脳裏に蘇る、十年以上前の思い出。
薄汚れた美術室。使い古された画材。机の端はささくれ立っていて、蛇口には固まった絵の具がこびりついている。
その匂いまで、一瞬で。目の前から届く、絵の具に少し混ざった制汗剤の香りまで、鮮明に思い出せる。
「あの絵は、あの頃のあんたが見てた景色で」
心が一瞬で、"あの頃" に舞い戻る。
「俺が、篠山の前に座ったときの影が、あの絵には写り込んでた」
30センチ向こうに見える世界は、いつだって誰よりも輝いていた。
「楓」
ざわり、草木が揺れる。時間が、迫ってる。
「……そうだよ。あの絵のタイトルは、『楓』。私の初恋にして最後の恋の相手の、名前」
降参した途端に、涙が溢れて止まらない。呼吸なんてしていないはずなのに、息が苦しくて堪らない。
「……美野原楓。むかつくくらい綺麗な名前だね。勿体ない」
「うるせ」
「私に情が湧いた?」
出会った頃は構ってくるのがうざかった。一年の時に同じクラスになって、たまたま見られた絵を褒められて。二年の時に、廃部になりかけた美術部を幽霊部員でも良いならって救ってくれて。
三年生に、一緒になりたかった。
「そういう話だったな」
「忘れないでよ」
「情が湧くなんて思ってなかったよ」
「……」
「けど、気づいたら、秋になる度に思い出してる。秋の夜長に、一人になるといつも、お前の顔が浮かぶ」
「っ、」
病気の進行を止める術なんてなかった。
だから、少しでもたくさんのことを経験したくて、そしてそれを残しておきたくて、絵に没頭した。
そうしたら些細なことさえ、道端の雑草さえ描き残したくなった。目に焼き付けたかった。そんな始まりから、いつの間にか、手放したくない未来を見つめてた。