなったその少女は、奴隷商たちの内輪揉めの決着を契機に、ヤマトの手を振り払って逃げ出した。そしてそれを追おうと意識を逸らした奴隷商の脚を、ヤマトは隠し持っていたナイフで正確に切りつけた。
全てが終わった後、村人たちはその生贄の少女たちを、三つ首の竜をいさめる新たな社の主、「三人巫女」として祭り上げた。
彼女たちは永遠に生贄なのだ、とヤマトは思った。再び三つ首の竜が村を訪れたとき、村人は彼女たちを生贄として差し出すのだろう。
§
夕暮れにセナの家へと戻ると、生贄でも巫女でもない少女は夕食の準備をしているところだった。
「お帰りなさい。どこか良いところはありましたか?」
どこか良いところ。それは具体的な場所を指すのか、長所という意味なのか、あるいはその両方か。
ヤマトは思案するが、どのみち彼は図書館にしか行っていなかった。
「図書館はとても良いところだったよ」
「図書館、ですか。なにか研究をされているのですか?」
「研究?」
「図書館は、調べものをするときに行くところですから」
「そういうものかな。確かに僕も、この村の郷土史が目当てで、図書館に行ったのだけれど」
「でしょう」
セナは鍋の中身をゆっくりとかき混ぜながら言う。
そういえば、あの図書館にあったのは実用書ばかりで、子供を一人も見かけなかった。
「もしかして、この村では空想小説の類が禁止されているの?」
「空想小説……『うそ物語』のことですか? はい。昔うそつき村の住人が、この村でそういった本を売り始め、一時は村中で大流行したらしいのですが、それらの物語がうそであると分かって、うそ物語は禁止になった……と、そう教わりました。『虚構物頒布(きょこうぶつはんぷ)禁止の令』といって」
「そういえば、郷土史年表にそんな法令の名前が書かれていたような気がする。あれはそういう法令だったんだ」
「はい。……まもなく夕食の準備が整いますので、母を呼んできていただけますか?」
「分かった」
セナの母親の部屋の扉は、ヤマトが出かけたときと同じく、ほんの少しだけ開いていた。
彼女は部屋の壁際に置かれた机に向かい、てきぱきと針仕事をしていた。
ヤマトが声をかけると、母親は慌てた様子で振り返り、彼の姿を認めて安堵したように息を吐く。
「なんだ、旅人さんだったの。あの子かと思ったじゃない」
「横になっていなくてよいのですか?」
「もうほとんど大丈夫なのよ。あの子は寝てなさい寝てなさいって言うけど、寝てばかりいたら体力が落ちて、治るものも治らないと思わない?」
「そうかもしれませんね」
「片付けをしたら行くわ。ありがとうね」
まるで『鶴の恩返し』みたいな慌てようだったな、とヤマトは思ったが、それを口にするとうそ物語の頒布者になりかねないので、彼はなにも言わずに台所へと戻った。
その代わり、ヤマトは夕食中、親子に旅の話をした。
変わった村、変わった人、変わった土地、変わった動物の話を選んで話す。そういう変わった話ばかりしていると、「旅人は変わった村にばかり行っている」あるいは「他の村は変わった村ばかりなのだ」という誤解を往々にして招くことになるのだが、平凡な村の話をしても仕方がない。
娘はヤマトの話を夢中になって聞き、母はしきりに「それは本当の話なの?」と彼に確かめた。
それは疑っているというニュアンスではなく、一種の感嘆を表すフレーズのようだった。
夕食には、見たところ黒頭白鷺の卵は使われていないようだった。それはこの家に父親がいないことと、なにか関係があるのかもしれない。
そして夜がやってきた。部屋へ戻ったヤマトは早々にベッドへ倒れ込んだが、なかなか寝つくことができない。
身体は申し分なく疲れている。しかし意識が遠のきかけると、自分が眠るベッドの脇にあの親子が立ち、嘲るような口調で、「……くすくす、おかしい。旅人さんはもうすっかり、ここを正直村だと信じているみたい」と言って笑う――そんな夢にも似たイメージが浮かんで、どうにも眠れなかったのだ。
夜風にでもあたろうかと思い、ヤマトが部屋を出たとき、ちょうど廊下にはセナが立っていた。
「旅人さん? どうかされましたか?」
「いや、寝つけないから、少し散歩でもしようかと思っただけだよ。……それは?」
「ちょっとしたお菓子を作ったのですが……いかがですか?」
「おいしそうだね。散歩しながら食べさせてもらうよ」
ヤマトはセナが持つ盆の上からまだら模様の焼き菓子が盛られた皿を受け取ると、それを袋に移し替えた。独特な香りのする焼き菓子だった。
「あ、旅人さん。夜中はまれに、森から入り込んだ狼がうろついていることがあるんです。なので、念のために用心棒を……ちょっと、待っていてくださいね」
用心棒などと言うから、この家では番犬でも飼っているのだろうかとヤマトは考えたが、セナは台所から文字通りの長い棒を持ってきた。それはかまどの火を調節するときに使う木の棒で、先のほうが黒く焼け焦げていた。
「ありがとう、でも大丈夫。これでも旅人だからね、武器はたくさん持っているよ。検問所の番兵さんには内緒だけれど、わりといくつも持ち込んでるんだ」
そう言ってヤマトは懐に隠し持っていた折り畳み式のナイフを取り出す。
「ナイフで狼と戦えるのですか?」
「戦える戦える。スパーンと投げてグサーだから」
ヤマトはおどけたような身振りを交えてそう答えたが、セナはすっかり信じた様子で、「旅人さんはお強いのですね。……失礼しました。でもそんなに強いのでしたら、それこそ用心棒も務まりそうです」
「かまどの火はつつけないけど」
ヤマトはそう冗談を言い、セナに見送られて外へ出た。
人家から漏れる灯りはどれも頼りなく、昼間にセナが言っていた通りの暗闇が辺りを覆っていたが、頃合い良く雲間から顔を出した月が、おぼろげにヤマトの行く先を照らしていた。
ヤマトは袋の中の焼き菓子を一つつまんでかじる。まろやかな風味が口の中いっぱいに広がった。
なるほど、これが黒頭白鷺の卵の味なのだな。とヤマトは直感的に理解した。
いったいこれまで、どれだけの村人が崖で命を落としたのだろう?
……そういえば、あの赤い麦わら帽を被ってくるのを忘れてしまった。ヤマトはそのことに気付いて悠長に頭へ手をやる。わざわざ戻る気にもなれなかった。
ヤマトの足はすでに広場までたどり着いてしまっていた。特にそこを目指して歩いていたわけではないのだが、比較的大きな通りを歩いていると、自然と広場へと行き着くようだ。あるいは、広場への道が自然と他よりも大きな道となったのだろう。
人通りの乏しい夜半にも、広場には開いている店が一つだけあった。
それはセナが「村一番の料理屋」と評したあの店だ。
やはり看板一つ出ていないが、店内から漏れる温かみのある灯りと陽気な話し声で、ヤマトはようやくそこが開店中の飲食店であると信じることができた。
しかしなにしろこんな時間だから、身内のみの集まりということも考えられる。やけに重く感じる店のドアを、それでもヤマトはゆっくりと開けた。
「らっしゃい。……あんた、見ない顔だな」
大柄な男店主がやや警戒を交えた声で言う。よそ者なのに、なぜあの帽子を被っていないんだ? と、そう言っているようにも見える。
「ええ、旅人です」
「帽子をもらわなかったか? 検問所で」
「帽子?」とヤマトが訊き返すと、店主は「はっ、番兵の怠(なま)けぶりにも困ったもんだ……」とどこか諦観(ていかん)したように呟いた。そして客に出そうとしていたはずのジョッキをくっと豪快にあおってみせる。
「そうだそうだ。だいたいさ、あんなにしっかりした柵があるっていうのに、村に狼が出るなんてのがおかしいんだ。門だよ。番兵の奴らが、夜にちゃんと門を封鎖していないのさ。だから狼が入ってくる」
テーブル席の酔客がそう大きな声で愚痴を言う。
入店を拒んでいるというふうではなかったので、ヤマトは丁重にドアを閉め、落ち着かない様子で店内を見回すことで、自分は純真無垢な旅人であるというささやかな主張を試みた。
木製の不揃いなテーブル三つと、黒い漆の塗られた高級そうなカウンターテーブル。ヤマトはカウンターの真ん中の席を選び、店主と正対した。やけにイスの背が高い。
「狼、そんなに頻繁に出るんですか」とヤマトが店主に訊ねる。
「みたいだな。見たわけじゃないが、見たって言ってる奴がいるから、まあ出るんだろう」
「なるほど」