隠れチートの植物魔導師はスローライフを送りたい

「むしろ、この村で調理を担当いただくのはいかがですか。マスター」

「いや、それはさすがにさ。相手は皇女様だよ?」

 ナビとそんな話をしていると、噂のアデルが帰ってきた。

 フラウたちと一緒に東の山でみつけた大きな倒木の運搬に出かけていたのだ。誰も怪我なく帰宅してくれたようで、何より。

「ただいま戻りました!」

「ああ。おかえり、アデル」

「た、た、た、ただいまっです、リィト様あぁぁ!」

「……うーん、この様子のおかしさ」

 どうやら、「おかえり」がアデルの琴線に触れたらしい。」

 乙女心はわからないものだ。

「今日もありがとう、ハイペースすぎないか?」

「いえ! 東の山での薪集め、よい鍛錬にもなっています。リィト様は、またその鉢植えの世話をされていたのですか?」

「ん、まあね」

 謎の芽Xは、少しずつ育ってきている。

 発芽当初には目に見えるほどだった青い光は、

「アデルさん、とてもかっこいいのです! フラウたちではビクともしない木を、ひとりでずりずり動かします!」

「フラウの応援のおかげよ。それに、今日は花人族の集落だったところに案内してもらったのも興味深かったわ」

「隠れ里ですね。リィトさんが畑を貸してくださっているおかげで、フラウたちは山から下りてこられました」

「もっと褒め称えるといいわ。リィト様はいつだって、弱き者や虐げられている者の味方です!」

「いやいや、買いかぶりすぎだよ」

「そんなことは! 対魔戦争のときにも、正体を隠して様々な善行を──」

「目立ちたくなかっただけだって」

 結局は、アデルに正体を暴かれて帝国の騎士団に力を貸すことになり、英雄とか呼ばれることになったわけだけれど。

「そんなことより、トーゲン村の暮らしはどうだい」

「そ、うですね……はい、リィト様。思っていたよりもずっと、すばらしい場所だと思います」

 思ったよりも素直に、アデルがはにかんだ。

「帝都にはない時間の流れというか、畑に出ると、土と自分しかいないというか……リィト様が植物魔導を使わずに畑仕事をされている意味が、少しわかったような気がします」

「じゃあ、僕は帝都に帰らないって方向でいいかい?」

「……それは、でも──」

「アデルが困っていたら、僕はかならず駆けつけるよ。でも、帝都での暮らしはもう窮屈なんだ」

「……わかりました」

 アデルが頷く。

 この数日、本当に色々と考えてくれたみたいだ。

「よかったら、いつでもトーゲン村においで。フラウたちも、アデルのことを尊敬してるみたいだし」

「そ、そうでしょうか」

「うん。あと、このチキン料理……また、作ってくれるかい。チキンスープとか」

「えっ!!」

 アデルが真っ赤になった。

 はわ、はわわ……と震えている。

「あの、その、スープを毎日作ってほしいというのは、庶民の間では、その、その……」

「あっ」

 しまった。

 リィトは戦慄した。

 味噌汁を毎朝作ってくれとか、そういう時代錯誤なアレではないのだ。断じて! というか、異世界でも同じような言い回しなんだなぁ、と転生してから十数年、ちょっと感心してしまった。

「ごめん、アデル! なんかセクハラっぽい言動だったら許してくれ!」

「はら……? それは存じませんが、その、即座にお答えはできないといいますか」

「うんうん、さっきのはナシで頼みます! 皇女殿下に不敬を働いたとかで、軍事制裁とか受けたら困るしね!」

「道ならぬ恋というやつですね……!」

 完全に乙女心が沸騰しているアデルと、焦るリィト。それをじっと眺めていたナビと、頭の上にハテナマークを飛ばしているフラウ。

 ナビが、人工精霊(タルパ)のわりには人間くさい、大きな溜息をついた。

「まったく。マスターは本当に、アレですね」

 今回の「アレ」には、人たらしとかそういう文言が入るのではあるが、ナビの言葉を拾うものはいなかった。比較的察しのいい猫人族ズが、朝一番で自治区に帰ってしまっているのが悔やまれたのだった。


 アデルがやっと落ち着いて、食後のお茶を飲んでいるとき。

「本当に、ここはいいところです」

 しみじみと呟いた。

「そろそろ、帝都に帰らねばならないのが惜しいくらいです」

「アデルさん、帰ってしまうのですか」

「ええ。帝国人のギルド自治区への滞在は、帝国市民権を放棄していないかぎりは最大でも十日間と決められています」

「リィトさんは?」

「僕は市民権を放棄したから問題ないよ」

「そんなあっさり……まぁ、そこがリィト様のいいところではありますが」

 アデルが眉をひそめる。

 くっとお茶を飲み干して、一息つくとアデルは改めて話を切り出した。

「明日にはここを発とうと思います」

「そうか……また来てくれるだろう」

「ええ、リィト様を説得するために」

「えー、まだ諦めてくれないのか」

「当然です。英雄の不在は、誰がなんといおうと帝国の損失ですから!」

「うーん……本当に、買いかぶりすぎだと思うんだけど」

「フラウは、アデルさんがまた遊びにきてくださるのを待っています!」

 純真無垢なフラウの言葉に、アデルが微笑む。

 この数日の滞在期間に、ずいぶんと仲がよくなった様子。

 こないだの戦争のときには、いつも張り詰めた表情であったアデルが年下の女の子と穏やかに話している様子は微笑ましい。

「ええ、私も楽しみにしているわね──また、例の場所で遊びましょう、フラウ」

「例の場所?」

 荒野と山しかない土地だけれど、例の場所なんてあっただろうか。

「はい、倒木に隠れていたのですが、小さな沢のようなものが」

「沢! 沢って、水のある!?」

「水がない沢などあります?」

「すごいぞ、これで地下水に頼らず農業用水が──」

 何故かほとんど雨の降らない土地である。雨が降ったとしても、水はけのよすぎる土地だから保水できるかは不明だが。

「残念ながら、本当に小さな沢ですよ……ロマンシアの城にある、手水桶みたいなものです。水たまりかと思ったほどで」

「そ、そうか……なんだ……」

「ただ、不思議なものを見つけました」

「ん?」

「何かの紋様のような」

「はいっ、花人族の紋章でも、人族の言葉でもないです!」

「フラウも見たことがない紋様か。今度、見に行ってみよう」

「ええ、リィト様でしたら何かおわかりになるかも」

「だから、買いかぶりすぎだよ」

 だが、土地に関する新しい発見はありがたい。

 今度、フラウに案内してもらおう。できればアデルも一緒がいいけれど。

「そうだ、アデル」

「はい……?」

 リィトはアデルに、一つの提案をした。

 彼女がトーゲン村に帰ってきやすいように、そして、リィトにも利があるように。

「君に頼みたいことがあるんだ」

「おい、聞いたか?」

 帝都、ロマンシア城の騎士団詰所では冷えた茹で芋を頬張りながら、兵士たちが噂話に明け暮れている。

「筋肉皇女殿が、なんでもギルド自治区に乗り込んだらしい」

「あんな下大陸のド田舎に?」

「騎士の真似事が好きな野生児姫にはお似合いなんだろうが」

「こないだの戦が終わってから、発散できなくてイライラしてるのかねぇ」

「第十五騎士団をつれて、わざわざ元大迷宮の跡地を巡回してたんだろう? ご苦労なことだな。やっとモンスターとの戦いが落ち着いたんだから、城で大人しくしていればいいのに」

「ドレス姿は本当にお美しい方だからなぁ」

「なんだよ、惚れてるのか?」

「皇女殿下が貴族や将校以外と結婚なんてありえんからなぁ?」

 女は男の背後を守れ、という価値観の強い帝国ではアデルの評判はよろしくない。

 特に、騎士のなかには皇女とはいえ、女性を名誉団長にするなど──という反発は根強いのだ。

「……もしかして、リカルトの件じゃないか」

 リカルト、という名前に騎士の何人かが険しい顔になる。

「あのヒラのくせにやたら目立ってた宮廷魔導師の?」

「おい、言葉を慎め!」

「え……? な、なんだよ、宮廷魔導師の肩を持つのか」

「あ、いや……すまん、リカルトさんは思ってるより悪い奴じゃないっていうか」

 騎士団の古株の中には、リィトがあの『英雄』であると気がついている者もいる。本人やアデルからキツく口止めされているけれど。

「しかし、そこまで惚れてるとはなぁ……」

「第六皇女殿下が駆け落ちするほうに駆ける人?」

「はーい!」

「やめろ、さすがに失礼だろ」

 危険なモンスターが際限なく地上に湧き出てくる日々から解放された騎士団は、ずいぶんと暇なもの。


 一方、皇帝の側近たち。

 枢密院と呼ばれる皇帝補佐機関の人間たちも、おおむね同意見だった。

「宮廷魔導師団の暴走でリィト・リカルトが去ってから、しばらくたちましたが──」

「とりたてて不穏な気配もございませんな」

「もとより、目立つことを嫌がる妙な男でありましたゆえ。欲のない、不気味な男よ──」

「うむ、たしかに金や名誉で動く人間は御しやすいが」

 枢密院の重鎮たちにとっては、リィトは危険な異分子だった。

「英雄というのは、平時には危険な存在になりえますからな」

 だからこそ、本人が望んでヒラ魔導師として宮廷に仕え、ヒラ魔導師として同僚達から職場を追われたのであれば、彼らにとっては願ってもいないことだったのだ。

「きゃつの研究はどれも植物魔導に関するもので……まぁ、保存の価値はあれど、欲しがる者も少なそうな代物だとか」

「ならば……このまま、お望み通り平凡に生きてくれればよい」

「跳ねっ返りの第六皇女殿下も、リカルトを見習ってしおらしくしてくれればよいのですが」

 とにかく、現時点ではリィト・リカルトの不在については、ロマンシア帝国では些細なこととして扱われていたのだった。

***


 そして。

 アデリア・ル・ロマンシアは浮かれていた。

「リィト様が、わたくしに頼み事なんて……」

 ロマンシア城にある、国立帝都図書室。

 普段のアデルであれば近寄らない場所で、そわそわと目録に目を通していた。

 尊敬するリィトからのお願い事に、力が入る。

 ギルド自治区で手に入る情報と、帝国で手に入る情報は異なっている。

 だから、アデルにしか頼めない──と。

「──世界樹伝説」

 ロマンシア帝国をはじめ、世界各地に残された、世界樹伝説。

 それについて、帝都図書館で調べてほしい。

 そうして、わかったことがあればトーゲン村に来てほしい。

「まずは、竜の棚と王の棚ね」

 あまり好きではない、可憐なアデルの姿に似合うドレスを翻して、本棚の間を踊るように走った。

***


 いよいよだ。

 朝日がほのぼの昇る中、リィトは期待と不安に胸を高鳴らせていた。

「思ったより早く育ったなぁ」

 謎の種子Xは、謎の芽Xに──そして、謎の苗Xに成長を遂げていた。

 なんでも上手くいってばかりでは、つまらない。

 そうは言っても、めちゃくちゃ珍しい、たった一つしかない光る種子──その育成は失敗できない。

 どんなまだ見ぬ植物が育つのか、はたまた枯らしてしまうのか。

 植物魔導は便利だけれど、万能ではない。

 枯れた植物の蘇生は、土地や水などの力をかなり必要とする。トーゲン村の今の土壌では難しいだろう。

「マスター、緊張していますか」

「うん、ちょっとね」

「とてもきれいな苗です。きっと、元気に育つとフラウはおもいます!」

「ありがとう、フラウ」

 季節は春から夏へと移り変わりつつある。

 何年もかかる畑仕事を植物魔導で軌道に乗せて、商売も順調──だからこそ、この植え付けはドキドキする。

 未知の植物は植え付け時期を決めるのだって、手探りだ。

 色々と考えて、葉の特徴や、育ち具合から判断した。

 発芽からかなり生長が早かったことから、一般的な樹木ではなく魔力を糧にして育つことができる『魔樹』の類いだろう。

 魔樹であれば、何かあったときにもリィトの魔力を分け与えることで持ちこたえられる可能性が高い。

 その目算も、この春に植え付けをするという決断に繋がった。

 ざくざくと深く大きく土を耕していく。

 ベンリ草で作った地下水汲み上げ式の水道の近くに場所を決めた。

 少し離れたところにある岩のおかげで、まだ幼い苗が一日中日差しに晒されることがない。

 それに大きく樹木が育てば、リィトの小屋をその木陰にいれてくれるだろう。

 トーゲン村のほぼ中心地。

 どこからでも、遠くからでも。その樹影を見ることができるだろう。

 いつかやってくる、そんな光景を想像して、リィトは大きく深呼吸をした。

「よし、やろうか!」

 作業は順調。

 太陽が昇りきるかきらないかのうちに、謎の苗Xはトーゲン村の大地に植えられた。

「よし、と」

 畑の方も順調だ。

 ベリー類の収穫に花人族たちが手慣れてきたおかげで、リィトの監督が必要なこともない。

 これから暑くなる季節に向けて、リィトがやってみたい作付けはほとんど終わっている。

 上大陸とは気候も季節の巡りも違うゆえに、今年はベリー類と芋や、ブドウやリンゴなどのフルーツに注力するつもりだ。

 いつかは麦、そして前世は元気な現代日本人だったリィトにとって、懐かしく恋しい愛しの米にもチャレンジしたい。

 だが、お楽しみは先々にとっておこう。

「今日の夕方にミーアたちが来る予定だから、出荷の準備を──」

「フラウたちが準備バッチリにしました!」

「なんと。さすがだね」

「うふふ、アリガトー」

「うん、ありがとう」

 アデルのおかげで、薪を拾いに東の山に行く必要もなくなった。

 手持ち無沙汰で村にいると、ずっと苗の心配をしていることになりそうだ。それは少々、つまらない気がする。

「……よし、じゃあ午後は散歩に行こうか」

「おさんぽ!」

「うん、例の場所ってところに案内してくれないかな」

「え、でも……アデルさんが……」

「ああ、そのことだけど」

 リィトはトーゲン村とギルド自治区を繋ぐ道へと目をこらす。

 そろそろのはずだ。

 北に開けた地平線、その向こうに煌びやかな竜車が土煙を上げて走ってくる。鞍上にいるのは、麗しい女騎士。

「リィト様ァ~~~~ッ!」

「アデルさん!」

「今から向かう、って伝書ふくろうを飛ばしてきたんだよ」

 伝書ふくろうは、人間の魔力を探知して手紙を運ぶ使い魔だ。とても貴重な存在なので、帝国では上級貴族と皇族しか使うことが許されていない。

 ギルド自治区での普及状況は知らないけれど、郵便ギルドが大きな勢力をもっているようだから、少なくとも一般に伝書ふくろうが普及していることはないのだろう。

「リィト様、アデリア・ル・ロマンシアが参りましたっ!」

「やあ、昨日の晩にふくろうが着いたから、もう少し時間がかかるかと」

「徹夜で竜車を走らせてまいりました!」

 帝都からトーゲン村は、特急竜車を使っても一週間はかかりそうなもの。

 手紙の署名の日時から考えると、本当に不眠不休でやってきたらしい。

「こちらが、世界樹についての資料です」

「こんなに……」

 アデルから手渡された資料は、リィトが両手で持たないと取り落としそうな紙の束だった。アデルは片手で軽々と持ち上げていたが、両手で抱えてもなおずっしりと持ち重りがする。

 本当にこの皇女様は、力持ちだ。

 リィトはしみじみと感心した。

「ありがとう、今夜にでもゆっくり目を通すよ」

「おや、お忙しいのですか?」

「ああ、この間アデルが見つけたっていう沢に行こうかと思ったんだけど、少し休んで明日にするかい?」

 さすがに、不眠不休でやってきた姫君に無理をさせることはできない。

「まさか、すぐに参りましょう」

「えー、大丈夫なのか?」

「フラウも心配ですっ! いっぱい寝ないと、枯れちゃいますよ」

 フラウが心底心配そうにしている。

 花人族たちは、基本的には植物と同じようなライフサイクルらしい。日が昇ると起き出して、日没と同時に眠る。それを怠ると、頭から生えている花が萎れて枯れてしまう。

 アデルは目がギンギンに据わっている。

 フィジカルエリート特有の、徹夜ハイだ。

「問題ないわ、行きましょう」

 つまり、問題大ありということだ。

 こういう無理がたたると、過労死する。

「……こほん、アデル?」

「はい、リィト様!」

「これ、プレゼント」

「え、はい? は、花束ですか!?」

 リィトは腰に下げたポシェットから、いくつか花の種子を取り出して成長させる。美しく咲いた花を、ベンリ草の蔓で束ねてブーケにする。

 受け取ったアデルは、その花の匂いを嗅いだ瞬間に。

「……くぅ」

 がくん、と眠りに落ちてしまった。

「アデルさん!?」

「フラウ、心配ないよ。ベンリ草に、催眠作用のある花をつけさせたんだ。花束に紛れているから気づかなかったみたい」

「そうなのですか……」

「かなり疲れている人じゃないと反応しないくらいに、弱い成分だったんだけどね」

 リィトが肩をすくめる。

 見た目よりもずっしりと重いアデルをおぶって、客間にしている小屋へと連れて行く。

 寝室から先のことは、ナビに任せることにした。

「報告。アデルはよく寝ています。明日の朝までは目覚めないかと」

「そうか。ありがとう、ナビ」

「リィト様が疲労回復効果のみこめる成分を花束に混ぜていらっしゃるので、体調は心配ないはずです」

「何よりだよ。アデルは無理しがちだから」

 アデルは昔から、猪突猛進の努力家だ。

 彼女にとっては、のんびり暮らしたいリィトの望みはわからないのかもしれない。

 ぐっすり眠り続けたアデルは、翌朝の昼過ぎに起きてきた。

 眠り込んでしまったことを本人はとても恥ずかしがっていたが、花人族たちはアデルを心から歓迎していた。

 リィトとしても、アデルのまとめてくれた資料に目を通すことができたので助かる。ほとんどは、マンマが仕入れてきた情報と同じようなことが書いてあったけれど、やはり帝国にしか伝わっていない情報があった。

 軽い昼食を終えて、リィトは出かける支度をした。

「アデル、沢まで案内してくれる?」

「は、はい! もちろんです」

「フラウもいっしょにいきます!」

 夕方に到着する予定の猫人族ズが来る前に、沢を見に行くことにしたのだ。

 トーゲン村にやってきて、何ヶ月か経った。

 今までほとんど、雨らしい雨が降っていないことが、いい加減気になってきた。

 多少の小雨は降っても、畑はちっとも潤わなかった。

***


 死ぬ。ぜったい死ぬ。

 リィトはぜぇぜぇと息を弾ませながら、前を歩くフラウとアデルの後ろを必死についていく。

 東の山に足を踏み入れたのは、花人族の集落を助けたときと、何回か薪集めを手伝ったときくらい。

 今回歩く道は、そのときとは比べものにならないくらいに野性味あふれる山道だった。

「は、はぁ……はぁ……」

「大丈夫ですか、リィト様~?」

「だ、大丈夫、です」

「フラウのおやつの春ベリー、食べますか? 元気でます」

「ぜ、ぜぇ、ありがとう……食欲はないかな……」

 ちょうど腰掛けられそうな倒木があったので、少し休憩をとることになった。小まめな休憩が山歩きには欠かせない。

 水筒の水をごくごくと飲み干し、ふぅ、と人心地つく。

 植物魔導への突出した才能以外は、リィトは本当に普通の人間だ。

 しかも、インドア派。

 山道を歩けば、当然息が切れる。

 白い第十五騎士団名誉団長の装いを少しも汚さず、余裕綽々で歩いているアデル……については、いいだろう。もともと彼女はフィジカルエリートだ。

 予想外なのは、いつもの辞書を両手に抱えたままのフラウも、さくさくと山道を進んでいくことだった。

(ふぅ……きっつ……。でも、これで仮説が立ったなぁ)

 花人族が畑仕事に精を出し、様々な植物を愛でて育てたがる理由だ。彼らはどうやら、周囲に植物があればあるほど、身体能力や生命力が底上げされているようだ。

 その昔、花人族が東の山に逃げ込んで、そのままこの場所を離れられなかった理由もそれだろう。

 植物がないと、極端にパフォーマンスが落ちてしまうのだ。

 となれば、カラカラに乾いた荒野を突っ切って別の土地に移動するというのは難しい。

「……だとすると、水不足には理由がありそうだよなぁ」

 もともと、花人族はこのトーゲン村の周辺で暮らしていたらしい。

 ならばほぼ間違いなく、平野部分も緑に溢れていた、ということになるだろう。それなのに、今はこの有様だ。

 昔から同じ気候や降水量だったとは考えられない。

 気候や天候だけではない。

 そもそも、花人族が栄えるためには水場が必要だったはず。