好き、という感情はどこから生まれるものなんだろう?
友井南奈は、カプチーノの小さなカップに手を伸ばしかけたまま動きを止め、離れていく嶋永霧都の背中を目で追う。
すっきり細身のシルエットだが華奢ではなく、肩や腰あたりのラインには男らしさを感じる。手足が長くて、ロングエプロンがよく似合う体型だ。
今日は少し長めの髪を小さく結んでいるが、後れ毛がセクシーでとても好い。
南奈はうっとりと、彼が奥の厨房に入っていくまで見つめ続けた。
彼女が嶋永霧都の存在を知ったのは先月、大学近くの駅で財布を落としたことがきっかけだ。
改札を通ってからリュックがやたら軽いなと気づいて、見てみたらファスナーが全開で中から財布が無くなっていた。パニックになって駅員に「盗まれたかも」と話していると、霧都に肩をポンと叩かれたのだ。
「落としましたよ」
差し出された財布を見て、南奈は恥ずかしくて顔真っ赤になったのだが、霧都は何も聞こえてないと言わんばかりの穏やかな表情を崩さなかった。
南奈は財布を受け取り、駅員にお騒がせしたことを謝ってから、霧都にまともにお礼も言えてないのに気がついて慌てて追いかけた。
「わざわざいいのに」
駅を出てすぐのところで呼び止めると、彼は立ち止まって対応してくれた。そこで名前を聞いて、後で改めてお礼したいと言うと、やんわり断られてしまった。
「たまたま落としたの見て届けただけだし、気にしないで」
話しながら南奈は、なんて優しそうな顔立ちなんだろうと思い、ぼーっと霧都に見とれた。
「でも、保険証とかカードとか大事なものみんな財布に入れてて、上京したばっかりで全部なくしたら大変なことになるとこだったし、拾ってもらえてすごく助かったので……」
必死にそう言うと、霧都は可笑しそうに笑って南奈を見た。
「わかったわかった。じゃあ、今度お店に来てコーヒーでも飲んでくれる?」
差し出された名刺を見ると「蔵カフェ琥珀」という店の名とともに店長の肩書きが記されていた。南奈が入ったばかりの大学の近くにあるレトロな雰囲気のカフェだった。
「やとわれ店長だけどね。お友達も連れてきて、常連さんになってくれたら嬉しいかな」
もちろん後半は冗談のつもりだったのだろうが、南奈はその日のうちにカフェを訪ね、それから暇さえあれば通って本当に常連になった。
「蔵カフェ琥珀っておしゃれで映えるし、美味しいけど高くない? 南奈、そんなに毎日寄ってお金大丈夫?」
大学の友達にはあきれられたが、琥珀に通うためにお昼は手作り弁当にしたし、水やお茶はうちから水筒で持参して節約につとめている。注文をカプチーノやラテなど安めのものにしても、学食のランチの倍のお値段はするので、たしかに財布には厳しかった。
「もしかして、あのイケメン店長さん目あて?」
からかわれて頬を赤くしながらも、南奈は否定しなかった。
「だったら悪い?」
「悪くはないけど……無理っぽくない?」
そんなことはわかっている。
大学生とはいえ未成年の、地方から出てきたばっかりであか抜けない地味な自分なんか、霧都みたいに洗練された大人の男が相手にするわけがない。
「いいの!」
ただ、彼の姿が見たい。声を聞きたい。お客としてでも笑いかけてもらいたい。
南奈はそれだけで十分に満たされた気持ちになるのだった。