「ごちそうさま」
 タイミング悪く夕飯も唐揚げだった。2食連続の鶏肉を食べ終え、シンクに運んでいると、母が席を立とうとする。

「お茶淹れようか?」
「ううん、今日はいいかな」
 俯きながら階段を上がり、自分の部屋へ。

「ふう」
 倒れ込むようにベッドに突っ伏す。
 脳内を巡るのは、帰り道からずっと考えていた、あの子のこと。



 いつから好きでいたんだろう。もともと後輩として可愛がっていたのが、いつの間にかそこに別な想いがないまぜになって、気が付けば日々のチャットトークすら愛おしくなる日々。

 中学のときから「男子しかありえない」というタイプではなかったから、自分自身に驚くことはなかった。襲ってくるのは、中学から変わらない、恐怖。バカにされたらどうしよう、そして、拒絶されたらどうしよう。


『女子 同性 好き』


 スマホを叩き、何十回と見た検索結果からサイトを覗く。『変なことではありません』『まずはそんな自分を受け入れること』という通り一遍の解説と、質問箱への励ましの回答。言うべきか黙っていた方がいいのか、毎日毎日悩んで、辛くて、心が沈んでいる学生への処方箋なんて一つも載ってない、表層の馴れ合い。

 もう大学生になろうという18歳だし、授業でLGBTのことだって習った。それでも、何かの弾みで秘密が漏れたら、私を抜いた友達同士がグループトークで下卑たネタにするのは想像に難くない。好奇心のアンプで、噂話という名のスピーカーは誰彼構わずあることないこと吐き出すだろう。

 それくらいなら耐えられる。あと5ヶ月で卒業だ。
 怖いのは、和桜。


 彼女に困った顔をされたら。対応を面倒がられたら。距離を置かれたら。自分が一歩進んで相手が四歩下がるくらいなら、今の関係でいいじゃないか。今だって楽しいんだし、特別なことを求めなくたっていいじゃないか。そんなこと、奥底じゃ思ってないくせに。


「…………ふっ…………うう…………」

 毛布を顔に当て、声が漏れないようにし、必死に涙を吸わせる。誰よりも近づきたいのに、受け入れてもらえる確証もないままに飛び込むことが出来ない。日和見と打算を知ってしまった自分が、まっすぐにぶつかれない自分が、やけに卑しく思えて、嫌になってくる。


「映画、この時間でいいかな? あ、でも、もし友達からも誘われてたりしたら、そっちで行っていいんだからねー!」

 優しい先輩の仮面を被って画面ショットを送る。気遣いに見せかけた、確認。自分を選んでくれるといいなと願いを込めた、勝率の高そうな賭け。


「……やだな」

 こんなときでも彼女からの幸せな返事を期待する自分が、繋がりたいと思っている自分が、やけに幼く思えて、心底嫌いになっていく。



「ちょっと文葉、どこ行くの、こんな時間に」
「散歩と買い物」


 短針がゆっくり下山を始めたころ、あてもなく外に出た。家にいたら、あのままモヤモヤを涙に変え続けて、やがて干乾びてしまう。


「さ、む、い、ね」

 寂寥感を紛らわせるように呟いた後、イヤホンをから流れる大好きな曲を口ずさむ。夜ふらっと歩けるのは、街灯と警察の巡回の多い田舎町の特権かもしれない。

 駅の反対側に行かなければ飲み屋もない住宅街で、白線がぼんやりと照らされている。時折自転車とすれ違うけど、小声でなら歌える。半径3メートルは私だけの世界だった。

 ふと見上げたマンションの上層階、ポツンと明かりがついている。恋人同士で楽しく語らっているのだろうか。勝手に妄想して、勝手に嫉妬する。



 男が嫌いなわけじゃない。そっちを選んだ方が、順当な恋愛っぽくなって、世間の目も気にせず付き合えるだろう。

 でも私はそうなれなかった。悪くないな、なんて思う男子もいたけど、和桜と会った日から全部吹っ飛んだ。顔も髪も声も手も指先も話し方も雰囲気も笑顔も、心の底から愛しく思えて、今はそのことにこんなに苦しめられている。


 卒業する前に告白した方が良いだろうか。そうそう、どうせダメでも大学に行ったら会えなくなるんだ。うまくいけば万々歳、ダメでも逃げればいい、逃げてキャンパスでまたステキな人を見つければいい。こんな良い方法ないじゃないか。

 でもそれは和桜に対して失礼じゃないのか。自分が一番傷付かない方法だけを考えるなんて、それは本当に彼女を好きだと言えるのか。

 いいんだよ、恋愛は元来、利己的なものなんだから。誰だってイヤなことに正面から向き合いたくないんだ。


「あーもうっ! どうしようかな!」

 わざと明るく叫んでみた。夕飯で出たポテトサラダみたいなグチャグチャの心に、がなり声は良く似合う。何を買うわけでもなく、重い足取りで帰路について、現実から這い出るように眠りについた。


 ***


「今日急に小テストがあって! ふーさん、櫻井先生って抜き打ち好き過ぎません?」
「ああ、櫻井先生は去年もそうだったなあ」

 懐かしい授業を思い出して首を振った。今日は塾がないので、放課後近くのカフェでマキアートの糖分補給。

「あと、あの先生、ちょいちょいイントネーションおかしよね」
「分かります! 『赤ちゃん』のこと『牛丼』と同じイントネーションで言うんですよ!」
「なんで牛丼なのよ」

 単語のチョイスがおかしくてクックッと笑う。「はえ? 変ですか?」と首を傾げる彼女の仕草が、私の視線をどこへも行かせない。

「そうだ、和桜。映画、この席でいい?」
「ん、どれですか?」

 顔を寄せる白帆。ライチのような華やかな香りが、鼻に遊びに来る。顔が近づくだけで、幸福感にむせ返りそうだった。


「わっ、良い席ですね!」
「じゃあ、チケット買っておくわね」
「やったあ!」
 彼女が、パアッと幸福を散らすように笑った。

「ふーさん、いつもありがとうございます!」

 ほら。その顔が、その笑顔が、いつも私を縛り付ける。

 当たって砕けろで想いを伝えようとするたびに、諦めて別の人を好きになろうとするたびに、光を纏う素敵な表情を見せて、離れることを許してくれない。麻薬のように彼女の虜で、だからこそ一緒にいるのが苦しい。

 彼女は私を頼れるお姉さんとして見てくれているかもしれないのに、私はてんで違っていて、色恋の感情を抜いて彼女に接することができない。そのボタンの掛け違いに、心に波を立てる隙間風が吹き込む。


「えへへ、楽しみにしてますね! 楽しみ楽しみ!」

 堪らなく嬉しそうに、いつもの鼻歌を奏でる。もう何度も何度も聞いて、一緒にハモれるくらい。

「うん、私も」

 精一杯の笑顔を作って、カップを一口啜る。蛇腹に折れて水に濡れたストローの袋は、なんだか自分によく似ているような気がした。