「はい、佐藤くん。今日も行ってきますのチュウをしようねー」

 ノリノリな白川結奈にキスをせがまれ、俺は渋々了承する。
 拒否はできない。今、俺は養われの身だし。

「もうぉー。何を暗い顔をしてるんだ。一緒に頑張ろう!」
「本当にこんな生活でいいのかなと思ってさ」
「いいんだよ。お外は危険だもん。いっぱいいっぱい害虫が居て、佐藤くんをボロボロにしちゃうんだもん」

 だからね、と呟きつつ、俺の肩をガッシリと掴んできて。

「佐藤くんは、私の為だけに生きてくれたらいいんだよ」
「白川の為だけに生きたらいいの?」
「うん、そうだよ。私がお金を稼いでくる。佐藤くんは、私のおかげで生かされてる。その関係で良いんだよ。ずっとずっと」

 俺は白川の為に生きたらいい。白川の為だけに。

「良い子にしてないとダメだよ。私以外の誰かが来ても、絶対にドアを開けたらダメだよ。悪い人ばっかりだからね。分かった?」

 コクリと首を動かすと、白い肌を持つ彼女はニコリと微笑んだ。

「それじゃあ、今日もお仕事頑張ってくるから。寂しくなったら、いつでも電話を掛けてきていいからね。じゃあね」

 仕事を辞め、白川結奈に養われ始めてから半年が経った。
 養って貰う代わりに、俺は一つの誓約をすることとなった。

『私が佐藤くんを幸せにするから、佐藤くんが私を幸せにしてね』

 俺が差し出せるものなら全てを彼女に明け渡し。
 逆に、彼女も俺に差し出せるものなら全てを渡す。
 これが俺と彼女の約束で、何よりも俺たち二人を結ぶ契約だ。

『今日もしよっか? 拒否権はないよ。佐藤くんには』

 毎週金曜日と土曜日は子作りデー。
 何度も何度も身体を重ねたけど、彼女は赤子を孕まなかった。
 検査機の結果を見る度に小さな声で、涙を流しながら。

『どうしてかな……? 二人は結ばれたはずなのに……どうして?』
『あの女がまた邪魔してるんだ。もう死んだはずなのに……』

 日に日に苛立ちを増していく白川結奈を見るのは辛かった。
 彼女の笑顔が見たかった。俺はひたすらに考えて一つの結論を導き出した。

「俺と結婚しよう」
「け、結婚してくれるの? こんな私と? 本当に良いの……?」
「もう今の俺に差し出せるものはこれしかないんだ」
「うん、私も結婚したい。佐藤くんと結婚したい」
「婚約届を取りに行かないとな……」

 俺が呟くと、待ってましたとばかりに白川が見せてきた。

「じゃじゃーん。もう実はあるんだー。ずっと私も次のステップに進まないとなぁーって思ってたからさー」

 婚姻届に名前を記入すると、彼女はさらっと自分の名前を書いた。『白川結奈』とはっきりと丁寧な字で。でもその後、直ぐにコーヒーを溢したと言われ、書き直しして欲しいと頼まれてしまったけど。何はともあれ、俺は世界一の幸せ者だった。

 結婚生活が始まり一ヶ月が経過した。遂に嬉しいことが起きた。何と最愛の妻が妊娠したのだ。

「待望の赤ちゃんだよ、一樹くん。嬉しいね、私たちの子供だよ」
「あぁ……結奈。ありがとう、俺の子を孕んでくれて」

 俺と白川はお互いに下の名前で呼び合うようになった。
 ただ結奈と言う度に、何か懐かしさがあるのはどうしてか。

「ううん。感謝なら私の方だよ。あー楽しみだなぁー。早く会いたいよ」

 優しく自分のお腹を撫でる白川結奈に対し、俺は率直な意見を伝えた。

「なぁー。やっぱり家族に報告するべきじゃないかな?」
「意味分からないよ。二人だけで良いじゃん」
「いや……やっぱり子供ができたなら報告ぐらいはさ」
「一樹くんは家族を選ぶんだね。捨てるんだ、私を」
「いや……捨てるとかじゃなくて」
「なら、もう良いじゃん。私だけをずっとずっと見ててよ」
「実はさ……母親から電話が掛かってきてるんだ。だ、だからさ——」

 言い訳がましいと思ったのか、白川結奈は冷淡な口調で。

「スマホ、貸して」
「んっ?」
「早く、渡して」

 怖い顔で睨まれたので、手を差し出される。スマホをここに置けとの意味らしい。渡さないわけにはいかないと直感し、俺は渡すことにした。

「良い子良い子。佐藤くんは全然悪くないよ。悪いのは姑さんだよ」

 俺の頭をよしよしと撫でた後、白川はスマホを床に投げつける。

「し、白川……な、何やってんだ?」

 言葉を掛けるも完全無視。一度集中すると、結奈は全く言うことを聞いてくれないのだ。

「幸せになるんだ。佐藤くんと一緒に……幸せになるんだ」

 手元にあった木製の椅子を持ち上げ、スマホへと何度も叩きつけた。

「誰にも邪魔させない。ここまで来たんだもん。だから、絶対に」

 私の幸せは誰にも壊させない、と彼女は小さな声で呟いた。
 液晶がバキバキに割れたスマホを手に取り、振り返ってきた。
 まるで、大将の首を討ち取ったかのように無邪気な笑みを浮かべて。

「安心して。私たちの幸せを壊すものは、全部私が消しちゃうから」