窓越しに聞こえる小鳥のさえずりに栞里が目を覚ますと、眠る澪の顔が目の前にあった。
一瞬思考がフリーズした栞里だが、昨日、一緒の布団で寝たことをすぐに思い出す。
「……澪」
ささやくくらいの小さな声音で、名前を呼んでみる。
返事はなく、澪は変わらず規則正しい寝息を立てている。
まだ寝ているなら無理に起こすこともないだろうと判断し、栞里は澪を起こさないようにゆっくりと上半身を起こした。
朝食を作るため、ベッドから出ようとしたところで、自分の手の片方が澪のそれと固く繋がれていることに気がつく。
「……」
それがなんだか甘える子どもみたいに思えて、気がついた時には、栞里は寝ている澪の頭を撫でてしまっていた。
(そういえば、私も昔、こんな風にお母さんと一緒に寝てたっけ)
もっとも栞里の場合は、子どもだった栞里の方からではなく、むしろ母の方から毎日のごとく嬉々として誘われていたのだが……。
(あの頃のお母さんも……今の私と同じ気持ちだったのかな)
当時のことを思い返しながら澪の髪をくすぐっていると、ふと、その頬が当初より赤みを帯びていることに気がついた。
よく見てみれば耳も同様に朱色に染まっており、足ももじもじと小刻みに動いている。
なんとなく、というかほぼ確信を持って、栞里は口を開いた。
「…………澪、起きてる?」
「………………起きてない、です」
なんて答えると、おそらくはずっと薄目を開けていた眼を外気に晒して、恥ずかしげに縮こまったのだった。
✿ ✿ ✿ ✿
朝食と身支度を済ませ、家を出た栞里と澪は、並んで街の中を歩いていた。
昨日まではほぼ制服で過ごしていたが、今日は土曜日で休日のため、二人とも私服である。
とは言え、目的が目的だ。いざという時に邪魔になったり転んだりしたりしないよう、動きやすい軽装を選んできている。
ついでに栞里は七夏から譲り受けたメガネもつけて、魔力の痕跡も見えるようにしていた。
澪は魔力操作は得意な方らしく、もう道具を使わずとも魔力を見ることはできるようだ。
「エプシロンの動向について、澪はどれくらい把握してるの?」
そろそろ桜も見れなくなってきてしまった並木道を進みながら、栞里は呟く。
澪は栞里が魔法少女になる以前から、エプシロンを探すためにある程度行動を起こしていたはずだ。
だからなにか心当たりでもないかと澪の方を見たのだが、澪は申しわけなさそうに首を横に振った。
「ごめんね。実は、わたしが危ないことしそうだっていうのはレンダちゃんにもちょっと危ぶまれてて……ここ最近まで家に監視もついてたし、あんまり大きくは動いてなかったんだ」
家に監視。そういえば、レンダもそんなことを言っていた気がする。
あの時は『一人だと危険だから』といったニュアンスだったが、実際のところはそれに加え、エプシロンが一度活動した場所としての警戒と、澪が危険なことをしでかさないかの監視の二つの意味も含まれていたのだろう。
しかし同時に、レンダが言っていたように、今の魔導協会は人手不足の問題も抱えてしまっている。
だからこそ、栞里の家に澪が同居するようになったことを皮切りに、監視の目もなくなった。
そしてそれによってようやく澪はまともに動けるようになったのだった。
「一応、便利そうな地図アプリを使って自分なりに調べてはいるんだけどね」
澪は自分のスマホを取り出すと画面を操作して、そのアプリを呼び出す。
栞里も横から覗き込んでみると、画面上に表示されたこの街の地図の上に、さまざまな色の線や記号が書かれている。
「えっとね……まず赤いバツ印がエプシロンが過去に実際に人を襲ったところで、右下の小さな数字がその時間帯。黄色で囲ってある部分が、もう魔導協会が目星をつけて密かに警戒してる場所」
澪は画面上を指差しながら丁寧に説明していく。
「緑の線は協会がよく巡回している基本ルートで……青い線は、私がエプシロン探しで行ったことがある場所。それから青い丸は、巡回ルートではないけど協会の関係者っぽい人を見かけたところかな」
「……澪。大きく動いてなかったって言ってなかった?」
一個人で調べるには凄まじいほどの情報量とまとめ具合だ。
栞里が疑わしそうな目線を向けると、澪はぺろりと舌を出した。
「えへへ、動いてはないけど調べられてないとは言ってないからね。それにしばらく協会に保護されてた関係で情報は結構持ってるんだよ、わたし」
レンダちゃんとかよく寝てるから書類も見放題だったし、と得意げに澪は続けた。
栞里の中でレンダの評価が三段階くらい落ちた瞬間であった。
「……でも、こうして見てみると、協会は結構広範囲で調査してるんだ」
澪が実際に足を運んだという青い線が引いてある部分はさすがに少ないが、それでもその短い線の上に、協会の関係者らしき人を見かけたという青い丸がちらほら見受けられる。
特に協会が注意しているらしい黄色で囲ってある部分も、今まで人が襲われた赤のバツ印の位置からある程度の推論を立てて定めているように感じた。
「これだけやってるのに尻尾が掴めない……ってことは」
「ってことは?」
「……エプシロンは、協会の調査情報を掴んでる?」
あくまでも可能性の話に過ぎないが、そう仮定してみれば、これから調べるべき場所にもだいぶ目星がつけられる。
「やっぱり栞里ちゃんもそう思う?」
「澪も?」
「うん。これはわたし個人の考えなんだけどね……エプシロンの正体は、レンダちゃんと同じように協会に所属してる精霊の一人なんじゃないかなって思ってるの」
協会に所属する精霊はヘイトリッドを主な食事として、むやみに人の記憶を食べることを禁止されている。
もしもエプシロンの正体が魔導協会に属する精霊だというのなら、すなわち裏切り者にほかならない。
「なるほど……確かにそれなら、いくら調べても尻尾が掴めないのにも説明がつく」
「精霊の姿は魔法で作ったものだから、いくらでも誤魔化しもきくだろうしね。でもそうなると、わたしがあの夜に見たエプシロンの顔や姿も、どの程度参考になるか……」
「ふむぅ……」
「たぶんだけど、裏切りの可能性には協会の人たちも気づいてるんじゃないかなって思うの。でも大々的にそんな推測を口にしたら、当然エプシロンに警戒される……」
栞里はここで、二日前にレンダから見せてもらったエプシロンについての資料の内容を思い出した。
「……だから資料には、精霊の裏切りを示唆するような記述はなかった?」
「うん。何度も言うみたいに、全部推測に過ぎないけどね」
ともすれば自分の人生を投げ売ってでもエプシロンを見つけ出そうとしていた澪の推測ならば、じゅうぶん信頼に足るものだ。
つまるところエプシロンを探すのならば、この地図上の印がついた箇所以外のどこかということになる。
「それじゃまずは、近くのこの辺から行ってみよっか。栞里ちゃんもそれでいい?」
「ん」
こうして二人は、澪の地図アプリを参考に調査を始めた。
エプシロンを見つけることももちろん重要だが、もう一つ注意すべきこともある。
それは魔導協会所属と思しき者に、栞里と澪の目的が露見しないように気をつけることだ。
もし独断でエプシロンを探そうとしていることが知られれば、まず間違いなく保護されて新たな監視をつけられる。
そうなればもう自由にエプシロンを探して回ることはできない。
幸いなことと言えば、栞里と澪の二人とも、まだ新米の魔法少女という点だろう。
協会の人間にほとんど顔が知られていない関係上、そもそも協会の所属だと悟られる危険自体少ない。
ただし栞里と違い澪は一度魔導協会に保護されているし、精霊獣事件の被害者の家族でもある。わかる人にはわかってしまう可能性もあった。
「似合うかな?」
そういうわけで栞里と澪の二人は急遽、澪の軽い変装用の小道具を買うために衣料品店を訪れていた。
少し大きめのキャスケット帽をかぶった澪が、姿見の前でくるりと回る。
「ん。似合ってる」
「えへへ……でも、なんだかちょっと残念そうな顔してるよ?」
本当は似合ってないんじゃ……? と不安そうにする澪に、栞里はふるふるとかぶりを振る。
「じゃあ、どうしたの?」
澪の問いに栞里は帽子の上から、ぽんっと澪の頭の上に手を置いて答えた。
「帽子越しだと……撫でにくい」
むむむ、と無念そうに唸る栞里。なにやらこだわりがあるようだ。
なるほどねぇ、と澪は苦笑した。
「……でも、似合ってるのは本当。これまで制服かパジャマしか見てなかったから、私服の澪は新鮮。帽子でさらにおしゃれになった。いじらしく咲いた花みたいで、とても可愛い」
「へっ!? あぅ、えとっ、その……うぅ……あ、ありがと……」
なんてことないように急に持ち上げてくるものだから、澪は一気に顔を朱に染め上げて、しぼみがちに返事をした。
「し、栞里ちゃんも、雰囲気が普段と違って見えて……すごくかっこよくて、可愛い、よ?」
「ん。ありがと」
「め、メガネも! 凛々しくて知的に見えていい感じ!」
「これはエプシロンを少しでも見つけやすくするためにつけてるだけだけど……私はまだこれがないと魔力の痕跡が見えないし」
「…………むー……」
澪なりに頑張って褒め返したつもりだったのに、なんてことないように流されて、澪はぷくーっと頬を膨らませた。
しかし澪はそこで良いものでも見つけたように顔を上げると、小走りで栞里の横を通り抜けた。
栞里の背後の商品棚にあった物を手に取り、栞里が声をかける間もなく会計を済ませて、栞里のもとに戻ってくる。
「はい、栞里ちゃん」
「……ヘアピン? もらっていいの?」
「うん。昨日たくさん迷惑かけちゃったから、そのお詫びとお礼を兼ねて……かな?」
「そんなのいいのに」
「わたしがしないと気が済まないだけだからいーのっ。それにね、さっき一目見た時に思ったの。絶対栞里ちゃんに似合うって。だからこれ、栞里ちゃんにつけてみていい?」
「……ん」
目を閉じて、頭を差し出した栞里の髪に、澪は買ってきたヘアピンをつける。
変に髪型を変えると本人も違和感を覚えるだろうから、邪魔にならないようサイドの髪をほんの軽くまとめる程度だ。
「はい、できたよ」
「……花の飾りがついてる」
姿見でヘアピンを確認し、指先で触れる。
さきほど澪がこのヘアピンを持っていった棚を見る。そこにはご丁寧にモチーフとなった花の名前も書かれていた。
「ルリトウワタ?」
「別名オキシペタラム、ブルースターなどだって」
栞里の聞いたことがない花の名前だったが、いつの間にやらスマホでネット検索をかけていた現代っ子こと澪が横から補足する。
「咲いた花の形が青い星みたいだからブルースターって呼ばれるようになったみたい。花言葉は……ふふ」
「……? どうしたの?」
「花言葉は、幸福な愛。信じ合う心、だって。栞里ちゃんにぴったり」
「ぴったりかな」
「ぴったりだよ。だって栞里ちゃんがそういう人だったから、わたしは今もこうして一緒にいられるんだもん」
栞里はもう一度鏡の前に立って、ヘアピンをつけた自分を見る。
そこで栞里は自分の口角がわずかに上がっていることに気がついた。
(……そっか。嬉しいんだ、私)
「ありがとう、澪」
「あ……う、うん……どういたし、まして」
栞里の笑顔に弱い澪は、顔を赤くして口ごもる。
(あ、あれ……褒めても全然照れてくれなかったから仕返しのつもりだったのに、これ結局わたしが二度恥ずかしい思いをして終わっただけじゃ……)
うー、と澪は頭を抱えてうずくまる。
栞里はそんな澪を見て不思議そうにしていた。
なにはともあれ澪の軽い変装用の小道具ことキャスケット帽を買い終えた二人は、ようやく本格的なエプシロン探しを始めたのだった。
一瞬思考がフリーズした栞里だが、昨日、一緒の布団で寝たことをすぐに思い出す。
「……澪」
ささやくくらいの小さな声音で、名前を呼んでみる。
返事はなく、澪は変わらず規則正しい寝息を立てている。
まだ寝ているなら無理に起こすこともないだろうと判断し、栞里は澪を起こさないようにゆっくりと上半身を起こした。
朝食を作るため、ベッドから出ようとしたところで、自分の手の片方が澪のそれと固く繋がれていることに気がつく。
「……」
それがなんだか甘える子どもみたいに思えて、気がついた時には、栞里は寝ている澪の頭を撫でてしまっていた。
(そういえば、私も昔、こんな風にお母さんと一緒に寝てたっけ)
もっとも栞里の場合は、子どもだった栞里の方からではなく、むしろ母の方から毎日のごとく嬉々として誘われていたのだが……。
(あの頃のお母さんも……今の私と同じ気持ちだったのかな)
当時のことを思い返しながら澪の髪をくすぐっていると、ふと、その頬が当初より赤みを帯びていることに気がついた。
よく見てみれば耳も同様に朱色に染まっており、足ももじもじと小刻みに動いている。
なんとなく、というかほぼ確信を持って、栞里は口を開いた。
「…………澪、起きてる?」
「………………起きてない、です」
なんて答えると、おそらくはずっと薄目を開けていた眼を外気に晒して、恥ずかしげに縮こまったのだった。
✿ ✿ ✿ ✿
朝食と身支度を済ませ、家を出た栞里と澪は、並んで街の中を歩いていた。
昨日まではほぼ制服で過ごしていたが、今日は土曜日で休日のため、二人とも私服である。
とは言え、目的が目的だ。いざという時に邪魔になったり転んだりしたりしないよう、動きやすい軽装を選んできている。
ついでに栞里は七夏から譲り受けたメガネもつけて、魔力の痕跡も見えるようにしていた。
澪は魔力操作は得意な方らしく、もう道具を使わずとも魔力を見ることはできるようだ。
「エプシロンの動向について、澪はどれくらい把握してるの?」
そろそろ桜も見れなくなってきてしまった並木道を進みながら、栞里は呟く。
澪は栞里が魔法少女になる以前から、エプシロンを探すためにある程度行動を起こしていたはずだ。
だからなにか心当たりでもないかと澪の方を見たのだが、澪は申しわけなさそうに首を横に振った。
「ごめんね。実は、わたしが危ないことしそうだっていうのはレンダちゃんにもちょっと危ぶまれてて……ここ最近まで家に監視もついてたし、あんまり大きくは動いてなかったんだ」
家に監視。そういえば、レンダもそんなことを言っていた気がする。
あの時は『一人だと危険だから』といったニュアンスだったが、実際のところはそれに加え、エプシロンが一度活動した場所としての警戒と、澪が危険なことをしでかさないかの監視の二つの意味も含まれていたのだろう。
しかし同時に、レンダが言っていたように、今の魔導協会は人手不足の問題も抱えてしまっている。
だからこそ、栞里の家に澪が同居するようになったことを皮切りに、監視の目もなくなった。
そしてそれによってようやく澪はまともに動けるようになったのだった。
「一応、便利そうな地図アプリを使って自分なりに調べてはいるんだけどね」
澪は自分のスマホを取り出すと画面を操作して、そのアプリを呼び出す。
栞里も横から覗き込んでみると、画面上に表示されたこの街の地図の上に、さまざまな色の線や記号が書かれている。
「えっとね……まず赤いバツ印がエプシロンが過去に実際に人を襲ったところで、右下の小さな数字がその時間帯。黄色で囲ってある部分が、もう魔導協会が目星をつけて密かに警戒してる場所」
澪は画面上を指差しながら丁寧に説明していく。
「緑の線は協会がよく巡回している基本ルートで……青い線は、私がエプシロン探しで行ったことがある場所。それから青い丸は、巡回ルートではないけど協会の関係者っぽい人を見かけたところかな」
「……澪。大きく動いてなかったって言ってなかった?」
一個人で調べるには凄まじいほどの情報量とまとめ具合だ。
栞里が疑わしそうな目線を向けると、澪はぺろりと舌を出した。
「えへへ、動いてはないけど調べられてないとは言ってないからね。それにしばらく協会に保護されてた関係で情報は結構持ってるんだよ、わたし」
レンダちゃんとかよく寝てるから書類も見放題だったし、と得意げに澪は続けた。
栞里の中でレンダの評価が三段階くらい落ちた瞬間であった。
「……でも、こうして見てみると、協会は結構広範囲で調査してるんだ」
澪が実際に足を運んだという青い線が引いてある部分はさすがに少ないが、それでもその短い線の上に、協会の関係者らしき人を見かけたという青い丸がちらほら見受けられる。
特に協会が注意しているらしい黄色で囲ってある部分も、今まで人が襲われた赤のバツ印の位置からある程度の推論を立てて定めているように感じた。
「これだけやってるのに尻尾が掴めない……ってことは」
「ってことは?」
「……エプシロンは、協会の調査情報を掴んでる?」
あくまでも可能性の話に過ぎないが、そう仮定してみれば、これから調べるべき場所にもだいぶ目星がつけられる。
「やっぱり栞里ちゃんもそう思う?」
「澪も?」
「うん。これはわたし個人の考えなんだけどね……エプシロンの正体は、レンダちゃんと同じように協会に所属してる精霊の一人なんじゃないかなって思ってるの」
協会に所属する精霊はヘイトリッドを主な食事として、むやみに人の記憶を食べることを禁止されている。
もしもエプシロンの正体が魔導協会に属する精霊だというのなら、すなわち裏切り者にほかならない。
「なるほど……確かにそれなら、いくら調べても尻尾が掴めないのにも説明がつく」
「精霊の姿は魔法で作ったものだから、いくらでも誤魔化しもきくだろうしね。でもそうなると、わたしがあの夜に見たエプシロンの顔や姿も、どの程度参考になるか……」
「ふむぅ……」
「たぶんだけど、裏切りの可能性には協会の人たちも気づいてるんじゃないかなって思うの。でも大々的にそんな推測を口にしたら、当然エプシロンに警戒される……」
栞里はここで、二日前にレンダから見せてもらったエプシロンについての資料の内容を思い出した。
「……だから資料には、精霊の裏切りを示唆するような記述はなかった?」
「うん。何度も言うみたいに、全部推測に過ぎないけどね」
ともすれば自分の人生を投げ売ってでもエプシロンを見つけ出そうとしていた澪の推測ならば、じゅうぶん信頼に足るものだ。
つまるところエプシロンを探すのならば、この地図上の印がついた箇所以外のどこかということになる。
「それじゃまずは、近くのこの辺から行ってみよっか。栞里ちゃんもそれでいい?」
「ん」
こうして二人は、澪の地図アプリを参考に調査を始めた。
エプシロンを見つけることももちろん重要だが、もう一つ注意すべきこともある。
それは魔導協会所属と思しき者に、栞里と澪の目的が露見しないように気をつけることだ。
もし独断でエプシロンを探そうとしていることが知られれば、まず間違いなく保護されて新たな監視をつけられる。
そうなればもう自由にエプシロンを探して回ることはできない。
幸いなことと言えば、栞里と澪の二人とも、まだ新米の魔法少女という点だろう。
協会の人間にほとんど顔が知られていない関係上、そもそも協会の所属だと悟られる危険自体少ない。
ただし栞里と違い澪は一度魔導協会に保護されているし、精霊獣事件の被害者の家族でもある。わかる人にはわかってしまう可能性もあった。
「似合うかな?」
そういうわけで栞里と澪の二人は急遽、澪の軽い変装用の小道具を買うために衣料品店を訪れていた。
少し大きめのキャスケット帽をかぶった澪が、姿見の前でくるりと回る。
「ん。似合ってる」
「えへへ……でも、なんだかちょっと残念そうな顔してるよ?」
本当は似合ってないんじゃ……? と不安そうにする澪に、栞里はふるふるとかぶりを振る。
「じゃあ、どうしたの?」
澪の問いに栞里は帽子の上から、ぽんっと澪の頭の上に手を置いて答えた。
「帽子越しだと……撫でにくい」
むむむ、と無念そうに唸る栞里。なにやらこだわりがあるようだ。
なるほどねぇ、と澪は苦笑した。
「……でも、似合ってるのは本当。これまで制服かパジャマしか見てなかったから、私服の澪は新鮮。帽子でさらにおしゃれになった。いじらしく咲いた花みたいで、とても可愛い」
「へっ!? あぅ、えとっ、その……うぅ……あ、ありがと……」
なんてことないように急に持ち上げてくるものだから、澪は一気に顔を朱に染め上げて、しぼみがちに返事をした。
「し、栞里ちゃんも、雰囲気が普段と違って見えて……すごくかっこよくて、可愛い、よ?」
「ん。ありがと」
「め、メガネも! 凛々しくて知的に見えていい感じ!」
「これはエプシロンを少しでも見つけやすくするためにつけてるだけだけど……私はまだこれがないと魔力の痕跡が見えないし」
「…………むー……」
澪なりに頑張って褒め返したつもりだったのに、なんてことないように流されて、澪はぷくーっと頬を膨らませた。
しかし澪はそこで良いものでも見つけたように顔を上げると、小走りで栞里の横を通り抜けた。
栞里の背後の商品棚にあった物を手に取り、栞里が声をかける間もなく会計を済ませて、栞里のもとに戻ってくる。
「はい、栞里ちゃん」
「……ヘアピン? もらっていいの?」
「うん。昨日たくさん迷惑かけちゃったから、そのお詫びとお礼を兼ねて……かな?」
「そんなのいいのに」
「わたしがしないと気が済まないだけだからいーのっ。それにね、さっき一目見た時に思ったの。絶対栞里ちゃんに似合うって。だからこれ、栞里ちゃんにつけてみていい?」
「……ん」
目を閉じて、頭を差し出した栞里の髪に、澪は買ってきたヘアピンをつける。
変に髪型を変えると本人も違和感を覚えるだろうから、邪魔にならないようサイドの髪をほんの軽くまとめる程度だ。
「はい、できたよ」
「……花の飾りがついてる」
姿見でヘアピンを確認し、指先で触れる。
さきほど澪がこのヘアピンを持っていった棚を見る。そこにはご丁寧にモチーフとなった花の名前も書かれていた。
「ルリトウワタ?」
「別名オキシペタラム、ブルースターなどだって」
栞里の聞いたことがない花の名前だったが、いつの間にやらスマホでネット検索をかけていた現代っ子こと澪が横から補足する。
「咲いた花の形が青い星みたいだからブルースターって呼ばれるようになったみたい。花言葉は……ふふ」
「……? どうしたの?」
「花言葉は、幸福な愛。信じ合う心、だって。栞里ちゃんにぴったり」
「ぴったりかな」
「ぴったりだよ。だって栞里ちゃんがそういう人だったから、わたしは今もこうして一緒にいられるんだもん」
栞里はもう一度鏡の前に立って、ヘアピンをつけた自分を見る。
そこで栞里は自分の口角がわずかに上がっていることに気がついた。
(……そっか。嬉しいんだ、私)
「ありがとう、澪」
「あ……う、うん……どういたし、まして」
栞里の笑顔に弱い澪は、顔を赤くして口ごもる。
(あ、あれ……褒めても全然照れてくれなかったから仕返しのつもりだったのに、これ結局わたしが二度恥ずかしい思いをして終わっただけじゃ……)
うー、と澪は頭を抱えてうずくまる。
栞里はそんな澪を見て不思議そうにしていた。
なにはともあれ澪の軽い変装用の小道具ことキャスケット帽を買い終えた二人は、ようやく本格的なエプシロン探しを始めたのだった。