超能力者と魔女と雪女が推しを守る十五分間

 舞台裏にたどり着く。
 関係者限定の入り口では、警備のひとたちが目を光らせている。

 ステージでは、バラードが始まっている。曲調に合わせてだろうか、反射するライトの色はブルーやグリーンが目立ってきたけれど、やっぱり、アツシくんのレッドもしっかり存在しているのだった。
 みんな、ゆったりとした音楽に合わせてサイリウムを振っているのだろう。今年が終わることよりも、推しと過ごせる時間のリミットが刻一刻と迫っていることを惜しみながら――。

「さて、どうするんです?」
「薬品を使うわ」
「おおっ、魔女っぽい!」
「や、薬品って……どんな?」

 恐る恐る、私は尋ねる。

「認識を歪める薬よ。より正確には、自分たちに振りかけることによって、他者の認識を歪める――ということね」
「認識を……歪める?」
「いまの私たちは、警備員や関係者にとっては不審者でしょう。でもね、認識を歪める薬を使えば、あら不思議――私たちは『そこにいるのが自然な者』になるの」
「そこにいるのが、自然な者……」

 ただただ、可憐さんの言葉を反芻してしまう。

 可憐さんは魔女だ。
 だから、言葉通りの薬品をほんとうに作れるのだろうけれど……話の次元が違いすぎて、ちょっと、あっけにとられてしまった。

「ふむ……よさそうですね。ただ、薬品を作るとなると、だいぶ時間が必要ではありませんか?」
「任せておいて。この公園って、とても広いでしょう。その上、実はいろんな種類の植物が生えている。魔女の薬品作りに重宝するの――今日も持って帰ろうと思って、ひと通りの植物を頂戴してきたわ。大地の精霊に許可を得て、この公園の生態系と自然を壊さない程度にね……」

 可憐さんは、すっ……と懐からいくつもの植物を取り出した。

「すぐに作れるものですか――」

 瞳子さんの言葉は、すぐに途切れた。
 可憐さんが懐から魔法瓶を取り出して、植物をちぎって入れ、魔法瓶を振るという――手慣れた素早い手つきであっというまに薬品を調合してしまったからだ。
 ……とろりと、ピンク色の液体。

 おおっ、と瞳子さんは言って、ぱちぱちと拍手する。
 私も、ぱちぱちぱちと拍手して、思わず聞いてしまう。

「ど、どうやってやったんですか?」
「この魔法瓶のなかには、精霊の力がつねに溜まっているの。むかし、大自然の精霊たちにはお世話になってね……いまでも力を貸してもらっているのだわ。……振りかけるわよ」

 魔法瓶は香水瓶のような形をしている。
 可憐さんは、私たち三人にピンク色の液体を香水のように振りかけた。甘いハーブのような、いい香りがする。

「この香りをまとっていれば、大丈夫。行くわよ」

 大丈夫、大丈夫なんだろうけれど……どきどきする。
 でも、可憐さんは既につかつかと舞台裏の入り口に向かっているし、瞳子さんも躊躇なく向かうしで、私もワンテンポ遅れておふたりに倣うのだった。
 舞台裏の入り口。
 お疲れさまです、と警備のひとが言った。

「おつかれさまですー」
「どうも、通らせてもらうわね」

 瞳子さんと可憐さんは、軽く会釈なんかして平然と警備員さんの脇を通り過ぎていく――そうか。お疲れさまです、という警備のひとの言葉は、私たち三人に向けられていたのか。

 舞台裏は慌ただしく動いている。行き交うひとたち、すべてが忙しそうだ。

 私たちは、疑われずに舞台裏をどんどん進むことができた。
 とはいえ……周りのひとにバレることはないと頭ではわかっていても、小心者の私はどうしてもおどおどしてしまう。
 おふたりは、堂々としていてすごい。

 舞台裏から奥に向かいながら、ふと思ったんですけど、と瞳子さんがいたずらを思いついた子どもみたいに言い出した。

「といいますか可憐さん、この薬があればアツシくんに近づくこともできるのでは? そばにいるのが自然な者として?」
「あ、貴女なに言ってるのよ。アツシくんに対して、認識を歪ませる薬を使うなんて、そんな……そんな……恐れ多いこと、できるわけないでしょう?」
「ふむ。私でしたら、あの手この手を使って推しに接近するのもありだと思ってしまいますけれどね」

 ……たしかにそうか、アツシくんに薬を使えば、たとえば、友人や……恋人みたいなポジションになれる?
 すごい薬だ。
 でも、たしかに……。

「私も、アツシくんにはこの薬は、使えないかもです……」
「でしょう? 彼女の言うことのほうが正しいわよ、貴女」
「そうですかねー」

 瞳子さんは、子どもみたいに唇を尖らせていた。

 それは、それとして。
 どんどんまっすぐ進んでいって、すぐに舞台裏の――まさにステージの裏側に、たどり着いた。
 眩しい舞台ではバラードが続いていて、アツシくんも感情を込めて熱唱している。
 推しとこんなに至近距離にいるなんて……恐れ多い。

「おおおっ、感動です。アツシくんが、こんなに近くに……」
「世界の奇跡よ。こんなに近くで同じ空気を吸っているなんて」
「アツシくん……尊い……」

 そばを通り過ぎていくスタッフさんが、怪訝そうな顔をする。私たち三人は、一斉にはっとした。
 怪しまれないよう、関係者のひとたちが慌ただしく動く舞台裏の暗がりに寄る。

「……え、えっと、と、とりあえず、爆弾をどうにかしないと、ですよね」
「……そ、そうよね。それで爆弾はどこにあるの」
「えっと、年越しの瞬間にバァンとなるステージの真ん中……ただ、まだそれ以上のことは読み取れていないんですよね。ちょっと待ってください。読み取ります。えいやっ」
「……貴女、能力を使うときに、そんな掛け声かけていたかしら?」 
「いえ。テレパシーに掛け声などは必要ありませんので。ですが、大事な大事なここ一番のときですので気合いを入れるため――あっ、ちょっと待ってくださいっ。犯人の思考に、つながりました。……聞き取りますので、すみませんが少し集中させてくださいね」

 瞳子さんは、目を閉じる。
 その顔は真剣そのものだ。

「……いや……違う……そんなことは、どうでもいい……あなたの恨みつらみとか、どうでもよくて。そうじゃなくて。爆弾の場所を……動機じゃなくて、爆弾の場所を考えろっ……!」

 ステージではバラードが大サビに差しかかり、舞台上に物干し竿のようにかけられたクレーンのような形の装置からキラキラのテープが降ってくる。きゃああっと歓声が起こる。テープをゲットしようと、一万人ものファンがみんなぴょんぴょん跳ねて手を上に伸ばしている。
 瞳子さんの顔色が変わった。

「わかりました! 舞台上の装置です――」
「犯人、爆弾のことを考えたのね?」
「はい。良いタイミングでした」
「……で、でも、舞台上の装置って」

 私はおそるおそる、爆弾があるという場所を、見る――というより、見上げる。

「あんな、高くにあります……」

 瞳子さんと可憐さんも、その場所を見上げる。

 十メートル以上はありそうな、あんな高い場所に――爆弾が、仕掛けられているなんて。
 ……あんな高いところに仕掛けられている爆弾、解体するといったって、手が届くわけがない。
 空でも飛べなければ。

 そう――空でも、飛べなければ?

「可憐さん、飛べますよね? 魔女なんですから」
「当たり前のように言わないでよ」

 瞳子さんの安心したような顔と裏腹に、可憐さんの顔色は悪い。

「えっ、飛べないんですか? 魔女なのに?」
「飛べる、飛べるわよ。でも、今日は……乗り物を持ってきていないの」
「あっ、魔女だから……ホウキってことですか?」

 そういえばと気がついて、私は言った。
 考えてみれば、魔女にはホウキだ。どうして気づかなかったのだろう。

「なんだかんだ言っても、ホウキが一番ね」
「清掃用具が置いてあるような場所があればいいんですよね。周辺の関係者のちょっと待ってください。みなさんの思考を読みます――」

 瞳子さんは少しのあいだ、黙り込む。

「……うーん。掃除用具置き場は、すごく遠そうです。このライブ会場自体が仮設のもので、掃除用品置きが均等に配置されているわけでもなさそうですね。一か所に集められてしまっているみたいですが……走って取って戻ってきても、軽く十分はかかりそうな場所にありますね……爆発の時間に間に合いません」
「他のものでも、飛べなくはないけれど、そうね……自転車をイメージしてちょうだい。自転車に乗るならば、自分の体格に合った普通の自転車が一番。子ども用の三輪車や高度な技術の要る二輪車では、存分に走れないでしょう?」

 ふむ、なるほど、と言って瞳子さんはうなずいた。

「でも、走ることはできる――と、解釈していいんですかね」
「まあ、そういうこと。三輪車や二輪車のようなホウキ以外の乗り物に、二度乗るのはごめんと思っていたのだけれどね」

 可憐さんは髪を掻き上げる。

「飛びづらいのは承知しましたが、可憐さん、飛んでもらうしかありません!」
「ええ、わかっているわ……これもまた宿命ね。それで――今宵の私の乗り物は、いったいなににしましょうか?」
「ホウキ

「これ! これなんか、どうですか!」

 瞳子さんは興奮ぎみに――ご自分の手作りのサイリウムを、取り出した。
 それはそれは、巨大なサイリウムだ。ホウキくらいのサイズは軽くありそうな。

「私の特大サイリウム! これ! これで、飛んでください!」
「はああああっ?」

 可憐さんの大声に、慌ただしくライブを進行させている周りのひとたちが怪訝そうな顔をする。

「ちょっと、あなたたち、持ち場はどこですか?」

 明らかに関係者らしきひとに話しかけられてしまった。

「あ、いえ、その、持ち場は……ここでーす!」
「大丈夫なのよ、ええ、いま指示待ちというか、とにかく私たちここにいなくちゃならないの」
「そうですか……もうすぐクライマックスです。気を抜かないようにお願いしますよ!」」

 みんなそれぞれ忙しいのだろう、瞳子さんと可憐さんの即席の返答にも関係者のひとは納得して、ばたばたと自分の仕事をするため走り去っていった。

「可憐さんっ、どういうことですか。認識を歪ませる薬は効いているんですよね?」
「もちろんよ。認識を歪ませた結果ここにいるひとたちに私たちが関係者に見えているのなら、サボったりしていないか注意もするでしょうよ」
「っていうか、っていうか、いまみたいなこと二度あったら困りますから!」

 瞳子さんは、舞台裏の壁掛け時計をちらりと見る。

「あと、八分で――爆発しちゃうんですよ? そうしたら、アツシくんは、シャイニングのみんなは、一万人のファンのみんなはっ!」
「ああ、うるさいわね、言われなくたってわかってるわよ! 私だって――アツシくんが、ど、どうにかなるのは、……絶対に阻止したいに決まってるじゃないっ!」
「と、と、瞳子さん。か、か、可憐さん……」

 白熱しているふたりは、一斉にこちらを見た。
 一瞬、怯むけれど――でも、いまはおふたりに落ち着いてもらわなくちゃ!
 こんな話をしている暇はなくて……可憐さんに、どうにか飛んでもらわなきゃいけなくてっ……。

「お、お、落ち着いてくだ……くださいっ……あ、あ、アツシくんを、ま、ま、守りたいのは私たちみんな――いっしょじゃないですかっ!」

 おふたりは、一瞬きょとんとして――。

「……あははっ」

 可憐さんが急におかしそうに笑ったので、面食らった。
「……ああ、ごめんなさいね。そんなに怯えなくたっていいじゃない、って思っちゃって」
「あ、す、すみません……」
「……謝るのはどちらかというと、こっちね」

 可憐さんは、瞳子さんに向き直る。

「そうね。……瞳子。悪かったわ。認識を歪ませる薬も万能ではない。時間がなくて説明できなかったとはいえ、不測の事態が起これば貴女も焦るわよね」
「……いえ。私も、犯人の思考を読み取るのに精いっぱいで、可憐さんの思考を読み取り理解する努力を怠っていましたので」
「そこまでしなくたって、いいんじゃないの? 詳しい説明を省いたのは私だし」
「いえいえ。テレパシストとして、私は常に他者の思考を読み取っておくべきでした。私、めんどくさがりなんですよね……よく組織からも怒られるんですよ」
「わかる、瞳子ってそんな感じするわよね」
「ええー、そうですかあ?」
「……それと、まふゆも」
「はひっ」

 急に名前を呼ばれて、変な声が出てしまった。

「ありがとうね。私たちを落ち着かせようと、声をかけてくれたのでしょう」
「え、そ、そんな――」

 大丈夫です、なんか、すみません。

「可憐さん、笑うと笑顔がとっても可愛い……」
「あらあら、ふふふ。まふゆさん、声に出す言葉と心の声が動転して反対になっちゃってますよ?」
「えっ、あっ、ほんとだ――」

 恥ずかしい。
 でも、見ると可憐さんも恥ずかしそうな顔をしていた。

「……ちょっと、やだ、それって本音ってこと?」
「まあ、そうなりますね。私、テレパシストですので。可憐さんの笑顔は可愛いと、私も思いますよ? なんか、意外とあどけなくて?」

 瞳子さんはニヤニヤしている。

「もう、貴女まで……いやだ」

 可憐さん。初対面の黒ずくめで険しい印象とは違って、可愛いひとなのかもしれない。
 そして、瞳子さんも瞳子さんで……眼鏡の似合う切れ者美人でもあるのだけれど、性格や話しぶりは和ませてくれるほど可愛かったりもして、素敵だ。
 おふたりとも、いい意味でギャップがあって……素敵だなあ。

「ふふふ、心を読みました。喜んでくださったみたいで――そして、私に親し気な感情を覚えてくれたみたいで、よかったです。まふゆさんも……瞳子さんも可愛い、なんて思ってくれて、ありがとうございます。ふふ。まふゆさんこそ、可愛いと思いますよ」
「ひっ、あっ、そんな」
「……うん。まふゆは、可愛い。なんか憎めないっていうのかしらね……」
「……そ、そんなこと、ないです」

 私は慌てて両手を振った。嬉しいというより、動揺している。
 可愛いなんて、言われたこともなかったから……。

「――と。お互いを褒め合う合戦は、爆発を無事に阻止できてから開くことにしましょう――とりあえず爆弾を取りに行かねばなりません。可憐さん、私のサイリウムで飛んでくださいますか?」
「簡単に言ってくれるじゃない。サイリウムに乗って飛ぶなんて聞いたことがないわ、難易度が桁違いよ。でも、ええ、やってみるわ――人生それなりに生きてきたけれど、サイリウムに乗るなんて初めてだわ。ホウキがなかったとしたら、せいぜいが、モップだったからね……!」

 もちろん、爆弾を阻止するのはまだまだこれからだけれども。
 私は、とりあえずほっとした……可憐さんと瞳子さんが、言い合いを続けなくて、よかった。

 可憐さんは、瞳子さんの巨大サイリウムを握って見つめる。

「この子が――瞳子から貸してもらったサイリウムが私の魔力に呼応してくれるか、試してみるわ。なるべく早く飛べるようにするけれど、ちょっとだけ時間を頂戴」
「私が自分で無茶振りしておいて何ですが。やっぱり難しいんですね、サイリウムで飛ぶのって」
「ホウキというのは私たちと精霊的な対話ができやすいようにできているの――わかりやすく言えば、つまり、魔力を込めやすいのよ。モップはギリギリね。形がホウキに似ているからまだ、魔力を込められないこともない。でも……サイリウムはね……。でも、アツシくんのためだから」
「そうです、アツシくんのためです。頑張ってください、可憐さん!」
「頑張ってください……!」
「ええ、言われなくとも。――少し集中するわね」

 可憐さんは、巨大なサイリウムを杖のように両手で立てて、目を閉じるとなにかぶつぶつ聞き慣れない響きの、呪文のようなものを唱え始めた。

 ステージでは、バラードが佳境を迎えている。
 ゆったりとしたテンポの情緒的な響きに合わせて、シャイニングのメンバーひとりひとりが感謝の言葉を述べる……。

「みんなの気持ちが、俺のもとに届いてるよ、ありがとう、ありがとう」

 アツシくんの言葉が、耳もとに届く。大好きな大好きな推しの、感極まった、尊い声。
 ……もうすぐ、バラードは終わるはずだ。

「……でも、あの、爆弾ってステージの真上にあるんですよね。ライブ中に可憐さんが飛んでいったら、怪しまれるでしょうし、可憐さんの正体もバレちゃう――」
「ええ、それなんですが。どうも可憐さんは認識を歪ませる薬も使えるみたいですし、もし時間があれば、薬を大急ぎで調合していただいて空からライブ会場に振りかけてもらったかもしれないです。一万人の認識を歪ませることなど、可憐さんほどの魔女であればちょちょいのちょいだと思うので。でも、いまは時間がないですし、そもそももっと良い方法があるじゃないですか」
「もっと良い方法、ですか……?」
「まふゆさん。雪女の、あなたの出番ですよ」

 瞳子さんは、にっこり笑った。

「私の組織での経験上、爆弾は冷気で凍ってしまうものです。可憐さんが爆弾を持ってきてくれますから、爆弾を、ちゃちゃっと凍らせちゃってください――あなたの持つ、世界のバランスを崩すほどの、魔女にも組織にも理解の及ばない雪女の氷の能力で」
 私が、爆弾を凍らせる――。

「……それは、氷の力を使って、ということですよね。爆弾を、わ、私のところに持ってこなくたって……もっと、別のやり方も……」

 瞳子さんは、眼鏡越しの瞳で私をじっと見た。

「まふゆさん。あなたは、アツシくん推しですよね?」
「……はい。それは、もちろん」
「アツシくんを、助けたい――そうですよね?」
「もちろん……」
「では、どうして――ここにきて、躊躇うのですか?」

 瞳子さんは、こちらをまっすぐに見つめてくる。
 それはおそらく、責めているわけではなく、ただ問うているだけの静かなものだった。

 唇を噛む。痛いほどに。
 ……ひとを凍らせてしまった記憶は、私のなかでも凍らせていた。

「……無理、ですよ……」

 アツシくんを爆弾から守りたい。
 もちろん、その気持ちは本物に決まっている。
 アツシくんのおかげで私はどれだけキラキラした感情をもらえたか。毎日、どれだけ励まされていることか。

 助けたい。だけど……だけど。
 私には、無理だ。
 能力をまともに扱うこともできない、駄目な雪女の私では……。

「全部を、凍らせるならまだしも。爆弾だけを、ピンポイントで凍らせるなんて……」

 はっ、と口をつぐんだ。
 それは、あの日の記憶。
 氷になりかけた友達と、どうにか助かったあとの彼女に言われて凍りついた私の心――。

 瞳子さんの瞳が、すうっと細められる。
 ああ。逆に、どうしていままで気づかなかったのだろう――瞳子さんはきっとこれまでもこうして、他人の思考を読み取っていただろうに。

「……すみませんが、緊急事態なのでまふゆさんの思考を読み取らせていただきました。私のテレパシーの能力は、他人の思考がダイレクトに伝わってくるものです……言語的思考だけではなく、想い出の映像や、感情も……まふゆさん……氷の能力で、大事に思っていたひとを凍らせてしまったことがあるのですね」

 そう。
 その通りだ。

 制服を着ていた時代のことだった。
 引っ込み思案でぜんぜん友達ができなかった私にも、友達ができた。彼女はとっても明るくて、無邪気で……太陽そのものみたいな子だった……。

 あの子の友達は私だけじゃなかったけれど、すくなくとも、クラスでいっしょに過ごす友達ポジションとしてあの子は私を選んでくれた。

 クラス替えの季節から、春夏秋冬をいっしょに過ごした。
 いっしょにテスト勉強をしたり、タピオカを飲みに行ったり、ひと晩じゅうスマホで通話したりして……楽しかった。
 あの子といっしょにいるだけで、世界がキラキラした……。

 あの子はいつでも私を喜ばせてくれた。
 だから。私も、あの子を喜ばせたいと思った。
 プレゼント。頑張って取った授業のノート。そんなの要らないよとあの子はいつも言ってくれた。私たち友達じゃないの、ねっ、まふゆちゃん、って少し困ったように笑っていた。

 でも、足りないと私は思っていた。
 もっともっと、なにかをあげなきゃ。

 そうじゃないと、友達が他にもいるあの子の特別な――親友には、なれないと思った。

 だから、あの子を呼び出した。
 寒い寒い季節。雪女の、得意な季節に。

「……わかります。まふゆさん、べつにその子を――悪意で、凍らせたかったわけじゃないんですよね。ただ。……喜ばせたくて」

 まふゆちゃん、また、寒そうな格好してる。
 冬になってから何度言われたかわからない言葉をまた言われて。
 それで、どうしたの? こんな寒い夜に、他のひとにはだれにも伝えずに丘の上に来てほしいなんて。
 あの子は、思い返せばそうだ――笑っていたけれど、困った顔を、していた。呼ばれた時点でほんとうは、……不審に思っていたのだろう。

「……喜ばせたくは、あったんです。でも、結果的に」
「そうですね」

 瞳子さんは、それだけ言った。
 私の思考をそのまま読み取っているのならば――わかってしまっただろうに。

 私が、友達だったあの子を、殺しかけてしまったこと。

 今年はまだ雪を見てないねえ。雪、降ってくれればいいのに。
 それは、私があの子を呼び出すきっかけになった言葉。
 しみじみとそう言ったあの子に、勢い込んで私は聞いてしまった。
 雪、好きなの?
 あの子は面食らったような顔をしたけれど、すぐに親しげに笑った。
 雪って、きれいじゃん。寒いけど。嫌いなひとって、いないんじゃない? ああ、そうだ。むかし家族で北のほうの雪まつりに行ったの。なにもかもが氷でできていて、きれいだったなあ……また雪が積もっているのを見たいなあ……。

 それは彼女の、あくまでちょっとした雑談だったに違いないのに、あのときの私は、そんな簡単なことさえわからなかったのだ。

 雪が、きれいな季節なのだ。冬は、言わずもがな。
 見せてあげたい。プレゼントしたい。――特別な雪景色を、あの子だけに!

 いまにして思うと、熱がこもりすぎた気持ち悪い考えだけれども、まだ、気持ち悪いだけで済めばよかった。

 寒い晩に理由を告げずにわざわざあの子を呼び出して、近くの丘の上に連れ出して――結果、私がしたことと言えば、友達の殺人未遂。

 暗くて、あたりが一面凍りつくなか。
 救急車や警察の車が、たくさんやってきて。
 あの子は意識不明で。あの子の家族は、泣いていて。
 その場にいたみんなが寒そうにしていたけれど、雪女の私は、やっぱり寒さを感じることができなかった。

 一命をとりとめたあの子は、私がいくら違うと言ってももう話を聴いてくれなくて……雪も冬も、怖くて、大嫌いになってしまって。凍傷や、凍傷のせいで起こった症状で入院したあの子のもとに、何度も何度もお見舞いに行ったけれど……最後にはあの子のお母さんに、申し訳なさそうに言われた。

 ごめんね、まふゆちゃん。まさか、うちの子が言うように、まふゆちゃんが恐ろしい雪女だったなんて私は思っていないけれど……死にかけたトラウマのせいで、気が立っていて、その、もう、……まふゆちゃんに会うのもつらいみたいなの。
 いままで、うちの子と仲よくしてくれて、ありがとう。
 うちの子のことは忘れて……新しい、いい友達をつくってね。

 それは、つまり、さようなら――ということだった。

 あんなに仲がよかったのに。終わるときには、あっけなかった……もちろん、私が悪いのだ。私は力の制御ができなくて、どんどん凍りつく世界のなかで、なすすべもなくて――あの子は、どれだけ怖かっただろう。

 私は、それから友達ができなかった。
 もともと友達のできない性格だったのだ。あの子が、はじめての友達だったのだから。

 そのまま私はひととの距離を縮めることを恐れて――大学生というこの歳まで、きてしまった。

 瞳子さんが言う。

「能力を暴走させてしまうのは、よくあることですよ。……とか言っていいのか、わかりませんけれど。超能力者なんかやっているとね、能力を暴走させてしまうひとを組織でいっぱい見てきました……それこそ、身近なひとを傷つけてしまったりですとかね、それはそれはいろいろ……ありますよ」

 瞳子さんは、遠い目をした。

「悔やむものです。悔やめている超能力者は、いい超能力者に成長するものです。キツい失敗が続いたとき。自信をなくすとき。私は、いつも思うんですよ。アツシくんの言葉を――無理なことなんて、なにもない、って。たくさんの苦労を乗り越えていま、輝いて言っている彼の言葉を」

『無理なことなんて、なにもない』

 ……そうだ。たしかに。
 アツシくんの――口癖、名台詞だ。

 瞳子さんは、不器用にも、優しく笑う。

「ね? アツシくん推しなら、わかるでしょう」
「……はい。もちろん。アツシくん、よくそう言ってますもんね」
「でも――でも、ほんとに、できるかわからないんです。また、すべてを凍らせてしまうかも……」
「可憐さんも。サイリウムで飛ぶなんてできるかわからないですけれど、やろうとしてくれています」

 可憐さんは、集中してサイリウムに魔力を込め続けていたけれど、ふと目を開けた。……力強い不敵な笑顔だけれど、必死で頑張りすぎているのか、冷や汗が出ている。

「……なんか、いい感じに話のたとえに使ってもらっているところで申し訳ないんだけれども、バッドニュースよ。……サイリウムでいま、飛ぶのは無理。空の精霊に呼応するコアをこの子は持っていない――この子は、サイリウムという、ひとを応援するために創られた存在。瞳子の熱い想いもこもっている……つまりは、炎の精霊にすでに愛されてしまっているのよ。炎の精霊に呼応する子を空の精霊に呼応させるのは、難しいの――すくなくとも七日は時間が要る」
「それは、つまり……?」
「いまは諦めたほうがよさそう、ってことね」
「ええっ、ちょっと、可憐さん。自信ありげに言っておいて、できないんですか?」
「けれどもちろん、爆弾は止めるわ。大丈夫よ」
「どうやって――」
「サイリウム、いったん返すわ。飛べなくて、ごめんなさいね。この子にも無理を言ってしまって」

 可憐さんは、なかば呆然とする瞳子さんにサイリウムを返す。

「私たち宿命を背負った者たちは、連携して魔獣を倒すこともよくある。各々、愛してくれている精霊が違ったりするから。やれることが、みんな違うのね。普段は孤独を愛する者が多い私たちだけれど、必要とあれば力を合わせるわ。だれかができないことを自分がしてきたこともあったし、自分ができないことをだれかにしてもらったこともあった」

 可憐さんは、私に向き直る。

「今回は、私ができなかった。本当にごめんなさい――そして、さっきのまふゆの話も実は聞かせてもらっていた。けれど、このまま諦めるわけにはいかない。まふゆ。だから、あなたに、お願いしたい。……爆弾を凍らせて、アツシくんを、みんなを救って」

 そう言って、可憐さんは……私に向かって頭を下げた。
 ドレスみたいな黒ずくめの服で、貴族みたいに、まっすぐ、きれいに。

「私からも、お願いします、まふゆさん。貴女の稀少な能力を、どうか貸してください」

 瞳子さんまで……頭を下げた。
「……やってみたいです、私」

 ぽつりと漏らすように言うと、瞳子さんと可憐さんは顔を上げて静かに、嬉しそうな表情になった。

「アツシくんを、助けたい……」

 このままだと、爆弾が爆発して、アツシくんは死んでしまう。

「でも。でも。――でも」

 私は、こぶしを握りしめる。

「ほんとに、私、力の使い方が下手なんですっ……爆弾だけを凍らせるなんて、できません。きっと、ここにいるみんなを凍らせてしまう。……死にかけるまで」
「ふむ。まずは、やる気になったまふゆさんの能力の分析を行わねばならないかもしれませんね」
「ちょっと私は、調べものをさせてもらうわ」

 可憐さんは、ポケットからなにやら分厚い古文書のようなものを取り出して、目にも留まらない速さでページをめくり始めた。

 瞳子さんは、私をハキハキと質問攻めにする。

「――まふゆさん。確認ですが、あなたの能力とはまず、物や人を凍らせること」
「そうです」
「狙ったものを、ピンポイントで凍らせることはいまのところできない、と」
「もっとすごい雪女であれば、できるのかもしれませんが……私にはできないです」
「それは、いままでずっとそうでした?」
「いままで、ずっと……というほど、力を使ってきていないかも、です。力を日常的に使っていたのは、ずっと昔の小さなころに、山奥の雪女の集落で暮らしていたころだけで……育ての親にあたる雪女が人里で暮らす決心をして山を下りるのに伴って、私も人間社会で暮らし始めてからは、それこそ……と、友達を、凍らせてしまったときだけで……」
「ふむ……なるほど。人生で何度くらい、雪女の力を使ったことがありますか?」
「幼いころは雪女の村にいましたから、日常的に使っていました……私たち、とても暑がりなんです。温度がマイナス十度くらいになると、やっと快適に過ごせる感じで……だから、冬でも温度がゼロ度以上とかだと、みんなで力を使って冷やしていました」

 懐かしい。なにもかもがいつも凍っていた、山奥の村。

「それには、まふゆさんも参加を?」
「はい、いちおう。周りをただ寒くするだけでいいから、楽でした。その程度の力であれば、幼い雪女も使えます」
「他の雪女の方も、そのような力の使い方を?」
「いえ……上手な雪女は、より広範囲にわたって冷やしたり、もっと低い温度で冷やしたりできますから……。基本的に、私のような力の使い方が下手な雪女たちがとりあえず周囲を冷やせるだけ冷やして、あとは上手な雪女が一気に終わらせる、って感じでした」
「その、上手な雪女というのは、最初から力の使い方が上手だったんですかね」
「……どうなんでしょうか。私が物心ついたときには、そういう雪女はみんな年かさだったので……わかりません」

 歳を重ねても、見た目は老いない雪女だけれど……ともに暮らす私たちはさすがに、お互いの生きた年数をなんとなくだけど、把握しあっていた。

「年上の雪女の方々というのは、基本的に雪女の村で暮らし続け、能力も日頃からいっぱい使っているわけですよね。つまり……年齢が上がれば上がるほど、力の使い方も上手くなる? 比例的に?」
「いえ……年齢と力の使い方は、比例というほどではありませんでした。生きている年数が長いと力を使う機会も多いから、なのかな……」
「つまり――日常的に力を使っているから、上達しているという可能性がある、と」
「そういう、ことですかね」
「話を聞いていて分析していましたが、まふゆさん。あなたの持つ能力はおそらく、上達する類のものです。超能力にも、上達する類のものとそうでないものがあります。たとえば私の所属する組織の超能力者たちを見ていると、テレポートやサイコキネシスなどは、先天的な要素が大きいです。ですが、サイコメトリーやテレパシーなんかは、後天的に多少どうにかなる部分もある。能力を使えば使うほど、コントロールが効くようになっていく――まふゆさんは、これまで能力を使う機会が少なかっただけのことではないでしょうか」
「えっと、つまり……?」
「つまりですね、まふゆさん。雪女の能力を、回数を重ねれば重ねるほど上達する能力だと仮定すれば、前回より今回のほうが上達する可能性がある、ってことですよ」
「なる、ほど……そういう、ものでしょうか……」
「どちらにせよもうあと五分で爆弾は爆発します。――犯人のやつ。うまくいくって、心のなかで狂喜していますよ。……許せない」

 瞳子さんは、悔しそうに歯ぎしりをした。

「ですから、まふゆさん。とにかく、とりあえず能力を使ってちゃっちゃか凍らせちゃってくださいよ――」
「ちょっと待って」

 古文書に目を落とした可憐さんは、硬直していた。

「……駄目よ。氷の精霊について、調べてみたの……」

 可憐さんは指で古文書のページを示してくれるが、見たこともない文字で書かれていてひとつも読めない。瞳子さんも、顔をしかめて眼鏡をくいっと指で持ち上げた。

「見たこともない文字ですね……」
「精霊文字だから。貴女たちには読めないよう、まじないがかかっている。でも、見て。――挿絵ならば見ることができるでしょう」

 そこに描かれていたのは、大雪原で両手を広げる雪の精霊らしき存在だった。ひらひらした服を、翼のように広げ……悪魔や業火を、すべて凍らせている。
 そう、すべて。

 可憐さんは、厳かに読み上げる。

「氷の能力は、すべてを凍らせるものである」

 その顔は、今日見たなかで、いちばん真っ青で。

「……つまり、特定のものに対して力を強めたり弱めたり、加減することはできない、ということよ。原理的に……力の性質が、変わることはない。だから、どう練習したところで、どう試してみたところで……」

 可憐さんの言葉は、すこし震えてすらいた。

「……いやいや。そんな」

 笑おうとした瞳子さんも、うまく笑えていない。

 でも。でも。でも。
 残念ながら。――おふたりの想像は、当たっている。

 私の力は、自分の意志で調整のつくものではない。
 そう……どんなに自分では守りたいと思っていたところで、氷の力は、……凍らせてはいけないものまで、きっと凍らせる。

 すべてを、凍らせてしまう。

 ステージでは、バラードが終わり、アツシくんやシャイニングのみんなが一万人の熱い、熱い歓声を浴びていた。
 ここまで。自信たっぷりで。どうにかなる、と突き進んできたような、おふたりが――はじめて、なすすべもなく、黙り込んでいる。

「……そんな……」

 私も、うなだれる。

 バラードが終わったステージ上では、歓喜の熱気の渦のなか、シャイニングひとりひとりが挨拶をしている。もちろん、アツシくんも。

「もうすぐ、今年も終わるね。みんなに支えられた、この一年。ほんとうに、ほんとうに最高の年でした。ありがとう――みんなと年越しを迎えられるのが、俺はなにより、嬉しいです」

 ああ。アツシくんの声。顔を見なくても、わかる。はにかんでいて、それに、普段はタメ口ばかりの彼が敬語を使うなんて、もう、感極まっているときだけなんだから。

 ステージ裏では、関係者のひとたちが、もう一息だね、次でラストだ、頑張ろうって言い合っている。ばたばたで慌ただしいけれど、文化祭のクライマックスのような、おなじ困難を乗り越えた者同士だからこそ芽生える親密さが、満ちている。

 一万人ものファンのみんなは思い思いに歓声を上げている。推しの名前を呼び感動を伝える言葉は、ひとりひとり形は違っても、どれも感動と応援の気持ちがいっぱいで、胸に伝わってきて。

 そしてこのライブの主役、シャイニングのみんなと、もちろんアツシくんは――ここにいるみんなの力で、きらきら、きらきら輝いていた。

 ここにいるみんなの気持ちは、熱をもって、一体になっていた。
 ……ううん。正確には、爆弾を仕掛けた犯人と、絶望しかけている私たち三人を除いて――。

 私は、ぐっと拳を握って。……目を閉じて、ほんとうの意味で、あの子にさようならを告げた。ごめんねと、ありがとうの言葉もいっしょに。
 思い浮かべた、あの子の顔は――二度と友達になんかなれない私を責める顔ではなくて、親しくしていたころの、……とっても眩しい、可愛らしい笑顔だった。

 背筋を伸ばし、目を開けて、私は口を開く。

「……私。やります」
「やる、って言っても……私にはもう、なすすべが見つかりませんよ、まふゆさん……いまから一万人のひとを避難させるのも、犯人に気づかれずに爆弾を処理するのも、……できません、とても時間が足りません……」
「……ここまでだったのよ。アツシくんと、私たちの宿命は……。こうなってしまったら、まふゆ、すべてを凍らせてしまってちょうだい……アツシくんが爆弾で吹き飛ばされるなんて……耐えられないわよ。そして、せめて私は、アツシくんと、と、ともに、……いえ、恐れ多いわね」
「いいですよ。可憐さん。最後なんですから。言っちゃいましょう」
「――アツシくんと、と、と、ともに、散りたいわ」
「――うううっ。こんな形でアツシくんと運命共同体になるなんて」
「瞳子さんっ。可憐さんっ」

 いままでの人生で、いちばん、大きな声が出たかもしれない。

「無理なことなんて、なにもないって、私たちの推しが教えてくれたじゃないですか。アツシくんが、教えてくれたじゃないですかっ! アツシくんたちはいま、最高の時間を迎えています。みんな、熱のこもった応援をしているんです。諦めるなんて、私は、したくないです!」
「――まふゆ。いま貴女、なんて言った?」
「え、えっ?」

 急に可憐さんの瞳にぎらりと輝きが戻って、かえって私はたじろいでしまう。

「え、えっと……無理なことなんて、なにもないってアツシくんが教えてくれたから。アツシくんたちはいま、最高の時間を迎えていて、みんな熱のこもった応援をしているから――」
「それよっ」

 可憐さんが急に、私のさきほどの大声にも負けない大声を出した。
 瞳子さんが訝しげに可憐さんを見る。

「……なんですかもう、可憐さん、急に。せっかく推しと散るときの辞世の句を考えていたのに――」
「熱よ、熱――ああっ、どうして気づかなかったのかしら。いま、この場は、熱をもつ――炎の精霊たちに、こんなにも愛されているというのに!」
「どういうことですか……って、あああ!」

 瞳子さんも、ぴんと思い当たったような顔をした。

「なるほど、可憐さんの思考を読んで理解しました。なるほどその手がありましたね――属性の相性どうしを掛け合わせれば、あるいは――!」
「そうよ、つまり、まふゆが氷の精霊に愛されすぎてしまっているのならば、炎の精霊の力を借りて対抗すればいいということよ」
「しかもそうすれば、炎属性の能力のほうだけをコントロールすれば、どうにかなるかもしれませんね……!」
「え、え、えっと……?」

 急にテンションがぶち上がったおふたりに、私だけがついていけない。
 可憐さんは、ちっちっち、と言ってひとさし指を振る。

「だーかーらー。まふゆが、いくらこの場すべてを凍らせたくても、炎の精霊の力を借りてそうさせないということ!」
「可憐さん、なんですかその、指を振るやつとだーかーらってやつ……魔女っ子さんの名残りですか? ええとですねまふゆさん、時間もないので簡潔に説明するとですね。私と可憐さんが、可憐さんの魔女の能力を借りて、会場を熱くします。その熱で、まふゆさんの氷の力を中和させます!」
「えええっ……」

 さきほどとは、打って変わって。
 瞳子さんはガッツポーズをして、可憐さんは髪を掻き上げている。おふたりとも、自信たっぷりだけれども、……ほんとうにできるのだろうか、そんなことが?
 諦めたくないと言ったのは――私なんだけども!
 ……そうだ。諦めたくないって言ったのは、私なんだ。
 ここで無理とか、言ったり思っている場合では、ない!

「わかりました――私は、爆弾を凍らせれば、いいんですよね?」
「ええ。全力で、やっちゃってちょうだい。すべてを凍らせることのないよう、炎の精霊たちの力を借りるから!」
「可憐さんの言う通りです、まふゆさんは凍らせる能力を発揮することだけに専念してください……! ……と、言ったものの可憐さん。具体的には、どうしますか――」

 瞳子さんは目を細めた――と思ったら、その目は驚いたみたいにかっと見開かれる。

「……え、ええっ、そんなやりかた、ありですか。う、うーん、でも確かにロジックの筋は通っています。魔女ってすごいですねえ。組織もちょっとこの破天荒さは見習ったほうがいいですよ」
「貴女……馬鹿にしている?」
「いえいえ、そんな、とんでもない」
「もう」

 可憐さんと瞳子さん。言葉こそそっけないやりとりだけれど、おふたりのやりとりは、興奮と親しさがあふれていた。
 私も、思わず笑ってしまう。くす、くすくすくす、と。

「えっ、どうしました? まふゆさん」
「いえ……おふたりのやりとりが、なんだか面白くって。微笑ましいなあ、って……」
「ちょっと、雑談している暇はないのだからね。やるわよ、瞳子!」
「了解です、可憐さん!」

 可憐さんは、スッ……と懐からご自身のサイリウムを取り出した。瞳子さんは可憐さんの思考を読んでこれから何をするのかがわかっているのだろう、迷いのない手つきでさきほどは可憐さんが飛ぼうとしていた手作り巨大サイリウムを手にした。……重そうなのに、よく片手で持てるものだ。

 ステージでは、いよいよ、ラストの歌が始まろうとしている。ファンの熱狂とともに……惜しまれながら……!

「最良のタイミングは――ラストの歌が、始まってからですね!」
「ええ、そうね。炎の精霊は、ラストの歌のときにこそ、この場を最も愛してくれるでしょう……!」
「私も、ラストの歌が始まった瞬間に――始めれば、いいですか?」
「そうですね」
「そうしてちょうだい」

 ステージではアツシくんが熱く言う。

「年越しの瞬間まで、あと三分。みんな、最後まで聴いてくれよな、俺たちシャイニングを変えてくれた、この曲を――『君がいるから、輝ける』!」

 シャイニングのファンであればもちろん誰しも知っている、シャイニングのファンでなくても知っているかもしれない、彼らの転機となった一番の代表曲が、ガンッ、と強烈なイントロとともに始まる――。

 わああああああっ。
 今日ここまでも、ライブはこの上なく盛り上がっていたのに――今日いちばんの質量の熱狂が、ぐわんと、会場いっぱいにあふれる!

「まふゆさん、いまです!」
「ええ、お願い! あとねまふゆ、貴女笑っていたほうが可愛いわよ」
「私は笑っていたほうがとは思いませんが、さっきのまふゆさんの笑顔が超可愛かったのは確かですね!」

 そして、おふたりは――腕を振り上げ、サイリウムを振りはじめた!
「な、なんでサイリウム、ですか……?」

 思わず日本語がおかしくなってしまった。
 瞳子さんも可憐さんも、ぶんぶんサイリウムを振っている。瞳子さんは腰を使った華麗な動きで、可憐さんはあんな大きなサイリウムを片手で持っているのに安定した綺麗な動きで……熟練だ。おふたりとも。慣れている。すごい。プロのファンの動きだ。舞台裏の暗がりに、アツシくんのレッドの光がすっごく映えて……。
 でも、なんで――サイリウム?

「炎の精霊よ。サイリウムの動きに、応えて!」

 可憐さんはそう言ったあと、聞き慣れない不思議な響きの言葉をなにか言う。呪文だろうか――瞳子さんは目を細めて可憐さんの思考を読んで、うまくいったみたいですね、と言った。

「サイリウムを振ることによって、炎の精霊を喜ばせる。魔女の私が呼んだのだから、応えてくれるわ。サイリウムの動きに熱がこもればこもるほど、炎の精霊の働きは増す。まふゆを愛している、氷の精霊の働きと打ち消し合う――つまりサイリウムが振られているところであれば、氷の精霊の働きは打ち消される! サイリウムを振るファンのみんなは無事だし、舞台裏は魔女の私がサイリウムを振って、守るから。だから、私たちを信じて、凍らせてちょうだい!」
「アツシくんたちは、大丈夫なんですか……!」
「彼らの熱量はここにいる誰より、すさまじいものがある。自然、炎の精霊の働きは強いわ――私が炎の精霊と呼応している限り、炎の精霊はステージの熱量を喜びよく働いてくれるでしょう!」
「魔女の理論というのは私にも面食らうほど新鮮なものばかりですが、どうやら、そういうことみたいです。まふゆさん、やっちゃってください。犯人の思考の動きは私が読み取り続けていますが、犯人はまだ気がついていない。いまなら、いけます、早く――!」
「……わ、わかりました!」

 私は、すーはー、と深呼吸した。

 大丈夫。きっとうまくいく……アツシくんを、みんなを、守る!

 目を閉じ、胸に手を当てる。
 念じるだけで、やってくる。寒気が……氷が……吹雪が。

 ひゅおお、と木枯らしのような音とともに、まるで私が身にまとうかのように雪が周囲に展開されていくのが、わかる。あたりの温度が、ぐっと下がる。

「す、すごい力ですね。想像以上です」
「ほんとうに、まふゆは氷の精霊から愛されているのだわ……」

 私はゆっくりと目を開ける。
 吹雪を呼んだせいで、床や壁が凍りつき始め、舞台裏のひとたちはみんな寒がって上着や手袋を身に着ける。暖房の故障ではないか、冷房に切り替えてしまったのではないかと関係者のひとびとがざわつき始めた。

「寒い寒い寒い、急になにこれ」
「凍え死んじゃうって」

 ばたばたと駆けていく関係者のひとの言葉は深い意味で言っているわけではないとわかるのだけれど、私の心はずきりと痛む。

「氷の精霊の力が弱くなっている! これでは炎の精霊が勝ってしまうわ。まふゆ、もっともっと凍らせて!」
「ええ、こっちは気にしないでください! うまくいってますので! バランスです、バランスを取ってください、まふゆさん!」

 おふたりはサイリウムを振り続けている。洗練された動きで。ラストの歌、「君がいるから、輝ける」に合わせて。コールまでして。

「アツシくん! アツシくん! アツシくん!」
「大好きアツシ、ラブユーアツシ!」

 曲じたいも、ライブ全体も――とても、いいところだ。
 盛り上がっている……。

 私は吹雪のせいでぴんぴんと髪の毛を逆立てながら、さっきからずっと気になっていたことを言った。

「あ、あの、私も――」

 駄目だ。どうしよう。こんなこと言って……いいのかな。
 だって。だって。……だって。

「なんですか、まふゆさん!」
「言いかけたなら、言いなさいよ!」

 私はサイリウムを振れたことがない。
 なんとなく、気恥ずかしくて。
 ひとりで来ているのに、あいつ、サイリウムだけ一人前にぶんぶん振っているよ……そう思われるのが怖くて、……ほんとうはサイリウムを振りたい気持ちを、ずっと凍らせてきた!

 私も、スッ……と、毎回持ってきているアツシくん色のレッドカラーのサイリウムを、懐から取り出す。

「さ、サイリウム、いっしょに振っていても、いいですかっ」

 だって、おふたりがあんまりにも――楽しそうだから!