思いがけず空いてしまったスケジュールは、部屋の片付けや夕飯の買い出しの手伝いに充てた。
そしていつもより少し遅くなってしまった昼食の後、テンポ良く繰り広げられる父と母の会話や威勢の良いセミたちの声を子守唄に、私はいつしかリビングのソファーの上で眠りに落ちていた。


微睡の中で、深海を旅した。
色鮮やかなイソギンチャクや生き生きとした魚たち。
私はその中を自由気ままに漂った。

遠くで私を呼ぶ声がした。
それは紛れもなく、世界で一番愛しい人の声だ。
私はその声の行方を探して、海の中を彷徨った。

「……歌……柚歌……」

「泰輝?……どこにいるの?」

「……歌……柚歌……」

その声がぷつりと聞こえなくなった瞬間、私は真っ黒い渦に飲み込まれ、海底へと引きずり込まれた。


「……歌……柚歌!……おい柚歌!起きろ、ケータイ鳴ってるぞ!」

父の呼ぶ声で、私は束の間の眠りから目を覚ました。テーブルの上では携帯電話が、けたたましい音を立てて私を呼んでいる。

背中をびっしょり濡らす寝汗に驚きながら携帯電話を手に取ると、画面には竹原秀明の文字が踊っていた。
滅多に表示される事のないその名前に妙な胸騒ぎを覚えながら、私は慌てて通話ボタンを押した。