「相変わらずモテモテだねぇ、森本ちゃん」
同期の実習生で、かつて二度ほど同じクラスだった高梨くん(今は体育教師の高梨先生)が二カッと白い歯を見せ、こちらに近づいてきた。
さらっとした髪の毛をなびかせ、整った容姿でどうも軽薄そうではあるものの、彼の最大の武器である人懐っこい笑顔。そして鍛え上げられた身体をジャージから覗かせ、さっそうと現れた彼は昔とまったく変わっていない。この人も昔はよく女の子たちの話題の的となっていたなぁとふと懐かしく思ったものだ。あの頃は本気で雲の上の存在だと思っていた。
「今のがモテていたように見える?」
わたしよりも何倍も何倍も先生扱いされ、男女問わず生徒に慕われている彼に少し(いや、かなり)嫉妬してしまっているわたしは思わず頬が引きつった。
「まぁまぁ」
教育実習生でなければこうしてまともに話すこともなかったであろう人間は、理解のできないほど余裕の笑みをわたしに向ける。
「でも、変だね。普通、美男美女の教育実習生が二人もそろってんだから、そっちの仲を疑うのならともかく、どうして森本ちゃんは生徒とばかり疑われるんだろうね。本当に疑問だよ」
自分で言うなよ、と内心思いつつもあながち否定できないのが彼の強いところだ。というよりも、
「こ、ここではその呼び方はやめて下さい」
「まぁ確かに、西野は俺から見てもかっこいい生徒だと思うからなぁ」
いつもペースを乱されてばかりだ。
全くわたしの話を聞くこともなく、以前と変わらない態度で接してくる彼に呆れて何も言えなくなる。
「彼はわたしのクラスの大切な生徒なの。からかわないで」
話題の『彼』、西野くんはわたしの授業もいつも熱心に聞いてくれている貴重な存在だ。成績もとても優秀で、加えて空いた時間は質問に来てくれたりして、なんとも絵にかいたような申し分のない生徒なのである。だからわたしが未熟なせいで彼に事実ではない誤解を生むなんて、考えただけでもぞっとしてしまう。
「わたしは…」
「あ、上林先生っ!」
はっとしたようにわたしの後方に向かって手をあげる高梨くんに、それまで悶々と頭を悩ませていたわたしは、今度は違う意味でさっと血の気が引いたように感じた
「どうした?こんな所で…」
後方から低くて柔らかい男性の声がした。
振り返ることができない。
「お疲れ様です」
先生こそ、まだ仕事ですか?といつも通り陽気に高梨くんが声をかけた人物はごく当たり前のようにわたしの隣に立ち、不思議そうな瞳をわたしに向けるのがわかった。
「森本先生?」
どうかしましたか?その一言に逃げ出したくなる。
私が受け持っているクラスの担任の先生を務める上林先生だ。
「大丈夫ですか?」
(嫌だ嫌だ嫌だ)
こんなみっともない姿を見られたくはなかった。
日に日に先生らしくなりましたね、と言われたばっかりだったというのに。
「聞いてくださいよ!森本先生がまた生徒たちにからまれちゃってて…」
何も知らない高梨くんが笑う。
本当、余計なことは言わないでほしい。無意識に握るこぶしにぐっと力が入る。
「また、ですか?」
優しい視線が感じられて動けなくなる。
わたしよりも一個半は背が高い上林先生の顔がまともに見られない。
「そうなんですよ。また、ですよ。今日も囲まれちゃって、本当、モテる女は困りますね」
「大丈夫ですか?本当、いつもすみません」
穏やかな口調で、それでも申し訳なさそうな声はわたしに向けられている。
(嫌だ。未熟者な姿を、これ以上さらしたくない…)
実習生ということもあり、いつも上林先生についてあちこち回っていた。
穏やかで優しく、加えて頭の回転が速く、大学で学んだだけのわたしには知りえない知識をたくさん持っていた。なんでも疑問に思ったことは丁寧に教えてくれた。
それだけに、わたしはいつの間にかこの先生に対して尊敬の眼差しを向けるようになっていた。実習生として彼から学べる期間は限られている。それでもできるだけその間は彼に良い実習生だと思われたかった。そう思う一心で頑張ってきていた。だから必死で優秀な実習生ののふりをしていたというのに、この話題が尽きない限り、わたしの努力も水の泡だ。どうか私生活と実習生活を混同しているとだけは思われたくない。
なんていうか、今は実習生としての評価よりも、この先輩先生の評価の方を恐れていた。
「へ、平気、というか、何もありませんから!」
必死になって、言葉を並べても、弁解をしているようにしか思えない。
さっきまで大人ぶってた自分はどこへやら。悲しくなる。
「ほっ、本当に、わ、私…か、彼氏だっていませんし、高校生に手を出すなんて、そんなこと、ふ、不可能です、って、あ…」
思わず余計なことまで言ってしまい、おまけに気まずそうに作り笑いをした上林先生に気づき、もう穴があったら入りたくなる。自分が本来はこれ以上になく充実していない大学生活を送っているなんて、今ここでばらして何になる。も、もう最悪だ。
「デマだとわかっていますから」
上林先生の優しい瞳が逆につらい。
「へぇー、意外!彼氏いないんだ、森本ちゃん!高校時代はかなりモテてたのに。いつから?」
「ちょ、そんなこと、今は…」
まるで世間話をするように楽しそうに参加してくる高梨くん。
ちょっとは空気を呼んでほしい。
「でも、森本ちゃんからそんな話、聞いたことなかったよね?興味あるなぁ」
「あ、あのねぇ…」
「本当に今は誰とも付き合ってないの?」
「…………」
「おい、高梨。その辺にしておけよ」
もう絶望的だ。今すぐこの場から走り去りたい。
「今は仲良しの同級生じゃなく、同僚として扱うように」
「あ、すみませ~ん」
同じ体育科の先輩教師に怒られ、相変わらず明るい返事をする高梨くんを横目に、助け船を出してもらったはずのわたしはこれ以上何も言えなくなり、こっそり溜息をついた。まだまだ一人前の教師どころか、大人な女性にはほど遠いようだった。
同期の実習生で、かつて二度ほど同じクラスだった高梨くん(今は体育教師の高梨先生)が二カッと白い歯を見せ、こちらに近づいてきた。
さらっとした髪の毛をなびかせ、整った容姿でどうも軽薄そうではあるものの、彼の最大の武器である人懐っこい笑顔。そして鍛え上げられた身体をジャージから覗かせ、さっそうと現れた彼は昔とまったく変わっていない。この人も昔はよく女の子たちの話題の的となっていたなぁとふと懐かしく思ったものだ。あの頃は本気で雲の上の存在だと思っていた。
「今のがモテていたように見える?」
わたしよりも何倍も何倍も先生扱いされ、男女問わず生徒に慕われている彼に少し(いや、かなり)嫉妬してしまっているわたしは思わず頬が引きつった。
「まぁまぁ」
教育実習生でなければこうしてまともに話すこともなかったであろう人間は、理解のできないほど余裕の笑みをわたしに向ける。
「でも、変だね。普通、美男美女の教育実習生が二人もそろってんだから、そっちの仲を疑うのならともかく、どうして森本ちゃんは生徒とばかり疑われるんだろうね。本当に疑問だよ」
自分で言うなよ、と内心思いつつもあながち否定できないのが彼の強いところだ。というよりも、
「こ、ここではその呼び方はやめて下さい」
「まぁ確かに、西野は俺から見てもかっこいい生徒だと思うからなぁ」
いつもペースを乱されてばかりだ。
全くわたしの話を聞くこともなく、以前と変わらない態度で接してくる彼に呆れて何も言えなくなる。
「彼はわたしのクラスの大切な生徒なの。からかわないで」
話題の『彼』、西野くんはわたしの授業もいつも熱心に聞いてくれている貴重な存在だ。成績もとても優秀で、加えて空いた時間は質問に来てくれたりして、なんとも絵にかいたような申し分のない生徒なのである。だからわたしが未熟なせいで彼に事実ではない誤解を生むなんて、考えただけでもぞっとしてしまう。
「わたしは…」
「あ、上林先生っ!」
はっとしたようにわたしの後方に向かって手をあげる高梨くんに、それまで悶々と頭を悩ませていたわたしは、今度は違う意味でさっと血の気が引いたように感じた
「どうした?こんな所で…」
後方から低くて柔らかい男性の声がした。
振り返ることができない。
「お疲れ様です」
先生こそ、まだ仕事ですか?といつも通り陽気に高梨くんが声をかけた人物はごく当たり前のようにわたしの隣に立ち、不思議そうな瞳をわたしに向けるのがわかった。
「森本先生?」
どうかしましたか?その一言に逃げ出したくなる。
私が受け持っているクラスの担任の先生を務める上林先生だ。
「大丈夫ですか?」
(嫌だ嫌だ嫌だ)
こんなみっともない姿を見られたくはなかった。
日に日に先生らしくなりましたね、と言われたばっかりだったというのに。
「聞いてくださいよ!森本先生がまた生徒たちにからまれちゃってて…」
何も知らない高梨くんが笑う。
本当、余計なことは言わないでほしい。無意識に握るこぶしにぐっと力が入る。
「また、ですか?」
優しい視線が感じられて動けなくなる。
わたしよりも一個半は背が高い上林先生の顔がまともに見られない。
「そうなんですよ。また、ですよ。今日も囲まれちゃって、本当、モテる女は困りますね」
「大丈夫ですか?本当、いつもすみません」
穏やかな口調で、それでも申し訳なさそうな声はわたしに向けられている。
(嫌だ。未熟者な姿を、これ以上さらしたくない…)
実習生ということもあり、いつも上林先生についてあちこち回っていた。
穏やかで優しく、加えて頭の回転が速く、大学で学んだだけのわたしには知りえない知識をたくさん持っていた。なんでも疑問に思ったことは丁寧に教えてくれた。
それだけに、わたしはいつの間にかこの先生に対して尊敬の眼差しを向けるようになっていた。実習生として彼から学べる期間は限られている。それでもできるだけその間は彼に良い実習生だと思われたかった。そう思う一心で頑張ってきていた。だから必死で優秀な実習生ののふりをしていたというのに、この話題が尽きない限り、わたしの努力も水の泡だ。どうか私生活と実習生活を混同しているとだけは思われたくない。
なんていうか、今は実習生としての評価よりも、この先輩先生の評価の方を恐れていた。
「へ、平気、というか、何もありませんから!」
必死になって、言葉を並べても、弁解をしているようにしか思えない。
さっきまで大人ぶってた自分はどこへやら。悲しくなる。
「ほっ、本当に、わ、私…か、彼氏だっていませんし、高校生に手を出すなんて、そんなこと、ふ、不可能です、って、あ…」
思わず余計なことまで言ってしまい、おまけに気まずそうに作り笑いをした上林先生に気づき、もう穴があったら入りたくなる。自分が本来はこれ以上になく充実していない大学生活を送っているなんて、今ここでばらして何になる。も、もう最悪だ。
「デマだとわかっていますから」
上林先生の優しい瞳が逆につらい。
「へぇー、意外!彼氏いないんだ、森本ちゃん!高校時代はかなりモテてたのに。いつから?」
「ちょ、そんなこと、今は…」
まるで世間話をするように楽しそうに参加してくる高梨くん。
ちょっとは空気を呼んでほしい。
「でも、森本ちゃんからそんな話、聞いたことなかったよね?興味あるなぁ」
「あ、あのねぇ…」
「本当に今は誰とも付き合ってないの?」
「…………」
「おい、高梨。その辺にしておけよ」
もう絶望的だ。今すぐこの場から走り去りたい。
「今は仲良しの同級生じゃなく、同僚として扱うように」
「あ、すみませ~ん」
同じ体育科の先輩教師に怒られ、相変わらず明るい返事をする高梨くんを横目に、助け船を出してもらったはずのわたしはこれ以上何も言えなくなり、こっそり溜息をついた。まだまだ一人前の教師どころか、大人な女性にはほど遠いようだった。