酒で火照った身体を冬の夜風で冷ましながら帰路につくと家の前で潤平がうずくまっていた。

「遅い」
「なにしてんの」
「鍵忘れてさ」

 呆れながら扉を開けると潤平はそそくさとこたつに潜り、コントローラーを握る。相変わらずのパワプロだ。
 ピッチャーの球種を選択しながら、潤平はなんでもない感じに話す。

「さっきお前が好きな女子高生に会ったよ」
「は? なんで?」
「たまたま。確証ないけど」
「なにそれ」

 これ以上聞いても潤平からはろくな情報は得られないだろうなと、長年の勘でわかった。しかし「お前『が』好きな」というとまるで俺が村松遥を好き、みたいに聞こえてしまう。
 俺が好きなのは。
 俺もまた、なんでもない感じを装いながら話す。

「矢崎にあったよ」
「まじ? 何年振り?」
「……いや、実はちょっと前にも会ってた」
「ふーん。元気してた?」
「元気、じゃなかったな。離婚してたし、娘には嫌われてるし」
「あらあら」

 なんて他人事な相槌だ、と俺はおかしくて笑ってしまう。だからまた、ついつい喋りすぎてしまう。

「あいつが離婚した原因、俺なんだよ」
「は? なんでそうなる?」
「前に会った時、あいつからキスされて……」
「おえっ。なんだそれ、俺の周りホモばっかかよ」
「ホモじゃないって。あいつの場合は」

 そう。俺とあいつは違う。俺はあいつのことが好きだが、あいつはただの寂しがりやだ。

「それで俺と不倫したって奥さんが思ってそれで離婚」
「おもしろ」
「おもしろくねーよ。あと今日付き合おって言われた」

 はぁ? と流石の潤平もテレビ画面から目を離しこちらへ振り返る。

「したんじゃなくてされたの?」

 うん、と頷くとやっぱりホモじゃん、と潤平は面白そうにケラケラと笑う。

「断ったけど」
「なんで」
「なんで、か」

 矢崎に付き合うかと言われた時、正直に言えば嬉しかった。長年想い続けた時間が報われるような思いがした。しかし、俺を見つめる矢崎の顔を見ていると村松遥の顔が浮かんできた。

『私、荻野先生のこと好きですから』

 そこで俺は気がついた。俺は矢崎の口から一度も、好きだなんて言われていないことを。

「あいつは俺のこと好きじゃないんだよ。昔から変わってない。誰でもいいからそばにいて欲しいだけ。でも、今はお前よりも傷ついている娘のことを優先しろって」

 付き合おうと言われたあと、俺は矢崎に聞いた。
 どうして村松遥にピアノを勧めたのか、と。
 矢崎はフッと笑い、ピアノの楽しさ、難しさ、教育への良さを語り出し、それに続けて自分の娘の可愛らしさ、愛おしさについて饒舌に語った。
 高校生の頃、一人で泣いていたあの頃の矢崎はもういない。
 父親の顔をした矢崎にはもう俺が涙を拭いてやる必要はなく、一人で泣いている村松遥に手を差し伸べる責任があると思った。

「だからいい加減、俺の片想いもおしまいだよ」
「お前もやっと子どもから大人に成長したな」
「なにそれ。なにか関係ある?」
「片想いなんか子どもがすることなんだよ」
「知ったようなこと言いやがって」

 それとさ、潤平はゲーム画面を見ながら呟いた。

「離婚の原因ってお前じゃないんじゃない? ほら、たった一回お前とチューしたとかより、矢崎が他の男とガンガンやりまくってて、それで奥さんにバレたとかの方が納得いくし」

 潤平が操るキャラクターがボールを持った腕を大きく振り上げる。

「それってさ、もしかして慰めてくれてる?」
「きしょいこと言うな」

 潤平から投げつけられたみかんを捕り、俺はこたつに入ってゆっくりと皮をむく。足の先からじんわりと熱が伝わり、今まで張っていた気が緩むのを感じて、俺はとっさに上を向いて目を閉じる。

「は? 泣いてんの? ダセェ」
「みかんの汁が飛んできただけ」

 潤平の口の悪さに涙はすぐに引っ込み、俺は何事もなかったように皮をむく。うん。熟れたみかんはやわらくて甘い。

「やっぱ半分ちょうだい」
「嫌だよ」

 画面には試合終了の文字がデカデカと映し出されていた。