嶋永という苗字はF県ではあまり聞かない。S市内に数軒しかないらしい。

「いきなりどうした?」

 S市の父を久しぶりに訪ねると、驚いた顔で迎えられた。父は母と離婚してから、再婚もせず古いアパートで一人暮らしをしている。

 南奈が「人探しに来たので寄った」と言うと、父は根掘り葉掘り尋ねてきて、嶋永霧都の名を聞くなり眉間に深いしわを寄せた。

「お母さんには話したのか?」
「え、何を?」

 南奈は東京からまっすぐここに来たため、帰省するとも、父に会いに行くとも、母には言っていない。

 父は黙り込み、少しのあいだ目を閉じて、それから大きなため息を吐いた。

「南奈」

 苦悩を刻んだような父の顔が、年齢の割にはひどく老けて見え、南奈は思わず目をそらす。離婚する前の父は活動的でやんちゃな面もある、よく笑うひとだった。

「お母さんとの約束だから、話してやるわけにはいかない。だが俺は、もう知っていい頃だと思っている。ちゃんと向き合って、重みを受け入れて生きていくべきだと」

 ただ事ではない様子だ。
 南奈には、何か事件のような大変な出来事に関わった記憶はない。ただ、父がそんな言い方をするほどの何かが――たとえ南奈に覚えがなくても、あったとしたら、春都に憎しみの目で見られたことと、関係がある気がしてならなかった。

 南奈はだいぶ食い下がって問いただしてみたが、父は頑として口を割らなかった。

「南奈が探しているのは、この家だろう」

 表紙のすり切れた手帳を繰って、父はひとつの住所を示した。

「嶋永、誠……?」

 書いてあった名を口にすると、父はうなずいて南奈の目をじっと見た。

「霧都さんというのは、このひとの息子さんだと思う。彼とのあいだに何があったか知らないが、本当に会いに行くなら、その前にお母さんと話した方がいい」

 南奈は素直にうなずく気にはなれなかった。

 自分の知らない何かが、霧都の父親に関わることだと、それだけはわかった。
 向き合って重みを受け入れて生きる――父がそこまで言うということは、よほど重大で深刻な何かがあったのだろう。
 父に「南奈に話さない」と約束させたのが母であるなら、あの頑固で心配性の母が、簡単に話してくれるとは思えなかった。

 スマホの地図アプリに住所を入力して検索すると、羽鳥川という字が表示されて南奈はひゅっと息を飲み込む。呼吸を整えつつ、付近の住宅地にマークのついた地図をズームして見た。大きめの通りに面した一軒家のようだ。

「行って来る」

 地図を保存して立ち上がった南奈に、父はもう何も言わなかった。