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「ああ、美野原先生。ちょっと良いですか」
「はい」


 背後からかけられた声に振り向く。平日の朝は早くて、冬が近づいたこの季節は陽だまりが恋しくなる。


「こんなところで言うのもなんですが、実は年明けから二年三組の担任の古川先生が産休に入られるんですよ」
「知ってますよ。もうすぐですね」
「ええ。それで、水泳部なんですが、副顧問の松木先生も今年度で定年退職ですし、早めに代わりを立てないといけないところでして。それでどうです、元水泳部の美野原先生に顧問を頼みたいのですが」
「ああ……」


 目の前で笑みを浮かべる教頭の背後に企てを見る。

 なるほど……そういう、介入で。


 朝日が差し込む校舎の廊下。思わず息を漏らしながら見遣った窓の外では、樹齢50年の大木が風に吹かれて葉を揺らしていた。


「良いですよ」
「本当ですか。いやぁ、それは助かります」
「ええ。美術部の方は人手も足りてますし。僕が居なくても大丈夫そうなので」
「では、ぜひお願いします」
「はい」


 会釈をして歩き出す。すぐ側を、遅刻しそうな生徒が足早に通り過ぎた。


「あ、教頭先生」
「はい?」
「一つ、訊いても良いですか?」
「何でしょう」


 足を止めた一瞬だけ、瞼を下ろして。

 変わらない紺色のセーラー服。錆びついた戸は開けるたびに悲鳴をあげて、それが昔を思い起こさせては、脳裏でその残像がチラつく。


 目を開けた先で、ひとひらの赤い葉が、地面に向かって舞い落ちていった。



「……この楓の木って、プールからも見えましたっけ」


 ふわり、浮かべた笑顔にセンチメンタルな秋が香った。