「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい。塾終わる時間に連絡ちょうだいね」

 はーいと返事をして、玄関を開ける。


 起きたら寝汗でびっしょりだったけど、体にも和桜への想いにも特に変化はなかった。

 あれはただの夢だったのか。それとも。
 どっちかは分からないけど、結局何もなかったんだから、良しとしよう。


 校門の手前で、想い人の後ろ姿を見かけた。見るだけで幸せになれる、茶色のショート。

「和桜、おはよ」
 振り向いた彼女が、珍しくペコッと一礼する。


「ああ、文葉さん、おはようございます」

 声色が違う。表情も、言葉遣いも、何もかもが違う。

 まるで、ただの部活の先輩と後輩のような距離感。


「さ、寒くなってきたわね」
「ホントですね、外でマラソン大会の練習とか辛いです。あれ、今日体育あったかな?」

 スマホを出そうとした彼女が、ポケットから何かを落とす。
 見覚えのある、くすんだ色の、青い切符。


「……ねえ、落としたわよ」
「あ、ありがとうございます」
 友好の色のない彼女の目を覗きながら、私は全てを理解した。



 ああ。そうか。
 あの狼が言ってたな。

 「断っても構わない。それならそれで、別の人間のところに行くだけだ」

 行ったんだ。この子のもとへ。
 そして彼女は消したんだ。私への想いを。



 私はいつも頭が足りなくて。公式を覚えたって、赤本を捲ったって、肝心なことはこんな状況にならないと気付けなくて。

 彼女はきっと、私を想ってくれてたのに、私は脅えてばかりで、踏み出すことすらできなくて。彼女も私のように苦しんで苦しんで、そして港で流したんだ。

 勇気を出せば良かった。私からアプローチすれば良かった。好きって、言ってあげれば良かった。

 巡るのは、後悔。そして、謝罪。悩ませて、悲しませて、忘れるなんて辛い決断をさせて、ごめんね。和桜、ごめんね。ごめんね。



「……えっ、どうしたんですか、文葉さん」
 涙を零す私の顔を覗き込んだ彼女は、どうしようかと狼狽する。

「ごめんね、大丈夫!」
 両手でパンッと頬を叩く。



 大丈夫よ、和桜。今度は私が頑張る番。
 卒業まで日はないけど、全力で貴女を振り向かせてみせる。
 それが想いを流さなかった私にできる、一番の罪滅ぼし。




「ねえ、和桜! 今度の休み、一緒に出掛けない? チケット余っててさ!」

 私はとびっきりの笑顔で、彼女が観たがっていた映画のサイトを見せた。

 <了>