「ただいま」

玄関から形式的に声を掛け、二階にある自分の部屋へまっすぐ向かう。

"テストはどうだったの?"

"どこに行ってたの?"

リビングに足を踏み入れてしまえば、母からそんな質問が矢継ぎ早に飛んでくるに決まっている。



父母の生まれ故郷であるこの小さな港町で、私は今、母と二人で暮らしている。
私がまだ幼かった頃、父は新築したばかりの家に母と私を残し、単身赴任をする事になった。

以来父が帰ってくるのは盆暮れ正月、そしてゴールデンウィークくらいのもので、物心ついた時から今日まで、母の関心は常に私に向いていた。
一人っ子の私は母の期待を一身に背負い、ピアノやバレエ、絵画教室、じつに様々な習い事に通ったものだ。

"お母さんの言うことを聞きなさい"

"もっと頑張りなさい"

いつもどんな時も、それが母の口癖だった。
私は母に認められたい一心で、母の敷いたレールの上を必死で歩んだ。

しかし、今となってはそれも過去の話。
いつまで経っても認めてもらえない事に気づいた日、私は母の"良い子"を辞めた。



「柚歌ー!晩ご飯よー!」

一息つく間もなく、母の声が静寂を切り裂いた。