数日後、雷帝の寝所に呼ばれた。
 前に呼ばれたのは、ふた月前。皇后さまと二番目のお妃さまがご懐妊されて以来、三番目以下のお妃たちが呼ばれる頻度が増えたというから、そろそろかと思ってはいたけれど……呼ばれた朝から、ずっと憂鬱だった。

 夜。私は、神秘的だと褒め称えられる珊瑚色の衣装に身を包み、侍女たちに連れられしずしずと寝所に向かう。この衣装。私からすれば、神秘的というよりは単なる悪趣味。

 磨きあげられた翡翠で出来上がった後宮の建物。炎に照らされて美しいはずなのに、冷たいところだと、私はずっと感じてしまう。

 雷帝の寝所に到着すると、侍女たちはすっと離れていった。彼女たちはこのまま、部屋の前でひと晩待機するのだ。

「来たか。十三番目よ」

 雷帝の寝所ももちろん、翡翠ばかりで出来ている。

 私は黙って進み、跪いて頭を下げる。雷帝は横に来るよう命じ、私はそのようにする。雷帝は私に仰向けになるよう命じ、私はそのようにする。雷帝は命じ……私は、そのようにする……。

 雷帝の御顔がすぐそばにある。類いまれなる雷術(らいじゅつ)の才能と、翡翠で貿易をする高い経済的才能に恵まれ、翡翠郷と呼ばれるこの国を一代で栄えさせた、天下の皇帝の……格好いいとも魅力的とも、ついぞ思えない中年の男性の顔。

 雷帝は命じる。私はそのようにする。雷帝は命じる。私はそのようにする。……けっして、ご機嫌を損ねないように。

「皇后と二番目は、大事なときだ。我の欲望をそのままぶつけるわけにはいかん。そこで、おまえの出番というわけだ。我の道具となれて、嬉しいだろう? 辺境の氷の里の、田舎娘が」

 言われるがままに、私の故郷をまるごと滅ぼした男の、道具となる。

 ……私の故郷は。
 翡翠郷から見たらたしかに辺境といえるところにある、小さな小さな里村だった。
 冬になるとすべてが凍りつくような場所だった。だから貧しかったけれど、だからこそみんなで手を取り合って、ぬくもりを大事にする……そんな村だった。

 私は代々村長をつとめる家のひとり娘で、いずれは村を継ぐと決まっていた。未来の村長として、村のことをいっぱい勉強して、食べものに困らないよう畑を耕した。みんなの心が明るくなるよう、花を村に増やした。花いっぱいの、村にしたかった。
 惜しむらくは、村に伝わる氷術(ひょうじゅつ)の才能が私にはあまりなかったことだけれど……近年は氷術の血じたいが薄まっているから、とお父さんもお母さんも、家族同然の村のみんなも励ましてくれた。
 それよりも、氷乃華ちゃんにはコツコツ努力できる才能と、花を愛でるきれいな心があるんだから、大丈夫だよって――みんな、笑って。

 そんな私の優しい故郷は。
 ある日突然、雷帝に滅ぼされた。
 領地拡大のためだったという。
 雷帝が自由気ままに降らせる残酷な雷に、私たちはなすすべもなく――ほとんどが殺された。私はいわば人質として、滅ぼした村の記念品として――強制的に、雷帝の妃となったのだ。

 私の故郷のひとたちが命ほしさに私を差し出したなどと、実際とぜんぜん違う話さえも後宮に流れ出して。
 生贄婚だと、後宮のひとたちは噂しているらしい。

「おまえには多少、氷術の血が流れているのだったな」
「……はい」
「我との子が欲しいか? ん? 雷と氷は相性がいいやもしれん。案外、術の才能のある子が産まれてくるやもしれぬ……しかし、そうはさせぬぞ? 我は、それなりの身分の相手としか子をもうけないと決めているのだからな。残念、残念だったなあ――子がいれば成り上がれたかもしれぬ。故郷の敵討ちも、できたやもしれぬのにな! 悔しいだろう、氷術の才能もろくになく、賤しき出自の無能な女よ!」

 私を罵りながら、どんどん、どんどん雷帝は興奮していく。……こういう趣味の、ひとなのだ。

 ……痛い。早く、終わってほしい。

 かりにも権力者の妃として不適切だとわかりつつも、思う。
 遊女が羨ましい。
 彼女たちは、その報酬として金銭を受け取れるのだろうから。そしてその金銭で、私よりはまだ――未来を描けるのだろうから。

 ……雷帝との子がほしいなどと、微塵も思わないけれど。
 でも。だから。
 私は一生、雷帝の欲望のはけ口となるだけ。

 翡翠でできたお城に閉じ込められて、どこにも行けずに――老いて、いずれはだれにも忘れられて、死んでいくだけ。

 ……普段は懐にしまっている黒い羽は、雷帝に呼ばれたから、部屋の引き出しにしまってきた。
 部屋に戻ったら、私は真っ先にあの羽を取り出して、胸に押し当てて羽の存在を感じとるだろう。
 彼の髪の毛のように艶めいてぬくもりを感じるあの羽は、いつのまにか私のおまもりになっていた。

 あの日、彼に会ったとき、なぜだか他人のような気がしなかった。
 そんなわけないのに、もっと前から……知っていたような、気がした。

 あのひとは、ほかのひとたちと何かが違った。……澄んで、力強かった。

 あのひとは、いまどこでどうしているのだろう。
 しばらくは翡翠郷に留まると言っていたけれど。
 もういちど、また――会いたい。後宮から出られない私は、探しに行くこともできないけれど――。