泰輝もサキさんも居ない時間の中に、私たちは行き場のない気持ちを持ち寄り、時に寂しさを受け止め合う。

「柚歌、こっち来て」

「うん?」

「しよ」

「電気消して」

「ん、分かってる」

健ちゃんの透き通るように白い腕が、私を捕まえる。
ほろ苦い唇と細長い指先は、私をみるみる溶かしていく。
私はその全てに目を閉じたまま、真っ暗闇の中で健ちゃんに抱かれる。

静かに繰り返し、何度も何度も押し寄せる波の中でだけ、私は今ある全てを手放して、泰輝と過ごしたあの夜に還る事が出来る。
たった一度きり、泰輝を一番近くに感じる事が出来た、遠い真夜中の記憶の中に。


私を抱いている間、健ちゃんが何処にいるのかは分からない。けれど私と同じように、彼もまた何処か遠い場所にいるのは確かだ。
小さな部屋のシングルベッドの上で空っぽの身体だけを重ねながら、健ちゃんと私の心は、いつだって別々の場所にいる。

刹那の時間旅行の後、私はいつも泣いている。
健ちゃんはもう、今更それに驚いたりはしない。
彼はテーブルの上から抜き取ったティッシュペーパーを差し出すと、決まって私を抱きしめる。

涙を拭うと小さな世界は途端に現実味を帯びて、健ちゃんのホワイトムスクが空っぽの私を包み込む。
この部屋を何度訪れてみても、何度健ちゃんに抱かれても、やっぱり泰輝の面影は、どこにも見つからないままだ。