「ああ、森本先生、お疲れさまでした」
今行こうと思っていたところだったのだと笑って振り返る上林先生の姿が見えた。
「バスケ部、夏の大会には勝ち残るといいですね。毎日頑張ってたし…」
もうここには来られないという、少し寂しい気持ちを抱えながら、体育館内を見渡した。
普段はバスケ部やバレーボール部の部員たちが切磋琢磨して汗を流す姿を見せているそこは、嘘のように静まり返っている。
「先生、本当にお世話になりました。未熟者でしたが、これからも目標を持って頑張ります」
いつもいつも泣き言ばかりでみっともない姿ばかり見せた。
それでもいつもしっかり見守ってくれて、優しい言葉をかけてくれて。
「学生たちはいつも一生懸命に毎日を生きていて、ここに来て、自分の高校時代を思い出しました。必死に勉強して、必死に部活をして、必死に人を好きになった。あの時、ここでしかない、そんな時期のことを」
無理にでも笑おうとしたけど、うまく口角が上がらなかった。だって、これで最後なんだから。
「貴重なあの時間を、あの時は無駄にするなと言われたことがあります。で、でも、今でも無駄じゃなかったって、わたしは思ってます」
あの時の思い出は、きっと永遠の宝物だから。
「わたし、先生の下で働けて本当によかったです」
次のまばたきで視界がゆがむ。
もっと、もっと見ていたいのに。
「せ、先生、わたし…」
「立派になったなって、思い出していたんだ」
穏やかな瞳が向けられて、溢れる涙が止まらなくなった。
「百面相でぎゃーぎゃーうるさくて、まだまだ子どもだと思っていた女の子が、今ではもう誰も文句の言えないくらい、一人前の女性になったなって」
懐かしいその言葉は、わたしの胸を締め付けた。
「本当に、成長したな」
「上林せ、せんせ…」
チョコレート色の優しい瞳に自分が映っている。
「せ、せん…し、真ちゃん、わたし…」
それは、わたしが大好きだったもの。
「ああ、よくやった。最後まで、ちゃんと先生ができてたよ。俺を相手にしても」
それは、今のあなたはちゃんとわたしを対等の先生として扱ってくれていたから。そう思ったけど、もう我慢ができなくなって、思わず彼に飛びついてしまった。
「もう、わたしのことは忘れたのかと思ってた」
上林先生、いえ、真ちゃんは、少し驚いたようだったけど、それでも何も言わずに受け入れてくれた。
「忘れてないよ。『わたしが成長してもどってきても、あんないい女振って後悔したって嘆いても知らないんだから』って捨て台詞を吐いて卒業していった唯一の生徒だからな」
「なっ…」
怖い物知らずだった過去の自分の発言はまさに黒歴史でしかなかったけど、真ちゃんの腕にも力が入った気がしてわたしは驚いた。
「立派な先生に、なれよ」
長い沈黙の後、距離が離れた真ちゃんは笑っていた。頷いたら、やっぱりまた涙はあふれたけど、今度は自然に口角を上げられた。
「なります。大切な日々を守れるような、そんな先生に」
なりたい。絶対に。
「待ってる」
悔しいけど向けられた瞳にドキドキした。
そういえば、再会したときからこの人はあの頃と変わらないな、って思った。まさかこんな形で再会することになるとは思ってなかったけど、久しぶりに目が合っただけで世界が一変しそうになった。
おかげで何も考えないようにするのが精一杯だったけど、やっぱり何度も目で追ってしまって。そんな自分に何度も自己嫌悪したものだ。この四週間は、あの頃のわたしが見たら絶叫しちゃうんじゃないかと思えるくらいの濃厚な日々を過ごさせてもらえた。
「最後にひとつ、質問してもいいですか?」
「ん?」
これは、あの頃からの答え合わせ。
「後悔、してくれそうですか?先生」
そうだな、って笑ってくれる彼を見て、よかったねってあの頃のわたしに向かって小さく呟いた。
大切な日々を守っていきたい。
わたしが昔ここで宝物を見つけたように。
そう。ここが、わたしの原点だ。
今行こうと思っていたところだったのだと笑って振り返る上林先生の姿が見えた。
「バスケ部、夏の大会には勝ち残るといいですね。毎日頑張ってたし…」
もうここには来られないという、少し寂しい気持ちを抱えながら、体育館内を見渡した。
普段はバスケ部やバレーボール部の部員たちが切磋琢磨して汗を流す姿を見せているそこは、嘘のように静まり返っている。
「先生、本当にお世話になりました。未熟者でしたが、これからも目標を持って頑張ります」
いつもいつも泣き言ばかりでみっともない姿ばかり見せた。
それでもいつもしっかり見守ってくれて、優しい言葉をかけてくれて。
「学生たちはいつも一生懸命に毎日を生きていて、ここに来て、自分の高校時代を思い出しました。必死に勉強して、必死に部活をして、必死に人を好きになった。あの時、ここでしかない、そんな時期のことを」
無理にでも笑おうとしたけど、うまく口角が上がらなかった。だって、これで最後なんだから。
「貴重なあの時間を、あの時は無駄にするなと言われたことがあります。で、でも、今でも無駄じゃなかったって、わたしは思ってます」
あの時の思い出は、きっと永遠の宝物だから。
「わたし、先生の下で働けて本当によかったです」
次のまばたきで視界がゆがむ。
もっと、もっと見ていたいのに。
「せ、先生、わたし…」
「立派になったなって、思い出していたんだ」
穏やかな瞳が向けられて、溢れる涙が止まらなくなった。
「百面相でぎゃーぎゃーうるさくて、まだまだ子どもだと思っていた女の子が、今ではもう誰も文句の言えないくらい、一人前の女性になったなって」
懐かしいその言葉は、わたしの胸を締め付けた。
「本当に、成長したな」
「上林せ、せんせ…」
チョコレート色の優しい瞳に自分が映っている。
「せ、せん…し、真ちゃん、わたし…」
それは、わたしが大好きだったもの。
「ああ、よくやった。最後まで、ちゃんと先生ができてたよ。俺を相手にしても」
それは、今のあなたはちゃんとわたしを対等の先生として扱ってくれていたから。そう思ったけど、もう我慢ができなくなって、思わず彼に飛びついてしまった。
「もう、わたしのことは忘れたのかと思ってた」
上林先生、いえ、真ちゃんは、少し驚いたようだったけど、それでも何も言わずに受け入れてくれた。
「忘れてないよ。『わたしが成長してもどってきても、あんないい女振って後悔したって嘆いても知らないんだから』って捨て台詞を吐いて卒業していった唯一の生徒だからな」
「なっ…」
怖い物知らずだった過去の自分の発言はまさに黒歴史でしかなかったけど、真ちゃんの腕にも力が入った気がしてわたしは驚いた。
「立派な先生に、なれよ」
長い沈黙の後、距離が離れた真ちゃんは笑っていた。頷いたら、やっぱりまた涙はあふれたけど、今度は自然に口角を上げられた。
「なります。大切な日々を守れるような、そんな先生に」
なりたい。絶対に。
「待ってる」
悔しいけど向けられた瞳にドキドキした。
そういえば、再会したときからこの人はあの頃と変わらないな、って思った。まさかこんな形で再会することになるとは思ってなかったけど、久しぶりに目が合っただけで世界が一変しそうになった。
おかげで何も考えないようにするのが精一杯だったけど、やっぱり何度も目で追ってしまって。そんな自分に何度も自己嫌悪したものだ。この四週間は、あの頃のわたしが見たら絶叫しちゃうんじゃないかと思えるくらいの濃厚な日々を過ごさせてもらえた。
「最後にひとつ、質問してもいいですか?」
「ん?」
これは、あの頃からの答え合わせ。
「後悔、してくれそうですか?先生」
そうだな、って笑ってくれる彼を見て、よかったねってあの頃のわたしに向かって小さく呟いた。
大切な日々を守っていきたい。
わたしが昔ここで宝物を見つけたように。
そう。ここが、わたしの原点だ。