2-8. ざまぁな惨状
ユリアは人化したジェイドと一緒に、自分が監禁されていた牢屋への階段を下りていく……。
すると、もわぁと、すえた悪臭が漂ってくる。
ユリアは眉をひそめ、慎重に降りて行く……。
最初の牢をのぞくと、衣服をビリビリに破られ、ぐちゃぐちゃに乱暴された女性が白い肌をさらしながら倒れ、痙攣していた。
「ひっ!?」
思わず後ずさるユリア。
それはついさっきまで男たちにもてあそばれていた女の子。体のあちこちには悪臭を放つ体液が残されていた。
「えっ……? ゲ、ゲーザ……?」
思わずユリアは口を手で覆う。
それはよく見ると銀髪を編み込んだ紅い唇の女性、ゲーザだった。
ユリアを陥れ、追放させた悪女は自らの愚行で墓穴を掘ったのだ。
「じ、自業自得だわ……。ざまぁよ!」
そう言いながらもユリアの目には涙が浮かび、おもわずジェイドに抱き着く。
うっうっうっ……。
ユリアは涙を流しながら、不幸の連鎖、どこかで歯車が狂ってしまった世界を呪った。
ジェイドはそんなユリアを心配そうに見つめ、髪を優しくなでる。
すると、隣の牢からもすすり泣く声が聞こえてくる。聞き覚えのある声だ。
ユリアはハッとして隣の牢へ走る。
そこで倒れていたのはかつての聖女の仲間たちだった。彼女たちにもまた、乱暴された跡が生々しく残り、悲痛なうめきが牢に響く。
ユリアは清浄化の魔法と治癒魔法を部屋全体にかける。牢の中は金色の光の微粒子が舞い、緑の光の渦がゆったりと牢の中を回った。
「ユリアさまぁ……、うわぁぁん!」「ユリアさまぁ!」
ユリアは泣きながら飛びついてくる聖女たちを両手いっぱいに抱きしめ、そして一緒に涙を流す。
例え大聖女であっても、彼女たちの穢された悲しみを癒してやることなんて到底できない。ただ一緒に泣いてあげることしかできなかった。
◇
さらに隣の牢を見ると、教皇が囚われていた。
教皇はユリアを見るとビクッとして無言のままうつむく。
ユリアの追放に関与していたはずの教皇。ユリアは険しい声で言った。
「公爵派の暗躍について証言してもらえますか?」
すると教皇は口を開いた。
「ワシも全貌は知らん。じゃが、こうやって収監されてしまった以上、公爵派の肩を持つ気もない。全て話そう」
「私の追放は公爵派の陰謀だったという事でいいですね?」
「そうじゃ、そなたには……、申し訳ない事をした」
そう言って教皇は頭を下げる。
「ふざけるな!」
ジェイドは目の奥に赤い炎を揺らし、重低音のどすを聞かせた声を響かせた。
ひぃ!
教皇は恐ろしいドラゴンの威圧にやられ、しゃがみこんで頭を抱え、
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
と、泣き叫んだ。
「謝ってすむ話じゃない!」
ジェイドはさらに凄んだが、ユリアはそれを制止する。
「そういうのは後にしましょう。今は公爵派の陰謀の立証を優先させたいの」
「な、何でもする。だから許してくれぇ!」
すっかり恐怖で追い込まれた教皇は、ユリアに手を合わせてひたすら頭を下げた。
◇
次に捕虜が拘束されている大講堂へと移動する。
大講堂はすでに解放の喜びで大騒ぎとなっていた。
ユリアが入り口を入ると、
「ユ、ユリア様だぁ!」「あ、ありがとうございます!」「ユリア様――――!」
と、歓声が上がり、次々と人が集まってくる。
予想外の大歓迎を受け、圧倒されるユリア。
もみくちゃにされながら奥に進むと、向こうの方には負傷兵たちがたくさん横たわっていた。雑に巻かれた包帯は血で滲み、高熱を出してうなされているものも少なくない。
ユリアは、ギョッとし息をのむと、ギュッと目をつぶった。そして、大きく深呼吸を繰り返して心を落ち着かせ、「範囲上級治癒!」と、叫んで緑色の光の渦を大講堂中に展開した。
緑の光の流れは負傷兵たちの身体をすり抜けながら少しずつ治癒の奇跡を起こし続け、やがて、みんな元の身体を取り戻していく。
「おぉぉぉ!」「うわぁぁぁ!」「す、すごいぞ!」
大講堂にいた人たちは皆、ユリアの起こす奇跡に圧倒され、あるものは涙を流し、あるものはユリアにひざまずいて手を合わせた。
すると、下級兵士の服装をした黒髪の少年が駆けてきて、
「ユリア、ありがとう!」
と叫んでユリアの手を両手で包んだ。
ユリアは一瞬戸惑った。透き通るような白い肌に凛とした鼻筋……、それはアルシェに見えるが……。
「あれ? アルシェ……よね?」
「あ、ゴメンゴメン」
そう言うと、少年はかかっていた変装の魔法を解き、輝くような金髪とエンペラーグリーンに輝く瞳を取り戻した。
「アルシェ! 無事だったのね!」
ユリアは死んだと思っていた恩人の登場に感極まってハグをする。
死を覚悟していたアルシェも緊張の糸が切れ、涙が止まらなくなった。
二人はしばらくお互いの体温を感じながら無事を喜びあう。
周りの観衆たちもそんな二人の涙にもらい泣きをして、鼻をすする音がいくつも響いた。
2-9. 公爵の街、ダギュラ
「こんな事態になったのは君たち王族の問題だ」
ジェイドはアルシェに厳しい声で言う。
アルシェは驚いて顔を上げ、ジェイドを見る。
「そ、そうかもしれません……」
アルシェはうなだれた。
「ジェイド、彼はまだ十四歳よ。責任は無いわ」
ユリアはアルシェをかばう。
そんなユリアをジェイドは少し不機嫌そうに見つめた。
「ユリア、いいんだ……。王族……というのはそれだけ責任が……あるんだ」
アルシェはうなだれながら絞り出すように言う。
「これからどうするんだ?」
ジェイドは淡々と聞く。
「父や兄……主要な王族は全員……処刑されてしまいました。僕が立て直すしかありません……。うっうっう……」
アルシェはそう言ってうなだれ、ポトポトと涙を落とす。
「アルシェ……」
ユリアはアルシェを引き寄せ、優しくハグをする。
ジェイドは何かを言おうとして……、目をつぶるとため息をついた。
◇
今は亡き国王の執務室に移動し、善後策を話し合う。ポイントは二つ、内政をどう立て直すか、と対公爵などの外交をどうするかだった。内政はアルシェが王位を継承したことを国民に広く周知し、生き残った幹部で新たな体制を作り回していくしかない。これは大変だがそれでも作業の話だ。
問題は外交、これは喫緊の課題だ。公爵の影響を排除をしなくてはならないが、公爵と全面戦争なんてしたらまた外国に狙われてしまう。あくまでも戦争をせずに公爵家をお取りつぶしにしないとならない。しかし、どうやって?
アルシェはジェイドに頭を下げて言った。
「申し訳ありません、僕に力を貸してくれませんか?」
ジェイドは不機嫌そうに答える。
「お前たちはユリアを傷つけた。気軽に味方などできん」
アルシェはうつむき、ギュッとこぶしを握ると、ジェイドに土下座して、
「それについては申し開きもありません。でも、ユリアを陥れたのは公爵です。公爵を倒すのだけ、ご協力いただけませんか? なにとぞ!」
と、大きな声で頼んだ。
ジェイドは返答に詰まる。仮にも一国の王が額を床に付けている。その意味は重い。
大きく息をつき……、そして、ユリアの方を向く。
ユリアは悩む。もちろん、公爵は倒さねばならない。でも、それはジェイドとは関係ない話なのだ。ユリアが頼めば力は貸してくれるだろうが、それでいいのだろうか? 自分への好意を利用する、それは正しいことなのだろうか?
「ジェイド……。私はどうしたらいいの……?」
ユリアも答えが出せずにジェイドの袖をつまみ、うつむいて言った。
ジェイドはしばらく思案し、毅然とした態度で言う。
「やはりダメだ。一緒に家に帰ろう。人間界の争いに首など突っ込んじゃダメだ」
ユリアは泣きそうな顔でジェイドを見上げる。
「王都解放までやったんだ。それで十分じゃないか。追放されたユリアがこれ以上助ける筋合いなんてない」
確かにその通りである。追放された時、群衆に石を投げられたことを思い出せば、王国で大聖女として復帰する事も素直に喜べない自分がいる。もちろん、大聖女の力を人々のために使い、安心と平和をもたらしたいという思いはある。だが、それは王国の大聖女という地位とはイコールではない。国に帰属しない道だってあるのだ。
「ユリア! お願いだ、見捨てないでくれ!」
アルシェは立ち上がり、ユリアの手を取って真剣な目で頼む。
ユリアは悩んだ。アルシェは助けてあげたいが、ジェイドを巻き込むのも気が引けるし、公爵軍の兵士たちにだって家族がいるのだ。敵だからと簡単に殺していい話ではない。
何が正解か全然見えてこなかった。
ユリアは目をつぶり、しばらく考えると、ジェイドに聞く。
「公爵をさらってくる。これだけ……、お願いできるかな?」
「さらう……」
ジェイドは気乗りのしない顔でしばらく考え、
「まぁ……、さらうだけなら……」
と、嫌そうに答えた。
◇
ユリアを乗せたドラゴンは澄んだ群青色の空を飛ぶ。力強く羽ばたきながら雲を越え、ひたすらに東を目指す。公爵の支配する街、ダギュラが見えてきた頃にはすっかりと暗くなり、上弦の月が高く輝いていた。
「見えてきた、あそこだ」
ジェイドが言う。
「あそこね……、結界……かしら?」
ぼうっと明るく光る城郭都市の中心部にはガラスドームのような結界があり、淡く虹色に蛍光して神秘的なイルミネーションとなっていた。宮殿はそのドームの中にある。
「あのくらいなら破れるだろう」
「さすがジェイドね!」
ユリアはジェイドのウロコのトゲにギュッとしがみつく。
ジェイドは宮殿に向けて急降下しながら青白く全身を光らせ、直後、衝撃波を放つ。
衝撃波は結界を砕き、ガシャ――――ン! パリパリというガラスが割れたような音を立てながら崩壊していった。
ジェイドはそのまま一気に突入し、綺麗に手入れされた庭園の広がる正面玄関前に着地する。
しかし……、宮殿には明かりはなく、静まり返り、ただ、不気味に街灯だけが魔法の炎を揺らしていた。
2-10. ドラゴンスレイヤー
「これは……、どういうことだ?」
ジェイドは首を低くしてユリアを下ろしながら言った。
「誰も……いないのかしら?」
「いやいや、まだ宵の口、ディナータイムだ。誰もいないなんてこと無いだろう」
ジェイドはそう言うと人に戻る。
そして、二人は不気味に静まり返る宮殿へそろそろと近づいて行った。
正面の巨大なドアを引いてみると、ガチャリと重厚な音がして動く。カギもかかっていない。
二人は顔を見合わせ、うなずき合うと恐る恐るドアを開けた……。
中は真っ暗で、静まり返っている。
「誰も……、いないみたいよ?」
ユリアがキョロキョロと見回した時だった。急に魔法のランプがポツポツと光り始め、豪奢で広大なエントランスを照らしだす。
ひっ!
思わずジェイドにしがみつくユリア。
ジェイドはそっとユリアの頭をなで、辺りを見回す……。
エントランスの床には青を基調とした壮大なモザイクが施され、大理石でできた真っ白との壁との対比が美しく、壮麗な雰囲気を演出していた。
そして、優美な曲線を描きながら二階へと続く赤じゅうたんの階段、王宮よりも立派な造りにユリアは訝しがる。
「お待ちしていましたよ、グフフフ……」
いきなり声がした。
二人が見上げると、正面の階段をニヤけた男がスタスタと下りてくる。
それはユリアも見覚えもある、頭の薄くなった小太りの中年、ホレス公爵だった。
「こ、公爵! いたのね!」
ユリアは公爵の不気味さに気おされながら声を上げる。
「ドラゴンを殺す様子なんて、家の者には見せられないのでね……」
いやらしい笑みを浮かべるホレス。
『ドラゴンを殺す』というホレスの言葉にユリアは激しい違和感を覚えた。そんなことただの人間にできる訳がない。なぜ、そんなことが言えるのだろう? ホレスの異様な雰囲気にユリアは背筋に冷たいものを感じた。
「よ、よくも追放なんてしてくれたわね! あなたの悪だくみはバレてるの。法廷で裁いてやるから神妙にしなさい!」
ユリアは勇気を振り絞って叫ぶ。
「グフフフ、弱い犬ほどよく吠える……ほわぁぁぁ!」
ホレスがそう叫ぶと、全身がボコボコと膨れだし、肌の色も緑へと変わり始める。
「へっ!?」
思わず後ずさりするユリア。
グッ、グッ……グギャァァ!
ホレスが瞳を黄色に光らせながら苦しそうに喚くと、シャツがパン! と破け、ボコボコと盛り上がった筋肉が不気味に緑色に光った。それは、もはや人間ではない、まるでオーガのような姿だった。
ひぃぃぃ!
異形に変化してしまった公爵、その異様さに圧倒されてユリアはジェイドの後ろに隠れる。
「この姿を見た以上、君たちには死んでもらわんとな……」
ホレスはそう言うと、スラリと幅広の剣を引き抜いた。それは瑠璃色に輝く刀身を持つ美しい剣。表面には幻獣の模様が彫ってあり、もはや宝剣といった風格がある。
「くっ! なぜ、お前がそれを!?」
ジェイドの表情が険しくなる。
「そう、ドラゴンスレイヤー、龍退治用の神の剣だよ、グフフフ」
ホレスはまるで曲芸師の様にドラゴンスレイヤーをブンブンを振り回し、クルクルと回した。
ちっ!
ジェイドは美しい顔を歪めると、気合を込め、全力の衝撃波をホレスへと放った。
ズン!
衝撃波はホレスに直撃し、周囲の階段やインテリアがぐちゃぐちゃに壊れて吹き飛ぶ。
きゃぁ!
その爆風にユリアは思わずしゃがみ込んだ。
コツコツコツ。
爆煙の中から靴音を響かせながらホレスはにやけ顔で現れる。
「物理攻撃無効、魔法攻撃無効、ドラゴンと言えどこの身体、かすり傷一つつけることはできんよ、グフフフ」
そう言いながら、ホレスはブンとジェイドめがけてドラゴンスレイヤーを振った。刀身から放たれた青く輝く光の刃がジェイドを襲う。ジェイドは瞬時にシールドを展開したが、刃はシールドを素通りし、そのままジェイドの身体を切り裂いた。
ぐはぁ!
ジェイドの肩口がザックリと斬れ、血が噴き出す。
「ダ、ダメだ……、逃げる……ぞ!」
そう言ってジェイドはユリアの手を取って出口に駆けだしたが、
「逃がさんよ」
ホレスはそう言いながら瞬歩で一気に間合いを詰めると、ジェイドめがけてドラゴンスレイヤーを振りかかぶった。
「ダメぇ!」
ユリアはジェイドの手を振りほどくと、渾身の神聖魔法を瑠璃色の刀身に放つ。
ガン!
強固な結界が膨張する衝撃で刀身が弾かれ、ドラゴンスレイヤーはホレスの手から離れた。
カン! カン! と音を立てて床を転がっていく。
「くっ! このアマが!」
ホレスは瞳に憎悪の炎を燃やし、逃げようとするユリアに向けて魔法の鎖を放つ。
きゃぁ!
鎖は不気味な紫色の光を放ちながら、まるで触手のようにユリアに巻き付いていく。
ユリアは魔法で何とか鎖を外そうとあがいたが、全ての魔法は跳ね返され、あえなくグルグル巻きにされ、引き倒された。
「いやぁ!」
「ユ、ユリア!」
ジェイドは傷口を手で押さえ、血をボタボタとたらしながらユリアを助けようとしたが、ホレスはドラゴンスレイヤーを拾って再度ジェイドに狙いを絞る。
「ダメ! 逃げてぇ!」
ユリアの悲痛な叫びが広間にこだました。
2-11. 瑠璃色の刀身
くっ!
敵は攻撃の効かない身体にドラゴンスレイヤー、活路を見いだせないジェイドは悔しさで顔を歪めながら一旦外に逃げた。
そして、そっと窓から中の様子をのぞく。
「おやおや、イケメンに逃げられちゃったな」
ホレスはそう言いながら鎖を引っ張り、ユリアをソファまで引きずると、髪の毛をガシッとつかみ、ソファに転がした。
「痛ぁい!」
ユリアは苦悶の表情を浮かべる。
「さーて、ドラゴン。この女をヒィヒィ言わせちゃうぞ!」
ホレスは金色の目で窓をにらみながらユリアの身体をまさぐった。
「何すんの! やめて!」
ユリアは身体をよじらせながら叫ぶ。
するとホレスは、ドラゴンスレイヤーの刃をユリアの頬にピタリと当てる。
ひっ!
氷のように冷たい瑠璃色の刀身がユリアを硬直させる。
「暴れると……、この刃が食い込んじゃうかも……しれないよ?」
そう言ってホレスはドラゴンスレイヤーの刃を少し引く。
柔らかいすべすべとしたユリアの頬が切れ、血がタラリとたれた。
ひぃぃぃ……。
ユリアは何も言えなくなり、涙がポロリとこぼれる。
「さて、ショータイムといこう!」
ホレスは窓に向いて叫ぶと、ドラゴンスレイヤーの刀身の平たい面でユリアの白いワンピースをパン! と叩いた。
すると、ワンピースは一瞬閃光を放ち、ポン! と破裂音を伴いながらはじけ飛んだ。
「い、いやぁ!」
ユリアは全裸となり、かろうじてボロきれが大切な所を覆っている。
なんとかしたいと、もがくユリアだったが、鎖にガッシリと縛られてどうにもならない。
「なんだ、お前まだ男を知らんのか。イケメンとよろしくやってると思ったんだが……」
ホレスはいやらしい笑みでユリアの身体をなめるように見た。
「うっうっうっ、やめてぇ……」
ユリアはか細い声をあげて泣く。
「さーて、ドラゴン! こいつが女になるところをしっかりと見とけよ!」
ホレスはそう言うとユリアの両足をつかんだ。
「ダメぇ!」
ユリアは足を動かそうとするがビクともしない。まるで鋼鉄に足をつかまれたかのようにほんの少しも動く気配がなかった。
その時だった、バン! という扉を蹴る音がしてジェイドがダッシュで駆けてくる。
血をふりまき、美しい顔を苦痛でゆがめながら瞳を真っ赤に輝かせて飛ぶようにホレスに接近した。
「バカめ!」
ホレスはドラゴンスレイヤーを振り上げ、ジェイドめがけて振り下ろそうとする。
その時、ボシュ! という音がして盛大な蒸気がホレスの目の前に吹き上がった。ジェイドは水魔法と火魔法を同時に出し、煙幕としたのだ。
くっ!
ホレスはあてずっぽうにドラゴンスレイヤーを振り回したがジェイドには当たらない。
直後、ジェイドがホレスの頭上に現れた。
「ワシには攻撃など効かん!」
そう言いながらドラゴンスレイヤーを構えなおすホレス。
直後、ジェイドは何かを振り下ろす。
うひぃぃ――――。
奇妙な声を残して、ホレスは消えた……。
「えっ!?」
ユリアは驚いた。緑色の巨体が一瞬で消え去ったのだ。
あっけに取られていると、ジェイドがアイテムバックを見せる。なんと、ホレスをアイテムバッグに収納してしまったのだった。
通常、生き物を吸い込んでしまわないようにアイテムバッグにはセーフティロックがかかっているが、ジェイドはそれを解除して武器として使ったのだ。
クッ……。
ジェイドがガクッとひざをついて、血がポタポタと落ちる。
「あぁっ! ジェイド!」
魔法の鎖が解けたユリアはボロ布で身体を隠しながら、うずくまるジェイドに治癒魔法をかける。しかし、ジェイドの傷はふさがらず、血がだらだらと流れるばかりだった。
ツゥ……。
ジェイドは痛みに顔を歪ませる。
「えっ!? なんで効かないの!?」
ユリアは必死に何度も治癒魔法をかけた。
「神の力でついた傷には魔法は効かないんだ」
「ど、どうしたら治るの?」
ユリアは涙をポロポロ流しながら聞く。
「自然治癒で直すしかない。棲み処へ帰らないと……」
ジェイドはアイテムバッグからユリアの服を出しユリアに渡すと、立ち上がったが……、貧血でふらついた。
「あぁ!」
ユリアは急いで支える。ジェイドの暖かい血がたらたらとユリアの白い肌を赤く染めながら流れていく。
「ジェ、ジェイド……?」
ジェイドは荒い息で凄い高熱を発している。
ユリアはことの深刻さに目の前が真っ暗になる。
「えっ!? ジェイド、ジェイドが死んじゃう――――!」
ユリアは急いでソファにジェイドを横たえると、傷口に布を当て、ジャケットの袖を器用に縛って止血をする。
ジェイドは苦しそうに荒く息をするばかりだった。
2-12. 口移し
「ジェイド! お家に帰ろう!」
ユリアはジェイドに話しかけるが返事がない。意識がもう失われてしまっている。
一刻を争う事態に、ユリアはジェイドを背負うと飛行魔法で浮かび上がった。
そして、月夜の空へ飛び立っていく。
ダギュラの街明かりを受けながら徐々に高度を上げるユリア。
だが、ジェイドを担いで飛ぶのはユリアには荷が重かった。何度もフラフラとバランスを崩しながらも必死に飛び続ける。
「ジェイド、死んじゃダメ!」
ユリアは月明かりを浴びながら涙をポロポロとこぼし、必死にオンテークを目指す。
自分が余計なことを頼んだがためにジェイドを傷つけてしまった。ユリアは自分の考えの甘さが招いた悲劇に打ちひしがれながら必死に飛んだ。
ジェイドのいない人生なんてもうユリアには考えられない。ジェイドを失ったらもう生きていく自信なんてなかった。
自分を救ってくれた大切な人、こんな自分を「好き」と、言ってくれたかけがえのない人、自分が命にかけても救うのだ。
ユリアは歯をぎゅっと食いしばると飛行のイメージを固め、さらに加速していく。
途中何度も強風であおられるも、ユリアは自分の命も燃やす勢いで力を絞り出し、ただひたすらに遠くに見えてきた火山、オンテークを目指した。
◇
月が沈みかける頃、ユリアはボロボロになりながらようやくジェイドの棲み処に戻ってきた。
ユリアはジェイドをベッドに寝かせると、服をはいで傷口を露わにする。パックリと開いた肩口の傷はまだ血が止まらず、青黒く変色しており、その痛々しいさまにユリアは思わず歯がガチガチと鳴る。この傷をうまく治療できないとジェイドは死んでしまうだろう。ユリアは涙をポロポロとこぼしながら、浄化魔法をかけた。
ぐわぁぁ!
ジェイドは、苦しそうに叫ぶ。浄化魔法が瘡蓋になりかけの部分までぬぐってしまっているからなのか、相当に痛そうだった。でも傷口を綺麗にしなければ化膿してしまう。
「ごめんね、ごめんね」
ユリアは泣きながら手を握り、浄化魔法を続けた。
消毒が終わると、裁縫道具から糸と針を取り出す。戦場では消毒して傷口を縫うと聞いたことがある。自分は回復魔法が使えるから無関係だと思っていたが今、大切の人の命を懸けて縫わねばならない。
ユリアはブルブルと震える手を何とか押さえ、溢れてくる血の中、一針ずつ涙をポロポロとこぼしながら縫っていった。
縫うたびにジェイドは歯を食いしばり、苦しそうにするが、どうしようもない。
「もう少し……もう少し、我慢してね」
ユリアは袖で涙をぬぐいながら針を進めた。
◇
全部縫い終わると、タオルを縫い合わせた包帯で患部をグルグルと巻き、毛布を掛け、寝かせた。
しかし、ジェイドの息は荒く、高熱で汗が止まらない。
このままだと脱水症状になってしまう。ユリアは、水をくんでくると、ジェイドに飲ませようとした。しかし、意識がもうろうとしているジェイドはうまく飲んでくれない。
「あぁ……、どうしよう。ジェイド……」
ギュッと手を握って、苦しそうに喘ぐジェイドを悲痛な思いで眺めるユリア。
そして意を決すると、ユリアは自分の口に水を含み、そのままジェイドのくちびるに重ねた。そして舌で少しずつすき間を作り、ジェイドの中へと口移しで流し込んでいく。最初は戸惑っているようだったジェイドも、無心にゴクゴクと飲む。
何回か水を飲ませると、ジェイドは少し安らいだ表情になって静かに眠りについていった。
◇
ベッドわきで看病しながら眠り込んでいたユリアは、頬を優しくなでられて目が覚めた。
「ん……?」
目を開けると、ジェイドが優しく微笑んでいる。
「ジェ、ジェイドぉ!」
ユリアはバッと身を起こすと、ジェイドの手を抱きしめ、ポロポロと涙をこぼした。
「ユリアのおかげだ。ありがとう」
ジェイドはそう言って震えるユリアに頬を寄せる。
うっうっうっ……。
ユリアは大切な人が回復した喜びと同時に、自分のせいでジェイドを失いかけた恐ろしさを思い出し、頭の中がぐちゃぐちゃになってただ泣きじゃくっていた。
2-13. 神様の戯れ
ジェイドの傷は快方には向かっているものの、重傷であり、少なくとも一週間は寝たきりである。
その間、ユリアは食事を用意したり、包帯を替えたり、身体を綺麗にしたり、かいがいしく看病をした。
公爵を捕縛した事はアルシェには伝えてあるが、ジェイドがこんな状態である以上、しばらく王都へは行けない。王国の立て直しは十四歳の新王には荷が重いとは思うが、化け物と化した公爵を見てしまったユリアには、もう政治の世界に近づく気にはなれなかった。
「公爵は……、なんであんな化け物になっちゃったのかな……?」
ユリアは食後に紅茶を入れながら聞いた。
「分からない。だが、彼が使っていたのは神の力……、人間が手にできるような力ではない」
「後ろに神様がついてるってこと? 神様が私を追放させ、王国を滅ぼそうとしたってことなの?」
「そうなるが……、神様にはそんなことするメリットなんてない。公爵なんか使わなくても一人で王国なんて滅ぼせてしまうし」
ジェイドは眉をひそめながら紅茶をすすった。
「そうよね……。どういうことなのかしら……」
「神様が関わっているとしたら我はもう出られない」
ジェイドは傷口をさすりながら言う。
「そうよね……」
アルシェを手伝ってあげたい思いもあるが、これ以上ジェイドを危険な目に遭わせるわけにはいかないのだ。
神様の戯れに振り回される人間たち……。
ユリアは大きくため息を漏らし、紅茶をすすりながら思案に沈んだ。
◇
その晩、ユリアがベッドに入ると、ジェイドが腕枕をしてきた。
「えっ!? 傷口が開くわよ?」
ユリアは驚く。
「このくらい大丈夫だ。いろいろありがとう」
ジェイドはユリアの頭をなでながら言った、
ユリアはジェイドの精悍な男の匂いに頬を赤らめながら、
「このくらい大したこと無いわ」
と言って、スリスリと頬でジェイドを感じた。
「最初の晩に……」
ジェイドがちょっと恥ずかしそうに切り出す。
「え?」
「もしかして、水を……飲ませてくれた?」
ユリアはボッと顔から火が出る思いで真っ赤にして、
「ごめんなさい、あれは必死だったの!」
そう言ってジェイドの胸に顔をうずめた。
「謝らないで……。もっとして欲しいくらいなんだから……」
ジェイドはユリアに頬を寄せ、耳元でささやく。
「え……?」
ユリアは恐る恐るジェイドを見る。
すると、ジェイドは優しくユリアの頬にキスをした。
唇の温かな感触にユリアは少しボーっとして……、そして、吸い寄せられるようにジェイドの唇を求めた。
ぎこちなく唇を重ねるユリアをジェイドは優しく受け入れる。しばらく二人はお互いの想いを確かめるように舌を絡めた。
想いが高まったユリアはついジェイドを抱きしめようと、もう片方の腕に触れてしまう。
うっ!
ジェイドが痛そうな声をあげて固まる。
「あっ! ごめんなさい! ごめんなさい!」
ユリアは慌てて離れた。
「だ、大丈夫……」
ジェイドは美しい顔を歪めながら傷口を押さえる。
ユリアはジェイドの様子を申し訳なさそうにしばらく眺め、毛布を広げるとそっとジェイドにかぶせた。
◇
翌日、ユリアが食事の用意をして部屋に持ってくると、ジェイドが深刻そうな顔をしている。
「ど、どうしたの? 何かあった?」
ユリアがプレートをテーブルに置きながら、引きつった笑顔で聞く。
ジェイドは大きく息をつくと言った。
「王国で内戦だ。公爵軍が反旗を翻した」
「えっ!? 公爵はもういないのに?」
「先日のオザッカの侵攻で王国軍がかなりやられてしまったので、統制が効かないのだろう」
「ど、ど、ど、どうしよう……」
ユリアは青くなってうつむく。また多くの人が死んでしまう。アルシェも死んでしまうかもしれない……。
「どうしようもない。人間同士の争いに首を突っ込んじゃダメだ」
「そ、そんな……」
ユリアが行ったとして戦争なんて止められない。それは分かっているが、王都の人たちが傷つくのは何とか減らしたい。何かいい手は無いだろうか……?
「治癒だけ、ケガを直すのだけやればいいのかも?」
「ダメだ。直した兵士はまた戦いに行くし、ユリアも標的になる」
「じゃあどうしたら!?」
ユリアは今にも泣きそうな目でジェイドを見る。
ジェイドは目をつぶり、大きく息をつくと諭すように言う。
「祈る……しかない」
「そんなぁ!」
ユリアはガックリとうなだれ、涙をポロポロとこぼす。
自分の無力さ、神の理不尽さ、そんな神に踊らされる人間たちの不甲斐なさに打ちのめされ、動けなくなった。
2-14. 荒廃した大地
「勝敗がついたら……、復興を手伝いに行こう」
「そんなこと言って、アルシェが死んだらどうするのよ!」
ジェイドはムッとした様子で言う。
「あいつは特別なのか?」
「と、と、特別……、なんかじゃないけど……。追放された時にずいぶん助けてもらって勇気づけられたの」
ジェイドはふぅ……と、息をつくと言った。
「分かった、友達に言って彼が死ぬことのないように警護してもらおう」
「えっ?」
「この情報をくれたのも彼女なんだが、友達の妖狐が今、王都で様子をうかがってくれている。本陣が危なくなったら彼だけでも助けだしてもらうよう頼んでみよう」
「あ、ありがとう!」
ユリアはジェイドの手を取り、涙をぬぐう。
「戦争が終わったら彼女に美味しいものでも食べさせてやってくれ」
ジェイドはユリアの手をギュッと握る。
ユリアはゆっくりうなずいた。
◇
しばらく二人は妖狐からの戦況情報を聞きながら、一喜一憂する落ち着かない日々を過ごしていた。
すると、突然、とんでもない情報がもたらされる。
南西にある大きな島国のサグが挙兵してオザッカに攻め込んだというのだ。オザッカは先の王都侵攻で将校たちが囚われ、軍事力に陰りが出ているのは確かだったが、全く予想外の事態にユリアはうろたえる。
「王国が分裂してるからチャンスだと思ったんだろう」
ジェイドが淡々と言った。
「サグがオザッカを制圧したら王国にも……来るかな?」
ユリアが泣きそうな顔で言う。
「反乱をうまく鎮圧できなければ来るだろうね」
「そ、そんな……」
うなだれるユリア。
ジェイドは心配そうにユリアを見つめ、そっとハグした。
事態はさらに混迷を深めていく。
オザッカをあっという間に制圧したサグはその勢いのまま王都へと侵攻していった。
アルシェたちは王都で籠城をし、サグを迎え撃ったが、なんとその時、島国サヌークの軍隊が電撃的にサグの首都を急襲したとの報が駆け巡る。
これですべての国が戦争に突入し、全土が戦火に覆われることになった。
街の人たちは次々と田舎へと逃げだし、街は閑散として経済もマヒする。さらに軍隊の特殊部隊は敵地の農村の田畑を焼き払い、兵糧攻めを図る。
食べ物を失った人々は次々と飢えに倒れ、地獄絵図があちこちで展開されることとなった。
◇
じっとしてられないユリアは、朝早くジェイドに内緒で王都へと飛んだ。
森を越えると焼け焦げた農村が広がり、人の姿はどこにも見えない。あれほど豊かな実りを見せていた豊穣の大地はただの焼け野原となり、まさに地獄と化していた。
ユリアはあまりのことに呆然とし、涙をポロポロとこぼしながら飛ぶ。
うっうっうっ……。
とめどなくあふれてくる涙を止めることをできないまま、ただ、王都へと急いだ。
遠くに王都が見えてきたが、どうも様子がおかしい。いつもならにぎやかに人が行きかい、あちこちから湯気の上がる活気を見せていた街には何の動きも見られない。
はやる気持ちを押さえながら近づいて行くと、そこはゴーストタウンだった。あれほど活気にあふれていた街には誰もいなかったのだ。
「うそ……」
ユリアはその惨状に言葉を失ってしまう。
つい先日まで王国の中心として十万人の人が暮らしていた活気のある巨大な街が、あちこち焼け焦げた廃墟の街と化してしまっていたのだ。
かろうじて中心部の方に人の気配があり、ユリアは急いで飛んだ。
王宮が見えてきたが、美しかった庭園は掘り起こされ、畑となっており、何人かが畑仕事をしている。
ユリアが着陸しようとすると、魔法が飛んできた。急いでシールドを張って防いだが、次々と攻撃を受け、やむなく引き返すことにする。
敵意がない事をちゃんと示して丁寧にやればよかったのかもしれないが、荒廃しきった王都や農村を見てしまったユリアは、もういっぱいいっぱいでそんな余裕もなかったのだ。
ユリアは人化したジェイドと一緒に、自分が監禁されていた牢屋への階段を下りていく……。
すると、もわぁと、すえた悪臭が漂ってくる。
ユリアは眉をひそめ、慎重に降りて行く……。
最初の牢をのぞくと、衣服をビリビリに破られ、ぐちゃぐちゃに乱暴された女性が白い肌をさらしながら倒れ、痙攣していた。
「ひっ!?」
思わず後ずさるユリア。
それはついさっきまで男たちにもてあそばれていた女の子。体のあちこちには悪臭を放つ体液が残されていた。
「えっ……? ゲ、ゲーザ……?」
思わずユリアは口を手で覆う。
それはよく見ると銀髪を編み込んだ紅い唇の女性、ゲーザだった。
ユリアを陥れ、追放させた悪女は自らの愚行で墓穴を掘ったのだ。
「じ、自業自得だわ……。ざまぁよ!」
そう言いながらもユリアの目には涙が浮かび、おもわずジェイドに抱き着く。
うっうっうっ……。
ユリアは涙を流しながら、不幸の連鎖、どこかで歯車が狂ってしまった世界を呪った。
ジェイドはそんなユリアを心配そうに見つめ、髪を優しくなでる。
すると、隣の牢からもすすり泣く声が聞こえてくる。聞き覚えのある声だ。
ユリアはハッとして隣の牢へ走る。
そこで倒れていたのはかつての聖女の仲間たちだった。彼女たちにもまた、乱暴された跡が生々しく残り、悲痛なうめきが牢に響く。
ユリアは清浄化の魔法と治癒魔法を部屋全体にかける。牢の中は金色の光の微粒子が舞い、緑の光の渦がゆったりと牢の中を回った。
「ユリアさまぁ……、うわぁぁん!」「ユリアさまぁ!」
ユリアは泣きながら飛びついてくる聖女たちを両手いっぱいに抱きしめ、そして一緒に涙を流す。
例え大聖女であっても、彼女たちの穢された悲しみを癒してやることなんて到底できない。ただ一緒に泣いてあげることしかできなかった。
◇
さらに隣の牢を見ると、教皇が囚われていた。
教皇はユリアを見るとビクッとして無言のままうつむく。
ユリアの追放に関与していたはずの教皇。ユリアは険しい声で言った。
「公爵派の暗躍について証言してもらえますか?」
すると教皇は口を開いた。
「ワシも全貌は知らん。じゃが、こうやって収監されてしまった以上、公爵派の肩を持つ気もない。全て話そう」
「私の追放は公爵派の陰謀だったという事でいいですね?」
「そうじゃ、そなたには……、申し訳ない事をした」
そう言って教皇は頭を下げる。
「ふざけるな!」
ジェイドは目の奥に赤い炎を揺らし、重低音のどすを聞かせた声を響かせた。
ひぃ!
教皇は恐ろしいドラゴンの威圧にやられ、しゃがみこんで頭を抱え、
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
と、泣き叫んだ。
「謝ってすむ話じゃない!」
ジェイドはさらに凄んだが、ユリアはそれを制止する。
「そういうのは後にしましょう。今は公爵派の陰謀の立証を優先させたいの」
「な、何でもする。だから許してくれぇ!」
すっかり恐怖で追い込まれた教皇は、ユリアに手を合わせてひたすら頭を下げた。
◇
次に捕虜が拘束されている大講堂へと移動する。
大講堂はすでに解放の喜びで大騒ぎとなっていた。
ユリアが入り口を入ると、
「ユ、ユリア様だぁ!」「あ、ありがとうございます!」「ユリア様――――!」
と、歓声が上がり、次々と人が集まってくる。
予想外の大歓迎を受け、圧倒されるユリア。
もみくちゃにされながら奥に進むと、向こうの方には負傷兵たちがたくさん横たわっていた。雑に巻かれた包帯は血で滲み、高熱を出してうなされているものも少なくない。
ユリアは、ギョッとし息をのむと、ギュッと目をつぶった。そして、大きく深呼吸を繰り返して心を落ち着かせ、「範囲上級治癒!」と、叫んで緑色の光の渦を大講堂中に展開した。
緑の光の流れは負傷兵たちの身体をすり抜けながら少しずつ治癒の奇跡を起こし続け、やがて、みんな元の身体を取り戻していく。
「おぉぉぉ!」「うわぁぁぁ!」「す、すごいぞ!」
大講堂にいた人たちは皆、ユリアの起こす奇跡に圧倒され、あるものは涙を流し、あるものはユリアにひざまずいて手を合わせた。
すると、下級兵士の服装をした黒髪の少年が駆けてきて、
「ユリア、ありがとう!」
と叫んでユリアの手を両手で包んだ。
ユリアは一瞬戸惑った。透き通るような白い肌に凛とした鼻筋……、それはアルシェに見えるが……。
「あれ? アルシェ……よね?」
「あ、ゴメンゴメン」
そう言うと、少年はかかっていた変装の魔法を解き、輝くような金髪とエンペラーグリーンに輝く瞳を取り戻した。
「アルシェ! 無事だったのね!」
ユリアは死んだと思っていた恩人の登場に感極まってハグをする。
死を覚悟していたアルシェも緊張の糸が切れ、涙が止まらなくなった。
二人はしばらくお互いの体温を感じながら無事を喜びあう。
周りの観衆たちもそんな二人の涙にもらい泣きをして、鼻をすする音がいくつも響いた。
2-9. 公爵の街、ダギュラ
「こんな事態になったのは君たち王族の問題だ」
ジェイドはアルシェに厳しい声で言う。
アルシェは驚いて顔を上げ、ジェイドを見る。
「そ、そうかもしれません……」
アルシェはうなだれた。
「ジェイド、彼はまだ十四歳よ。責任は無いわ」
ユリアはアルシェをかばう。
そんなユリアをジェイドは少し不機嫌そうに見つめた。
「ユリア、いいんだ……。王族……というのはそれだけ責任が……あるんだ」
アルシェはうなだれながら絞り出すように言う。
「これからどうするんだ?」
ジェイドは淡々と聞く。
「父や兄……主要な王族は全員……処刑されてしまいました。僕が立て直すしかありません……。うっうっう……」
アルシェはそう言ってうなだれ、ポトポトと涙を落とす。
「アルシェ……」
ユリアはアルシェを引き寄せ、優しくハグをする。
ジェイドは何かを言おうとして……、目をつぶるとため息をついた。
◇
今は亡き国王の執務室に移動し、善後策を話し合う。ポイントは二つ、内政をどう立て直すか、と対公爵などの外交をどうするかだった。内政はアルシェが王位を継承したことを国民に広く周知し、生き残った幹部で新たな体制を作り回していくしかない。これは大変だがそれでも作業の話だ。
問題は外交、これは喫緊の課題だ。公爵の影響を排除をしなくてはならないが、公爵と全面戦争なんてしたらまた外国に狙われてしまう。あくまでも戦争をせずに公爵家をお取りつぶしにしないとならない。しかし、どうやって?
アルシェはジェイドに頭を下げて言った。
「申し訳ありません、僕に力を貸してくれませんか?」
ジェイドは不機嫌そうに答える。
「お前たちはユリアを傷つけた。気軽に味方などできん」
アルシェはうつむき、ギュッとこぶしを握ると、ジェイドに土下座して、
「それについては申し開きもありません。でも、ユリアを陥れたのは公爵です。公爵を倒すのだけ、ご協力いただけませんか? なにとぞ!」
と、大きな声で頼んだ。
ジェイドは返答に詰まる。仮にも一国の王が額を床に付けている。その意味は重い。
大きく息をつき……、そして、ユリアの方を向く。
ユリアは悩む。もちろん、公爵は倒さねばならない。でも、それはジェイドとは関係ない話なのだ。ユリアが頼めば力は貸してくれるだろうが、それでいいのだろうか? 自分への好意を利用する、それは正しいことなのだろうか?
「ジェイド……。私はどうしたらいいの……?」
ユリアも答えが出せずにジェイドの袖をつまみ、うつむいて言った。
ジェイドはしばらく思案し、毅然とした態度で言う。
「やはりダメだ。一緒に家に帰ろう。人間界の争いに首など突っ込んじゃダメだ」
ユリアは泣きそうな顔でジェイドを見上げる。
「王都解放までやったんだ。それで十分じゃないか。追放されたユリアがこれ以上助ける筋合いなんてない」
確かにその通りである。追放された時、群衆に石を投げられたことを思い出せば、王国で大聖女として復帰する事も素直に喜べない自分がいる。もちろん、大聖女の力を人々のために使い、安心と平和をもたらしたいという思いはある。だが、それは王国の大聖女という地位とはイコールではない。国に帰属しない道だってあるのだ。
「ユリア! お願いだ、見捨てないでくれ!」
アルシェは立ち上がり、ユリアの手を取って真剣な目で頼む。
ユリアは悩んだ。アルシェは助けてあげたいが、ジェイドを巻き込むのも気が引けるし、公爵軍の兵士たちにだって家族がいるのだ。敵だからと簡単に殺していい話ではない。
何が正解か全然見えてこなかった。
ユリアは目をつぶり、しばらく考えると、ジェイドに聞く。
「公爵をさらってくる。これだけ……、お願いできるかな?」
「さらう……」
ジェイドは気乗りのしない顔でしばらく考え、
「まぁ……、さらうだけなら……」
と、嫌そうに答えた。
◇
ユリアを乗せたドラゴンは澄んだ群青色の空を飛ぶ。力強く羽ばたきながら雲を越え、ひたすらに東を目指す。公爵の支配する街、ダギュラが見えてきた頃にはすっかりと暗くなり、上弦の月が高く輝いていた。
「見えてきた、あそこだ」
ジェイドが言う。
「あそこね……、結界……かしら?」
ぼうっと明るく光る城郭都市の中心部にはガラスドームのような結界があり、淡く虹色に蛍光して神秘的なイルミネーションとなっていた。宮殿はそのドームの中にある。
「あのくらいなら破れるだろう」
「さすがジェイドね!」
ユリアはジェイドのウロコのトゲにギュッとしがみつく。
ジェイドは宮殿に向けて急降下しながら青白く全身を光らせ、直後、衝撃波を放つ。
衝撃波は結界を砕き、ガシャ――――ン! パリパリというガラスが割れたような音を立てながら崩壊していった。
ジェイドはそのまま一気に突入し、綺麗に手入れされた庭園の広がる正面玄関前に着地する。
しかし……、宮殿には明かりはなく、静まり返り、ただ、不気味に街灯だけが魔法の炎を揺らしていた。
2-10. ドラゴンスレイヤー
「これは……、どういうことだ?」
ジェイドは首を低くしてユリアを下ろしながら言った。
「誰も……いないのかしら?」
「いやいや、まだ宵の口、ディナータイムだ。誰もいないなんてこと無いだろう」
ジェイドはそう言うと人に戻る。
そして、二人は不気味に静まり返る宮殿へそろそろと近づいて行った。
正面の巨大なドアを引いてみると、ガチャリと重厚な音がして動く。カギもかかっていない。
二人は顔を見合わせ、うなずき合うと恐る恐るドアを開けた……。
中は真っ暗で、静まり返っている。
「誰も……、いないみたいよ?」
ユリアがキョロキョロと見回した時だった。急に魔法のランプがポツポツと光り始め、豪奢で広大なエントランスを照らしだす。
ひっ!
思わずジェイドにしがみつくユリア。
ジェイドはそっとユリアの頭をなで、辺りを見回す……。
エントランスの床には青を基調とした壮大なモザイクが施され、大理石でできた真っ白との壁との対比が美しく、壮麗な雰囲気を演出していた。
そして、優美な曲線を描きながら二階へと続く赤じゅうたんの階段、王宮よりも立派な造りにユリアは訝しがる。
「お待ちしていましたよ、グフフフ……」
いきなり声がした。
二人が見上げると、正面の階段をニヤけた男がスタスタと下りてくる。
それはユリアも見覚えもある、頭の薄くなった小太りの中年、ホレス公爵だった。
「こ、公爵! いたのね!」
ユリアは公爵の不気味さに気おされながら声を上げる。
「ドラゴンを殺す様子なんて、家の者には見せられないのでね……」
いやらしい笑みを浮かべるホレス。
『ドラゴンを殺す』というホレスの言葉にユリアは激しい違和感を覚えた。そんなことただの人間にできる訳がない。なぜ、そんなことが言えるのだろう? ホレスの異様な雰囲気にユリアは背筋に冷たいものを感じた。
「よ、よくも追放なんてしてくれたわね! あなたの悪だくみはバレてるの。法廷で裁いてやるから神妙にしなさい!」
ユリアは勇気を振り絞って叫ぶ。
「グフフフ、弱い犬ほどよく吠える……ほわぁぁぁ!」
ホレスがそう叫ぶと、全身がボコボコと膨れだし、肌の色も緑へと変わり始める。
「へっ!?」
思わず後ずさりするユリア。
グッ、グッ……グギャァァ!
ホレスが瞳を黄色に光らせながら苦しそうに喚くと、シャツがパン! と破け、ボコボコと盛り上がった筋肉が不気味に緑色に光った。それは、もはや人間ではない、まるでオーガのような姿だった。
ひぃぃぃ!
異形に変化してしまった公爵、その異様さに圧倒されてユリアはジェイドの後ろに隠れる。
「この姿を見た以上、君たちには死んでもらわんとな……」
ホレスはそう言うと、スラリと幅広の剣を引き抜いた。それは瑠璃色に輝く刀身を持つ美しい剣。表面には幻獣の模様が彫ってあり、もはや宝剣といった風格がある。
「くっ! なぜ、お前がそれを!?」
ジェイドの表情が険しくなる。
「そう、ドラゴンスレイヤー、龍退治用の神の剣だよ、グフフフ」
ホレスはまるで曲芸師の様にドラゴンスレイヤーをブンブンを振り回し、クルクルと回した。
ちっ!
ジェイドは美しい顔を歪めると、気合を込め、全力の衝撃波をホレスへと放った。
ズン!
衝撃波はホレスに直撃し、周囲の階段やインテリアがぐちゃぐちゃに壊れて吹き飛ぶ。
きゃぁ!
その爆風にユリアは思わずしゃがみ込んだ。
コツコツコツ。
爆煙の中から靴音を響かせながらホレスはにやけ顔で現れる。
「物理攻撃無効、魔法攻撃無効、ドラゴンと言えどこの身体、かすり傷一つつけることはできんよ、グフフフ」
そう言いながら、ホレスはブンとジェイドめがけてドラゴンスレイヤーを振った。刀身から放たれた青く輝く光の刃がジェイドを襲う。ジェイドは瞬時にシールドを展開したが、刃はシールドを素通りし、そのままジェイドの身体を切り裂いた。
ぐはぁ!
ジェイドの肩口がザックリと斬れ、血が噴き出す。
「ダ、ダメだ……、逃げる……ぞ!」
そう言ってジェイドはユリアの手を取って出口に駆けだしたが、
「逃がさんよ」
ホレスはそう言いながら瞬歩で一気に間合いを詰めると、ジェイドめがけてドラゴンスレイヤーを振りかかぶった。
「ダメぇ!」
ユリアはジェイドの手を振りほどくと、渾身の神聖魔法を瑠璃色の刀身に放つ。
ガン!
強固な結界が膨張する衝撃で刀身が弾かれ、ドラゴンスレイヤーはホレスの手から離れた。
カン! カン! と音を立てて床を転がっていく。
「くっ! このアマが!」
ホレスは瞳に憎悪の炎を燃やし、逃げようとするユリアに向けて魔法の鎖を放つ。
きゃぁ!
鎖は不気味な紫色の光を放ちながら、まるで触手のようにユリアに巻き付いていく。
ユリアは魔法で何とか鎖を外そうとあがいたが、全ての魔法は跳ね返され、あえなくグルグル巻きにされ、引き倒された。
「いやぁ!」
「ユ、ユリア!」
ジェイドは傷口を手で押さえ、血をボタボタとたらしながらユリアを助けようとしたが、ホレスはドラゴンスレイヤーを拾って再度ジェイドに狙いを絞る。
「ダメ! 逃げてぇ!」
ユリアの悲痛な叫びが広間にこだました。
2-11. 瑠璃色の刀身
くっ!
敵は攻撃の効かない身体にドラゴンスレイヤー、活路を見いだせないジェイドは悔しさで顔を歪めながら一旦外に逃げた。
そして、そっと窓から中の様子をのぞく。
「おやおや、イケメンに逃げられちゃったな」
ホレスはそう言いながら鎖を引っ張り、ユリアをソファまで引きずると、髪の毛をガシッとつかみ、ソファに転がした。
「痛ぁい!」
ユリアは苦悶の表情を浮かべる。
「さーて、ドラゴン。この女をヒィヒィ言わせちゃうぞ!」
ホレスは金色の目で窓をにらみながらユリアの身体をまさぐった。
「何すんの! やめて!」
ユリアは身体をよじらせながら叫ぶ。
するとホレスは、ドラゴンスレイヤーの刃をユリアの頬にピタリと当てる。
ひっ!
氷のように冷たい瑠璃色の刀身がユリアを硬直させる。
「暴れると……、この刃が食い込んじゃうかも……しれないよ?」
そう言ってホレスはドラゴンスレイヤーの刃を少し引く。
柔らかいすべすべとしたユリアの頬が切れ、血がタラリとたれた。
ひぃぃぃ……。
ユリアは何も言えなくなり、涙がポロリとこぼれる。
「さて、ショータイムといこう!」
ホレスは窓に向いて叫ぶと、ドラゴンスレイヤーの刀身の平たい面でユリアの白いワンピースをパン! と叩いた。
すると、ワンピースは一瞬閃光を放ち、ポン! と破裂音を伴いながらはじけ飛んだ。
「い、いやぁ!」
ユリアは全裸となり、かろうじてボロきれが大切な所を覆っている。
なんとかしたいと、もがくユリアだったが、鎖にガッシリと縛られてどうにもならない。
「なんだ、お前まだ男を知らんのか。イケメンとよろしくやってると思ったんだが……」
ホレスはいやらしい笑みでユリアの身体をなめるように見た。
「うっうっうっ、やめてぇ……」
ユリアはか細い声をあげて泣く。
「さーて、ドラゴン! こいつが女になるところをしっかりと見とけよ!」
ホレスはそう言うとユリアの両足をつかんだ。
「ダメぇ!」
ユリアは足を動かそうとするがビクともしない。まるで鋼鉄に足をつかまれたかのようにほんの少しも動く気配がなかった。
その時だった、バン! という扉を蹴る音がしてジェイドがダッシュで駆けてくる。
血をふりまき、美しい顔を苦痛でゆがめながら瞳を真っ赤に輝かせて飛ぶようにホレスに接近した。
「バカめ!」
ホレスはドラゴンスレイヤーを振り上げ、ジェイドめがけて振り下ろそうとする。
その時、ボシュ! という音がして盛大な蒸気がホレスの目の前に吹き上がった。ジェイドは水魔法と火魔法を同時に出し、煙幕としたのだ。
くっ!
ホレスはあてずっぽうにドラゴンスレイヤーを振り回したがジェイドには当たらない。
直後、ジェイドがホレスの頭上に現れた。
「ワシには攻撃など効かん!」
そう言いながらドラゴンスレイヤーを構えなおすホレス。
直後、ジェイドは何かを振り下ろす。
うひぃぃ――――。
奇妙な声を残して、ホレスは消えた……。
「えっ!?」
ユリアは驚いた。緑色の巨体が一瞬で消え去ったのだ。
あっけに取られていると、ジェイドがアイテムバックを見せる。なんと、ホレスをアイテムバッグに収納してしまったのだった。
通常、生き物を吸い込んでしまわないようにアイテムバッグにはセーフティロックがかかっているが、ジェイドはそれを解除して武器として使ったのだ。
クッ……。
ジェイドがガクッとひざをついて、血がポタポタと落ちる。
「あぁっ! ジェイド!」
魔法の鎖が解けたユリアはボロ布で身体を隠しながら、うずくまるジェイドに治癒魔法をかける。しかし、ジェイドの傷はふさがらず、血がだらだらと流れるばかりだった。
ツゥ……。
ジェイドは痛みに顔を歪ませる。
「えっ!? なんで効かないの!?」
ユリアは必死に何度も治癒魔法をかけた。
「神の力でついた傷には魔法は効かないんだ」
「ど、どうしたら治るの?」
ユリアは涙をポロポロ流しながら聞く。
「自然治癒で直すしかない。棲み処へ帰らないと……」
ジェイドはアイテムバッグからユリアの服を出しユリアに渡すと、立ち上がったが……、貧血でふらついた。
「あぁ!」
ユリアは急いで支える。ジェイドの暖かい血がたらたらとユリアの白い肌を赤く染めながら流れていく。
「ジェ、ジェイド……?」
ジェイドは荒い息で凄い高熱を発している。
ユリアはことの深刻さに目の前が真っ暗になる。
「えっ!? ジェイド、ジェイドが死んじゃう――――!」
ユリアは急いでソファにジェイドを横たえると、傷口に布を当て、ジャケットの袖を器用に縛って止血をする。
ジェイドは苦しそうに荒く息をするばかりだった。
2-12. 口移し
「ジェイド! お家に帰ろう!」
ユリアはジェイドに話しかけるが返事がない。意識がもう失われてしまっている。
一刻を争う事態に、ユリアはジェイドを背負うと飛行魔法で浮かび上がった。
そして、月夜の空へ飛び立っていく。
ダギュラの街明かりを受けながら徐々に高度を上げるユリア。
だが、ジェイドを担いで飛ぶのはユリアには荷が重かった。何度もフラフラとバランスを崩しながらも必死に飛び続ける。
「ジェイド、死んじゃダメ!」
ユリアは月明かりを浴びながら涙をポロポロとこぼし、必死にオンテークを目指す。
自分が余計なことを頼んだがためにジェイドを傷つけてしまった。ユリアは自分の考えの甘さが招いた悲劇に打ちひしがれながら必死に飛んだ。
ジェイドのいない人生なんてもうユリアには考えられない。ジェイドを失ったらもう生きていく自信なんてなかった。
自分を救ってくれた大切な人、こんな自分を「好き」と、言ってくれたかけがえのない人、自分が命にかけても救うのだ。
ユリアは歯をぎゅっと食いしばると飛行のイメージを固め、さらに加速していく。
途中何度も強風であおられるも、ユリアは自分の命も燃やす勢いで力を絞り出し、ただひたすらに遠くに見えてきた火山、オンテークを目指した。
◇
月が沈みかける頃、ユリアはボロボロになりながらようやくジェイドの棲み処に戻ってきた。
ユリアはジェイドをベッドに寝かせると、服をはいで傷口を露わにする。パックリと開いた肩口の傷はまだ血が止まらず、青黒く変色しており、その痛々しいさまにユリアは思わず歯がガチガチと鳴る。この傷をうまく治療できないとジェイドは死んでしまうだろう。ユリアは涙をポロポロとこぼしながら、浄化魔法をかけた。
ぐわぁぁ!
ジェイドは、苦しそうに叫ぶ。浄化魔法が瘡蓋になりかけの部分までぬぐってしまっているからなのか、相当に痛そうだった。でも傷口を綺麗にしなければ化膿してしまう。
「ごめんね、ごめんね」
ユリアは泣きながら手を握り、浄化魔法を続けた。
消毒が終わると、裁縫道具から糸と針を取り出す。戦場では消毒して傷口を縫うと聞いたことがある。自分は回復魔法が使えるから無関係だと思っていたが今、大切の人の命を懸けて縫わねばならない。
ユリアはブルブルと震える手を何とか押さえ、溢れてくる血の中、一針ずつ涙をポロポロとこぼしながら縫っていった。
縫うたびにジェイドは歯を食いしばり、苦しそうにするが、どうしようもない。
「もう少し……もう少し、我慢してね」
ユリアは袖で涙をぬぐいながら針を進めた。
◇
全部縫い終わると、タオルを縫い合わせた包帯で患部をグルグルと巻き、毛布を掛け、寝かせた。
しかし、ジェイドの息は荒く、高熱で汗が止まらない。
このままだと脱水症状になってしまう。ユリアは、水をくんでくると、ジェイドに飲ませようとした。しかし、意識がもうろうとしているジェイドはうまく飲んでくれない。
「あぁ……、どうしよう。ジェイド……」
ギュッと手を握って、苦しそうに喘ぐジェイドを悲痛な思いで眺めるユリア。
そして意を決すると、ユリアは自分の口に水を含み、そのままジェイドのくちびるに重ねた。そして舌で少しずつすき間を作り、ジェイドの中へと口移しで流し込んでいく。最初は戸惑っているようだったジェイドも、無心にゴクゴクと飲む。
何回か水を飲ませると、ジェイドは少し安らいだ表情になって静かに眠りについていった。
◇
ベッドわきで看病しながら眠り込んでいたユリアは、頬を優しくなでられて目が覚めた。
「ん……?」
目を開けると、ジェイドが優しく微笑んでいる。
「ジェ、ジェイドぉ!」
ユリアはバッと身を起こすと、ジェイドの手を抱きしめ、ポロポロと涙をこぼした。
「ユリアのおかげだ。ありがとう」
ジェイドはそう言って震えるユリアに頬を寄せる。
うっうっうっ……。
ユリアは大切な人が回復した喜びと同時に、自分のせいでジェイドを失いかけた恐ろしさを思い出し、頭の中がぐちゃぐちゃになってただ泣きじゃくっていた。
2-13. 神様の戯れ
ジェイドの傷は快方には向かっているものの、重傷であり、少なくとも一週間は寝たきりである。
その間、ユリアは食事を用意したり、包帯を替えたり、身体を綺麗にしたり、かいがいしく看病をした。
公爵を捕縛した事はアルシェには伝えてあるが、ジェイドがこんな状態である以上、しばらく王都へは行けない。王国の立て直しは十四歳の新王には荷が重いとは思うが、化け物と化した公爵を見てしまったユリアには、もう政治の世界に近づく気にはなれなかった。
「公爵は……、なんであんな化け物になっちゃったのかな……?」
ユリアは食後に紅茶を入れながら聞いた。
「分からない。だが、彼が使っていたのは神の力……、人間が手にできるような力ではない」
「後ろに神様がついてるってこと? 神様が私を追放させ、王国を滅ぼそうとしたってことなの?」
「そうなるが……、神様にはそんなことするメリットなんてない。公爵なんか使わなくても一人で王国なんて滅ぼせてしまうし」
ジェイドは眉をひそめながら紅茶をすすった。
「そうよね……。どういうことなのかしら……」
「神様が関わっているとしたら我はもう出られない」
ジェイドは傷口をさすりながら言う。
「そうよね……」
アルシェを手伝ってあげたい思いもあるが、これ以上ジェイドを危険な目に遭わせるわけにはいかないのだ。
神様の戯れに振り回される人間たち……。
ユリアは大きくため息を漏らし、紅茶をすすりながら思案に沈んだ。
◇
その晩、ユリアがベッドに入ると、ジェイドが腕枕をしてきた。
「えっ!? 傷口が開くわよ?」
ユリアは驚く。
「このくらい大丈夫だ。いろいろありがとう」
ジェイドはユリアの頭をなでながら言った、
ユリアはジェイドの精悍な男の匂いに頬を赤らめながら、
「このくらい大したこと無いわ」
と言って、スリスリと頬でジェイドを感じた。
「最初の晩に……」
ジェイドがちょっと恥ずかしそうに切り出す。
「え?」
「もしかして、水を……飲ませてくれた?」
ユリアはボッと顔から火が出る思いで真っ赤にして、
「ごめんなさい、あれは必死だったの!」
そう言ってジェイドの胸に顔をうずめた。
「謝らないで……。もっとして欲しいくらいなんだから……」
ジェイドはユリアに頬を寄せ、耳元でささやく。
「え……?」
ユリアは恐る恐るジェイドを見る。
すると、ジェイドは優しくユリアの頬にキスをした。
唇の温かな感触にユリアは少しボーっとして……、そして、吸い寄せられるようにジェイドの唇を求めた。
ぎこちなく唇を重ねるユリアをジェイドは優しく受け入れる。しばらく二人はお互いの想いを確かめるように舌を絡めた。
想いが高まったユリアはついジェイドを抱きしめようと、もう片方の腕に触れてしまう。
うっ!
ジェイドが痛そうな声をあげて固まる。
「あっ! ごめんなさい! ごめんなさい!」
ユリアは慌てて離れた。
「だ、大丈夫……」
ジェイドは美しい顔を歪めながら傷口を押さえる。
ユリアはジェイドの様子を申し訳なさそうにしばらく眺め、毛布を広げるとそっとジェイドにかぶせた。
◇
翌日、ユリアが食事の用意をして部屋に持ってくると、ジェイドが深刻そうな顔をしている。
「ど、どうしたの? 何かあった?」
ユリアがプレートをテーブルに置きながら、引きつった笑顔で聞く。
ジェイドは大きく息をつくと言った。
「王国で内戦だ。公爵軍が反旗を翻した」
「えっ!? 公爵はもういないのに?」
「先日のオザッカの侵攻で王国軍がかなりやられてしまったので、統制が効かないのだろう」
「ど、ど、ど、どうしよう……」
ユリアは青くなってうつむく。また多くの人が死んでしまう。アルシェも死んでしまうかもしれない……。
「どうしようもない。人間同士の争いに首を突っ込んじゃダメだ」
「そ、そんな……」
ユリアが行ったとして戦争なんて止められない。それは分かっているが、王都の人たちが傷つくのは何とか減らしたい。何かいい手は無いだろうか……?
「治癒だけ、ケガを直すのだけやればいいのかも?」
「ダメだ。直した兵士はまた戦いに行くし、ユリアも標的になる」
「じゃあどうしたら!?」
ユリアは今にも泣きそうな目でジェイドを見る。
ジェイドは目をつぶり、大きく息をつくと諭すように言う。
「祈る……しかない」
「そんなぁ!」
ユリアはガックリとうなだれ、涙をポロポロとこぼす。
自分の無力さ、神の理不尽さ、そんな神に踊らされる人間たちの不甲斐なさに打ちのめされ、動けなくなった。
2-14. 荒廃した大地
「勝敗がついたら……、復興を手伝いに行こう」
「そんなこと言って、アルシェが死んだらどうするのよ!」
ジェイドはムッとした様子で言う。
「あいつは特別なのか?」
「と、と、特別……、なんかじゃないけど……。追放された時にずいぶん助けてもらって勇気づけられたの」
ジェイドはふぅ……と、息をつくと言った。
「分かった、友達に言って彼が死ぬことのないように警護してもらおう」
「えっ?」
「この情報をくれたのも彼女なんだが、友達の妖狐が今、王都で様子をうかがってくれている。本陣が危なくなったら彼だけでも助けだしてもらうよう頼んでみよう」
「あ、ありがとう!」
ユリアはジェイドの手を取り、涙をぬぐう。
「戦争が終わったら彼女に美味しいものでも食べさせてやってくれ」
ジェイドはユリアの手をギュッと握る。
ユリアはゆっくりうなずいた。
◇
しばらく二人は妖狐からの戦況情報を聞きながら、一喜一憂する落ち着かない日々を過ごしていた。
すると、突然、とんでもない情報がもたらされる。
南西にある大きな島国のサグが挙兵してオザッカに攻め込んだというのだ。オザッカは先の王都侵攻で将校たちが囚われ、軍事力に陰りが出ているのは確かだったが、全く予想外の事態にユリアはうろたえる。
「王国が分裂してるからチャンスだと思ったんだろう」
ジェイドが淡々と言った。
「サグがオザッカを制圧したら王国にも……来るかな?」
ユリアが泣きそうな顔で言う。
「反乱をうまく鎮圧できなければ来るだろうね」
「そ、そんな……」
うなだれるユリア。
ジェイドは心配そうにユリアを見つめ、そっとハグした。
事態はさらに混迷を深めていく。
オザッカをあっという間に制圧したサグはその勢いのまま王都へと侵攻していった。
アルシェたちは王都で籠城をし、サグを迎え撃ったが、なんとその時、島国サヌークの軍隊が電撃的にサグの首都を急襲したとの報が駆け巡る。
これですべての国が戦争に突入し、全土が戦火に覆われることになった。
街の人たちは次々と田舎へと逃げだし、街は閑散として経済もマヒする。さらに軍隊の特殊部隊は敵地の農村の田畑を焼き払い、兵糧攻めを図る。
食べ物を失った人々は次々と飢えに倒れ、地獄絵図があちこちで展開されることとなった。
◇
じっとしてられないユリアは、朝早くジェイドに内緒で王都へと飛んだ。
森を越えると焼け焦げた農村が広がり、人の姿はどこにも見えない。あれほど豊かな実りを見せていた豊穣の大地はただの焼け野原となり、まさに地獄と化していた。
ユリアはあまりのことに呆然とし、涙をポロポロとこぼしながら飛ぶ。
うっうっうっ……。
とめどなくあふれてくる涙を止めることをできないまま、ただ、王都へと急いだ。
遠くに王都が見えてきたが、どうも様子がおかしい。いつもならにぎやかに人が行きかい、あちこちから湯気の上がる活気を見せていた街には何の動きも見られない。
はやる気持ちを押さえながら近づいて行くと、そこはゴーストタウンだった。あれほど活気にあふれていた街には誰もいなかったのだ。
「うそ……」
ユリアはその惨状に言葉を失ってしまう。
つい先日まで王国の中心として十万人の人が暮らしていた活気のある巨大な街が、あちこち焼け焦げた廃墟の街と化してしまっていたのだ。
かろうじて中心部の方に人の気配があり、ユリアは急いで飛んだ。
王宮が見えてきたが、美しかった庭園は掘り起こされ、畑となっており、何人かが畑仕事をしている。
ユリアが着陸しようとすると、魔法が飛んできた。急いでシールドを張って防いだが、次々と攻撃を受け、やむなく引き返すことにする。
敵意がない事をちゃんと示して丁寧にやればよかったのかもしれないが、荒廃しきった王都や農村を見てしまったユリアは、もういっぱいいっぱいでそんな余裕もなかったのだ。