「ねぇー佐藤くん。真剣に掃除してる?」
「してるけど……寝不足なんだよ」
「私一人でするから寝てなよ。昨日も遅かったでしょ?」
「白川一人にさせるわけにはいかないだろ」
「私一人にさせた方が早く終わると思うんだけどなぁー」

 土曜日。白川の宣言通り、本日は俺の部屋掃除になった。
 午前中から働き詰めなので、お昼までには終わりそうだ。

「はぁー。疲れたぁー。やっと終わったなぁー」
「私のおかげだね。私が居なかったらずっと汚かったよ」

 反論したいが、その通りだから何も言い返せない。
 白川が次から次へと的確な指示を出してくれたのだ。
 こっちは私がするから、あっちは佐藤くんがするんだよと。

「あ、そうだ。お昼にしよ。今日はサンドイッチを作ったの!」

 白川は料理上手だ。数日間一緒に生活していたわけだが、毎日三食作ってくれた。今までコンビニ飯やカップ麺を食ってきたので、手作り感満載な味が俺の胃袋を掴んだと言っても過言ではない。

「ふふふ。もう佐藤くんー。慌てて食べなくてもいいんだよ?」
「白川が美味すぎるものを作るから悪いんだよ」
「て、照れるじゃん」
「何か料理が美味くなる秘訣とかあるのか?」
「愛情だよ」

 白川ははっきりと答えた。その後、薄らと笑みを浮かべ、心底幸せそうに。

「佐藤くんが美味しいって言ってくれるのを想像して作ってるの」

 長い沈黙。時々、白川結奈は大胆な発言を述べてくる。まるで、俺に気があるみたいに。

「モテない男をからかうのはやめてくれ」
「本気だよ。私、佐藤くんのこと好きだよ」
「ほらまたからかう。やめてくれ」
「もうぉーこっちは本気で言ってるのにー」

 唇を尖らせた後。
 あ、そういえばと思い出したように呟いて。

「これってさ、なぁーに?」

 白川が掴んでいるのは透明な瓶。その中には白い粉がある。
 掃除中に見つけたと言うが、見覚えが全くない。

「そっか……佐藤くんも知らないんだ。もう捨てていい?」

 ゴミ袋へと入れようとする白い手を、俺は思わず掴んでいた。

「だ、ダメだ!!」
「えっ? 何か大切なものなの?」
「わ、分からないけど……た、大切だと思う」
「ふぅーん。佐藤くんが言うなら仕方がないね」

 ポイっと投げ捨てるように、白川は瓶を渡してくれた。

「白川、今までありがとうな。俺は十分幸せになったよ」

 部屋掃除は終わった。もうこれで俺たちの奇妙な関係は終わる。
 そう思っていたのに。

「何辛気臭いことを言ってるの? これからだよ」
「これから?」
「うん。まだまだいっぱい幸せにしてあげるね」
「俺は何も返せないと思うが」
「返してくれなくても大丈夫だよ。側に居るだけで十分だから」

 というわけで、と彼女は呟いて。

「今からデートに行こうよ。ちなみに拒否権はありません」
「えっ……? い、今から?」
「うん。そうだよ、社会人は休みの間に遊びまくるだよ」
「はぁー。家でゆっくりと過ごしたいんだが」
「と言いながら、毎日家に籠るタイプでしょ?」

 簡単な身支度を終わらせると。
 玄関前の鏡で容姿を確認していた活発女が不満を漏らしてきた。

「早くー早くー女の子を待たせちゃダメなんだぞ」
「急遽決められたんだが?」
「人生ってのは何でも唐突に起きるんだよ」

 白川に腕を掴まれ、強引に外へと連れ出された。
 駅前を散策し、気になった場所を見て回るのだと。

「クレープとかどうかなー? 美味しそうじゃない?」

 やれやれと頭を掻く陰気臭い俺と、太陽にも負けない笑顔の彼女。

「今日は一段と元気だな」
「佐藤くんと初めてのデートだからね。とっても嬉しいもん」

 それにね、と付け加えるようにもう一度呟いて。

「佐藤くんと邪魔な女との思い出を全部捨てられたんだもん」
「思い出……? 邪魔な女? どんな意味だ?」
「ごめん、声に出てた? 佐藤くんのこと大好きって意味」

 問い質そうとしたが、完全無視。
 あーあっちのケーキ屋さんも美味しそうだよーとか、佐藤くんが好きそうな中古本屋さんもあるよーとか言われてさ。でも楽しかったし、それでいいや。別に気に留めるほどのことじゃないと思うし。

 欺くして、俺と白川結奈の関係は段々と深まっていった。
 毎日三食愛情が篭ったご飯を食べさせてもらい。
 お互いの休みの日には、デートに出かけたりもした(強制)。
 一見順風満帆な人生を歩んでいると思われるかもしれないが。
 仕事に置いては、俺の無能っぷりがここぞとばかりに発揮された。

「おい、佐藤!? お前は何度言ったら分かるんだ。このバカが!」
「簡単な仕事もできないんじゃ、社会人失格だな」
「お前の代わりなんてな、誰でもできるんだよ。この給料泥棒が」
「学生気分で仕事やってんじゃねぇーよ。さっさと辞めろよ、無能」
「え、てか。どうして仕事来るの? 何も生み出せないのに」

 上司の罵倒は日に日に増していく。言い返す気力も勇気もない俺の心は蝕まれていく。自分にも向いてないと自覚していたものの、五年間続けた仕事。

 今更転職など無理な話だ。そう諦めていた頃、遂に最後の日が訪れた。

「佐藤一樹くん、キミに頼みがある。自主退職して欲しい」

 社長からの呼び出し。何だろうかと思い、扉を開いた瞬間にこれだ。
 何か悪いことでもしたのかと思いきや、まさかの反応である。

「これは社員全員の総意だ。是非とも会社を辞めて欲しい」

 言われる通りに辞表を出した。自分でも向いてない職業だと思っていた。
 元々現実逃避したいからこそ入った業界だ。
 あれ、何から逃げたかったのだろうか。もう思い出せない。
 別に何かをするわけもなく、ただ街をぶらぶらと歩き、夕暮れ時になる頃に、帰路へと着いた。

「今日は早かったんだね。おかえりー、佐藤くん」

 見計ったのかのように、白川が玄関から出てきた。エプロン姿で、尚且つお玉を握っている。何か料理でも作っていたのかもしれない。

「どうしたのー? 元気ないけど……って、ええ。仕事辞めた?」
「俺は無能だから周りに迷惑ばかりかける?」
「どうせ、白川だって、俺のことをバカにしてるんだろって?」
「バカになんてしてないよ、私は本当に佐藤くんの大好きだよ」

 白川が抱きしめてきた。物凄く温かく人間味に溢れていた。

「佐藤くんは悪くないよ。全然悪くない。生きてるだけで価値がある」

 だって、私の生きる意味だもんと言い、隣人は腕に力を入れてきた。

「どうせ、口だけで何もできない? そんなことないよ」
「なら、証明してみろって、本当に良いの?」
「もう訂正は無しだよ。後から何か言うのは、絶対禁止。約束できる?」

 俺が首を振ろうとしないので、無理矢理コクコクと動かしてきた。
 その後、ニタァと笑みを浮かべ、子供をあやすように俺の頭を撫で。
 終いには——。
 俺はベッドへと押し倒され、身動きが取れなくなっていた。
 お腹の上に跨る下着姿の美女。俺の初恋相手。
 事前準備を怠らないのか、勝負下着らしい黒紫色のブラとショーツに履き替えた妖艶な彼女は一際上気した顔で、少しずつ俺へと迫ってきた。

「頑張ったね。辛かったよね。今からいっぱい癒してあげるね」

 その宣言通り、彼女は極上の楽園へと連れて行ってくれた。

「うふふふ。いっぱい出しちゃったね。イケナイ子だね」
「……妊娠確実だと思うよ。生に出したのはマズかったかな?」
「でもさ、私たちは結ばれる運命だもん。先でも後でも一緒だよね。それに赤ちゃんできたら……佐藤くん、もう逃げられないし」
「愛してるよ。だからさ、佐藤くんももっと愛して」
「ずっとずっと二人は一緒だよ、どこまでもどこまでも」