赤、青、黄色。色とりどりの薔薇の花弁が体育館に舞う。皆は演出だと思い、歓声を上げて拍手を木霊させる。
でも、僕と彼女だけは知ってるんだ。舞う薔薇が演出じゃないことを。この薔薇は彼女の命の花弁だということを。体育館に木霊する拍手の嵐は、彼女がここにいないということを肌に感じさせる。
死ぬ間際に五回だけ動いた彼女の唇。なんて言ったかは聞こえなかったけど、僕には分かる。 ズルいじゃないか、言うだけ言って逝ってしまうなんて。僕はまだ彼女に言えてないじゃないか。
彼女の命の花弁は体育館の空を踊って、泣きじゃくる僕の手ひらに、はらりと舞い落ちた。慰めるように優しくのった花弁は少し萎れていた。萎れた花弁を強く握り締めて、いなくなってしまった彼女を忘れないように胸に寄せる。僕の心臓は、ドクン、ドクン、ドクン。と波を寄せては引き返していた。
丸めた紙をもう一度開いた時のように、顔をぐちゃぐちゃにして、僕は嗚咽を漏らしながら泣く。
『……泣かないで』
耳をつんざくほどの拍手と歓声の中、聞こえるはずのない彼女の声。君を探そうと俯いていた顔を上げても、そこにもう彼女はいない。頬には涙だけが走る。
天高く花となって舞い上がってしまった、彼女をこの世に繋ぎ止めておく花瓶は見つからない。声を荒らげて彼女の名前を呼んでも返事はかえってこないんだ。
「おい音成、音声は止まってるぞ。早く終わりの言葉を言うんだ」
幕の袖から実行委員の林が、泣きじゃくって終わりの言葉を忘れた僕に幕をおろすように指示を飛ばす。
無責任じゃないか。僕一人にこの幕を閉じさせるなんて。約束したじゃないか、それまでは私ここにいるよって。何満足しちゃってるんだ。まだ僕達の舞台は続いているんだ、誰が空に行っていいと言ったんだ。
行き場のない彼女への怒りだけが心に積もっていく。ぽっかりとクレーターのように空いてしまった虚しさは立ち上がる力さえも抜けさせて、壇上に膝をつくことしか許してくれない。
徐々に舞っていた花は消えてゆき、生徒の目線は泣きじゃくることしか出来ない僕に降り注ぐ。何故、泣いているのか分からない生徒はさっきと違ったざわめきを声から漏らす。
「え、何。なんで泣いてるの?」
「おい、あいつなんで泣いてるんだよ」
ステージの下から聞こえる困惑の声。壇上から聞こえていても、涙が止まってくれることは無い。制服の裾で拭っても、ただ制服が湿っていくだけ。
『あはは、顔べちゃべちゃだ。ほら、早く締めないと。私の人生が終われないよ』
「無責任に……逝っときながら何偉そうに言ってるんだよ」
頭に響く彼女のおちゃらけた声。いつも、どこか少しだけ偉そうで物言いがお嬢様のような彼女。でも、それは僕に勇気と一歩を踏み出す機会を与えてくれる。その証拠に、今も僕は涙が止まり前を向けていて、口を開いていた。
「……これで、アングレカムに詠うを終わります。ご清聴ありがとうございました」
「あ、琴!今日もお弁当作ったから! 机の上に置いているから、それじゃ、父さん行ってくるな!」
「うん、行ってらっしゃい。父さん」
慌ただしく家を出ていく父さんを僕は見送る。シワがよって、年季の入ったスーツは父さんのキャリアの積み上げを表していた。バタン、と閉まった扉を数秒見つめてから、机の上にあると言われた弁当を通学カバンに入れ、家を後にする。
父さんはいつも僕の出る時間に合わせている。理由を訪ねてみたらギリギリまで家族の時間が欲しいとの事だった。しかし、それで遅刻などしてしまったら元も子もないのだが。 子煩悩な父を少しだけ憂いながら、眩しく光る太陽に目をやる。
今日も気温は最高気温を更新したらしい。毎日、最高気温を更新するとは一体どういうつもりなのだろうか。たまに更新するから、特別感が出るというものなのに、こう毎日も更新されたら友達と会話することがなくってしまうだろう。まあ、友達はいないのだけど。
そんな寂しい事を考えていると、肩に誰かの腕が当たる。
「あ、ごめんなさい! 怪我ないですか?」
「はい、ピンピンしてます。そっちこそ怪我してませんか?」
「私、頑丈なので! って、その制服、同じ高校じゃん! さらにネクタイの色も赤! 同学年だ!」
「あ、本当だ。同じ高校じゃん」
僕が通っている高校は、男子はネクタイの色、女子はリボンの色で学年がわかるようにされていた。彼女が、腕を通していた制服は紺色のブレザーで、首元には赤のリボンがぶら下がっている。赤のリボンは、赤のネクタイを付けている僕と同じ学年である証拠だ。
それにしても、華奢な体型だな。モデルのようだ。髪の毛も黒色で制服が綺麗に映えている。
「あ、私は月海紅葉! あなたは?」
「音成琴。 初めましてで、失礼かもだけど、同学年なのに一度も見たことないや。転校生?」
「……音成琴。 あ、ううん。私ね、転校生というか、この二年間休学してて今日からまた登校再開なんだ。それで浮かれて走ってたら、君にぶつかっちゃって」
「あ、そうなんだ。浮かれるのも当然だね」
少し恥ずかしそうに言葉を紡ぐ、君の面影をそんな遠くない昔に見たことがある気がするけど、きっと気のせいだろう。
僕は二年間も休学してて大丈夫なのだろうか?と疑問に思ったが、聞かれたくない理由だった場合、それは彼女の心に土足でズガズガと非常識にあがることになってしまう。出かけた言葉にコルクをする。
「うん。あっ!そうだ。どうせ、同じ高校なんだし、一緒に登校しよう?どうせ、行くところは同じなんだし」
「まあ、いいよ」
誰かと登校するのが久しぶりな僕にとって、横に並んで歩く彼女はあまりに非現実的な存在だった。
「いつも一人で登校してるの?」
君は、失礼だと思ってもいない表情で質問を投げかけてくる。
「毎日一人だよ。毎回アイツが登校のお供さ。たまに消えるけど」
僕は、青空に上がっている太陽を指差す。いつも、登校する時はアイツが着いてきてくれる。登校のお供はアイツだけ。
でも、たまに雲で隠れてしまうから、その時は本当に一人登校。
「.........?」
「今言ったことは忘れて。何も無かった、いいね?」
「うーん、無理! 忘れることなんて出来ない!よって、諦めてください!」
頭の上に、はてなマークを乗せて首を傾げる彼女。僕は、変なことを言ってしまった。と思い、忘れてくれと言うが、彼女は胸の前でバツ印を作って要求を拒否る。
こんなことなら、冗談なんて言わなかったら良かった、と思うが時すでに遅し。彼女の頭の中には、僕の冗談が刷り込まれてしまっている。
「もっと、ましな断り方なかった?」
「多岐にわたる道の中から、選出された断り方です」
「言葉選びは美しいけど、断り方は美しくないね」
「君もなかなかに辛辣だね」
「相手が殴ってきたら、殴らないと」
「正当防衛ってやつ?なら、仕方ないかぁ」
学校に向かうまでの間、こうやって誰かと顔を合わせながら登校したのはいつぶりだろうか。思い出せないほど前、ということはかなりの年月、僕は一人で登校をしていたのだな。
肩を並べて、彼女と歩いていると周りの目線がこちらに集まっていることに気付く。視線は、学校に近づくにつれ、どんどんとこちらに向く。
モデルのような彼女と、教室で小説を一人で読んでいるような僕が一緒に登校をしているのだ。視線が集まることなんて当然の事だった。あの時は二つ返事をしてしまったが、何故こうなることを失念していたんだ。
しかし、彼女は僕とは違って視線のことなど、素知らぬ顔で堂々と肩で風を切りながら歩いていた。
「気にならないの?この視線の数」
「ん〜?気にならない。だって、どうでもいいもん」
あまりにも気にしてなさそうなので、正門の前で彼女に尋ねるとかどうでもいい、と一蹴される。
「君は気になるの?」
「いつも一人だから、こんな注目されるのは慣れてないから気になるかな」
「ふーん」
彼女は自分から聞いた癖に、心底興味の無さそうな返事をする。
僕は気になってしまう。この視線の数を。不特定多数に見られるのは、苦手になってしまっていた。視線の中には、嫌味、憎悪、哀れみ、などはない。あるのは、彼女への興味だけ。横にいる、僕は精々が玄関先の置物ぐらいの存在だろう。
「興味無さそうだね。自分から聞いたくせに」
「あはは、ごめん、ごめん」
「それは、悪いと思ってない人の謝り方だよ」
「バレた? あれ、私のクラスってなんだっけ?知ってる?」
「知らないよ。職員室に行って聞いてきたら?職員室は、靴箱を右に曲がって真っ直ぐ行ったらあるよ」
靴箱で下靴から上靴に履き替えていると、彼女は自分のクラスがどこかと聞いてくる。当然、僕が彼女のクラスを知ってるはずもない。
「うん、聞いてくるね。同じクラスだといいね〜!」
彼女に職員室までの行き方を教えると、軽快な足取りで走っていく。
同じクラスだと、騒がしくなりそうだな。と思いながら僕は自分のクラスに足を進める。
教室の扉を開けると、明らかに異様な雰囲気を放った机が僕の横に置かれていた。昨日まではなかったはずの机。嫌な予感とは、このようなことを言うのか。
窓側にある僕の席はいつも不自然に空いていた。誰か一人は座れて授業が受けれるように、いつもぽつんとそこだけが空いていた。最初こそは、不思議に思っていたがここで過ごしていくうちに、その気持ちも波にさらわれるように消えていった。
僕の頭の中には、一つの景色が思い浮かんでいた。そう、彼女が僕と同じクラスだという景色だ。騒がしくなりそうだな、と思い少しだけ違うクラスだと有難いと思っていた自分がいたが、神様はそんな考えを許してくれない。
少しだけ肩を落としながら、自分の机に座る。机の横にあるカバン掛けにカバンを掛ける。昨日まではいなかった、おかしな存在の机を見詰めていると、教室の扉が勢いよく開く。
「あっ、居た!まさか君と同じクラスなんてね〜!嬉しいねえ!」
ズカズカと一直線に彼女は僕の方へやってくる。
やはり、騒がしくなった。主に教室にいる男子達が。突然現れた、美人の存在にクラスの男子達はざわめきたつ。それと同時にこちらへの視線も集まる。
「君は本当に人の目を気にしないんだね」
「私の目は前にしか付いてないからね。周りの視線を気にすることが出来るほど、高性能じゃないんだ」
もっともらしい屁理屈をべらべらと並べる彼女は、肩にかけていたカバンを机の上に置く。椅子に座り、視線と体はこちらに向ける。
「ははは、それは面白い理屈だね」
「先生から聞いたんだ、横の席が君だって。それ聞いた瞬間に、急いで階段登って来ちゃった。こんな偶然あるんだね?」
彼女の理屈をバカにして言ったつもりの言葉も、彼女には意味が無いようで話を続ける。偶然、と言われたら首を縦に振るしかない。けれど、本当に何故こんな偶然が重なるのだ。偶然が重なることが自体が偶然だろう。
「急いで上がってきたのはいいけど、なんで左足の上靴脱げてるの?君はシンデレラ?」
「あれ……本当だ。脱げてる。どうしてだろう?」
「踵を踏んでるからでしょ。早く拾いに行きなよ、ちゃんと靴履いてね」
彼女の上靴はここに来た時から、片方だけ何故かなかった。彼女は上靴は踵を踏んで履いていた。おおよそ、急いで上がってきた時に脱げてしまったのだろう。
しかも、彼女は脱げていたことに気付いていなかったらしい。脱げてしまって靴下になった左足を見ながら、あははと口を大きく開けて笑う。
「じゃあ、シンデレラの私は脱げたガラスの靴を拾ってくるね〜!」
彼女は靴下を汚したくないのか、ケンケンパで脱げてしまった上靴を拾いに行く。
「……何言ってんだ」
僕は去り際に言った彼女の冗談は理解しようとしなかった。したら、アホになる気がして。
僕のぽつんと空いていた横に騒がしく隣人が越してきた。
「はぁはぁ……。つ、疲れた」
「そりゃ、ケンケンパだから疲れるよ。何階にあったの?上靴」
「二階の階段の下の段にポツンって置かれてた」
「そこまでケンケンパで行ったの?諦めて普通に歩けば良かったのに」
「靴下汚したらお母さんが鬼になるんだよ〜。もう怖くて、怖くて。そのせいで左足パンパンだよ」
彼女は脱げていた上靴を履き直して教室に戻ってくる。本当にケンケンパで行ったらしく、フルマラソンをした後のように息を切らしていた。
ここから二階の階段まで、向かうのは両足で歩いていくのも億劫だというのに、彼女はそれをケンケンパで達成したのだ。無駄な根性すぎる。
「怒った親はナイフよりも怖しってね」
「何それ、面白い。私もこれから使おうっと」
「使用料十万」
「たっか!このぼったくりめ!」
彼女と他愛もない話を続けていると、朝礼のチャイムと同時に先生が教室に入ってくる。
「え〜、今日はね皆さんの仲間が一人増えます。といっても、もう知ってますか。一応、自己紹介を」
少し寝癖がついた髪の毛を揺らしながら、くまがビッシリとこびついた目。僕らの担任、熊澤先生は、彼女の方に視線をやる。
彼女は、椅子から腰を上げて立つ。クラス中の視線が彼女に集まる。
「月海紅葉です。よろしくお願いします」
彼女は軽く頭を下げる。パチパチ、とまばらな音で拍手が湧く。自己紹介を終えた彼女は椅子に座り直す。
「はい。ということで今日も一日元気にやっていこう。海月は分からないことがあったら、隣人さんに頼れよ」
熊澤先生が言う、隣人さんとは僕のことだろう。視線がこちらを向いている。熊澤先生は、視線で何かを合図してくる。この視線もそういうことなのだろう。
彼女が、この教室に来たからといって一限目が始まらない訳じゃない。今日もいつのように一限目が始まる。
「ねね、君。見て、これ」
「ん?なに。って、なに落書きしてるんだ。授業をまともに受けなさいよ」
一限目が始まって二十分が経過した頃、彼女に机を叩かれる。彼女の方を向くと、教科書の偉人に落書きをするという中学生がしそうなことをしていた。しかも、絶妙な上手さで腹が立つ。
「いいの、勉強は。もう飽きた」
「飽きたってまだ二十分ぐらいしか経ってないじゃないか」
「中々だよ?二十分って。なにが出来ると思う?二十分あれば」
「えっ、そんなの知らないよ」
「アニメ見られるよ。一つだけ」
彼女は二十分しか経ってないというのに、彼女はノートを閉じて、シャーペンを机の上で転がしていた。まともに授業を受ける気がサラサラないようだ。
「見られないよ、二十分じゃ。今のアニメは長いんだから」
「おろ?アニメ詳しいの?」
「人並み程度には見るよ」
「へえ。何見たりするの?」
「例えば……。って、君の話に付き合ってる暇はないんだよ。あぁ、まだ書いてないのに消された」
彼女の話についつい乗ってしまい、まだ書き途中の板書が消されてしまった。
乗ってしまったことを後悔するが、なんかもう面倒くさくなってしまった。一度こうなってしまうと、人間はなかなかやる気が出ない。
なら、もう彼女とこの時間はずっと話しておこう。
「書くの面倒くさくなったから、君の話に付き合うよ。それでアニメの話だっけ?」
「そうそう、なんのアニメ見る?」
話に付き合うと言った時、こころなしか彼女の表情が少し輝いて見えた。窓から射し込む太陽の光のせいだろうか。
彼女と無駄話をして、一限目を潰した僕は尿を催しトイレに来ていた。トイレを終えて手を洗っていると、クラスメイトが扉を開けて入ってくる。
クラスメイトが入ってこようといつもは気はしないのだが、クラスメイトが話している内容に、僕は耳を知らないうちに傾けてしまっていた。
「なあ、今日転校してきた。月海紅葉って子、すげえ美人じゃね?」
「分かる、普通に女優レベルだよな。告白しようかな」
なんとも低俗で高校生らしい会話なのだろうか。手を洗うふりをして会話を聞いていたが、聞く価値も無い内容だった。水にさらしていた手を引っ込めて、水滴をハンカチで拭く。トイレの扉を開けて、僕は教室に帰る。
教室に帰ると、僕の机の周りに人集りが完成していた。正確には、彼女の机の周りに人集りが出来ていた。
教室には彼女に質問する女子と男子の声が混ざりあって弾けていた。どこから来たの?好きな食べ物は?など、質問は内容は様々。
僕は椅子に座りたいのに、とても座れそうにない。仕方なく僕は授業が始まるまで、黒板前で立って待つことにする。
キンコンカンコン、と二限目の開始を告げるチャイムが響き渡る。彼女の周りに出来ていた人集りは散り散りになっていく。やっと、僕も椅子に座れた。
「人気者だったね」
「君ずっと迷惑そうにこっち見てたでしょ?」
「椅子に座れないからね、迷惑だよ」
「それもそっか〜」
授業が始まり彼女との会話はここで終わる。また、ちょっかいでもかけてくるのかと思っていたが、別にそんなことはなく普通に授業は進行していった。
なんとなく、彼女の方を見てみるとそこには寝息をかいている姿があった。とても気持ちよさそうに寝ている。
僕は筆箱から消しゴムを取り出す。彼女のおでこを標的に、消しゴムを投げる。ぺちっ、と彼女のおでこに消しゴムは命中する。
「……君、私の睡眠を邪魔したね」
ムクリと顔を上げて彼女は起きる。おでこに投げつけられた消しゴムを手に持ちながら、怒りをあらわにする。
「さっき僕の授業を邪魔したからね。お返しだよ」
「……この消しゴムを半分に割ることも出来るんだよ?今、この消しゴムの生殺与奪の件を握ってるのは私だ。謝れば、この消しゴムの命は助けてやろう」
「これ、見える?」
僕は彼女が消しゴムを二つに割る動作をするが、気にも止めない。なぜならば、筆箱に予備の消しゴムがもう一つ入っているからだ。いつ、消しゴムの命の灯火が消えてもいいように、替えを持ってきている。
「なっ……!この消しゴム、消し子ちゃんを見捨てると言うのか!!」
「おい、月海。うるさいぞ、あと座れな」
「あ、はい。すみません」
彼女は演技に身が入り過ぎて、授業だというのに大きな声を上げて、席から立ち上がってしまった。先生に怒られた、彼女はしょんぼりとしながら席に座る。
「ふふ、あはは」
「笑い事じゃないよ。君の消しゴムのせいで怒られたじゃん」
「あんな演技に必死になるから悪いんだよ」
僕はそんな彼女を見ながら、笑い声を殺しながら笑う。彼女は顔を真っ赤にして、僕に文句をこぼす。
そんな彼女を見て、僕さらに笑う。彼女を怒らしてしまったことで、消しゴムは返してもらえなかったが、まだ替えがあるので良しとした。
三限目が始まる頃、腹の虫が鳴り始める。陽気な太陽の日差しが眠気を誘う。左頬は熱くなっていく。
「先生、眩しいのでカーテンしていいですか?」
「おぉ、いいぞ」
先生に許可を貰い睡魔の元になる日差しを遮断する。日差しをなくしたおかげで睡魔は消せた。けど、腹の虫はまだ鳴っている。殺虫剤という名の、弁当を食べなければ収まることは無いだろう。
腹の虫を必死に押えながら、授業を受けていると横からパリッと何かが割れたような音がした。前を見続けていた首を横に回すと、胸ポケットからクッキーをこっそりと取りだして食べている彼女の姿が目に入った。
あまりに大胆すぎるその行動に、僕は自分の目が壊れてしまったのではないかと錯覚する。
しかし、それは錯覚でもなんでもなくて彼女の口は確かにモゴモゴと動いていた。
「な、何してるの?バレるよ?」
「大丈夫、大丈夫。これ一個だけだから」
彼女に注意を促すと、一個だけだから大丈夫と言う。個数の問題では無いのだが、当の本人は個数の問題だと思っているらしい。
「個数の問題じゃないよ。学校にお菓子は別にいいけど、授業に食べるのは不味いよ」
「へっ、一度きりの人生楽しまきゃ損だよ」
「楽しみ方間違えてるよ……」
「大丈夫だって」
僕は大丈夫だと言う彼女の後ろに立つ先生の存在を、教えた方がいいのか迷ったが手遅れだろう。教えなくとも彼女は今から怒られて、呼び出しだ。心の中で手を合わせて、彼女の無事を祈ることにする。
「何が大丈夫なんだ?月海?」
「あっ、先生……。大丈夫だというのはですね、大丈夫だから言う言葉でありまして。えっと、つまり……大丈夫ってことですよ」
「後で職員室に来い」
「……はい」
彼女の言い訳虚しく呼び出しが確定する。言い訳といっていいのか怪しかったが、僕があの状況に立たされたら、同じことを言う自信がある。
呼び出しが確定した彼女は枯れてしまった花のようにしおらしくなる。頬杖をつき、上の空で授業を聞いている。
流石の彼女も呼び出しの前には無力のようだ。クッキーを食べるメンタルは持ち合わせているが、呼び出しに耐えられるメンタルは無いらしい。
「ねね、見て。偉人落書き」
机をとんとんと叩かれる。彼女の方を見ると、授業とは関係ない教科書を出していた。その教科書に載っている、偉人の顔に髭やら角やらを生やして彼女は遊んでいた。
「呼び出しされたのに、平常運転なんだね」
「当たり前じゃん。呼び出しなんてへのへのカッパだよ」
「少しは堪えていてほしかった」
どうやら彼女には、クッキーを食べられるメンタルもあれば、呼び出しを食らっても耐えられるメンタルもあるらしい。
「諦めたまえ、少年よ。私はちょっとや、そっとじゃ挫けないよ」
「そういう台詞は年が離れた上官が言うもんだよ」
「今から私は君の上官ね」
「君が上官は丁重にお断りする」
彼女が上官になったら、命が百個あっても足りない。地獄の綱渡りになる。まだ僕は生きていたい。彼女の言葉を無視して、僕は授業に集中する。彼女は暇な顔をしながら、授業を聞かずに一人遊びを続けていた。
四限目の時間が少しだけ経った頃、彼女は後ろの扉から教室に入ってきた。
クッキーを授業中に食べるという、アホの極地のような行為をした彼女は三限目が終わってすぐに先生に連行されていった。当然クラスの皆はざわついていたけど、先生が静かにするよう言ったため、直ぐに落ち着いた。
先生は事情をクラスメイトには話さなかったが、事情を知っていた僕はアホだなとしか思っていなかった。
「おかえり。かなり長引いたね」
「十分休みで終わると思ってたのに……こんなに長くなるなんて」
「そりゃそうだよ。授業中にクッキー食べてたんだから」
僕は呼び出しから帰ってきた彼女に小声で話しかける。
授業が終わったあとの十分休み。次の準備をしたり、教室を移動したり、友達と話したりする時間。大抵のお叱りはこの時間で済むことが多いのだが、彼女のやった事はその時間で収まるような内容ではない。四限目に多少ズレ込むのも当たり前といえた。当の本人は十分休みで終わると踏んでいたらしいが。
楽観的というのか、アホというのか。今日あったばっかりの彼女には驚かされてばっかりだ。
「クッキーは美味しかったよ。後味は最悪だけど」
「クッキーの後味じゃないね。ほら、ちゃんと授業受けな。今の時間ぐらいはちゃんとしなよ。さっきまでふざけてたんだし」
「うーん。それもそうだね」
四限目にして彼女は授業をまともに受けることにした。一限目は僕に喋りかけて授業を潰して。二限目は寝て怒られて、怒られたのは僕のせいでもあるかもしれないけど。三限目はクッキーを食べて呼び出し。
今日一日でも彼女は色々なアクションを起こしすぎている。しかも、そのほとんどが悪いこと。復学初日からするような行為では無い。頭のネジが飛んでしまっているのだろうか。
授業をまともに受けると言った彼女は筆箱を開けてシャーペンを一本取り出す。ノートを開き、板書を始めるのかと思いきや、シャーペンを鼻の上に乗せて鼻歌を歌い始めた。
「この歌なんだっけな〜」
彼女は独り言のように呟く。こちらをチラッとも見ている。反応しろ、ということなのだろうか。
ここで反応せずに、授業をまともに受ける選択肢と、ここで反応してちゃんと授業を受けるようにいう選択肢。二者択一か。なら、選ぶのは。
「ちゃんと授業受けな」
「君ならそう言うと思っていたよ。ちなみに、君当てられてるよ」
「おい、音成どうした具合でも悪いのか?」
「えっ!?あ、いや大丈夫です!どこからですか?」
「ちゃんと話聞いておけよ〜」
「ふふ、私を見すぎて当てられていたの気付かなかった?」
「鼻歌でこっちを見ていたのは、当てられてることを教えるため?なら、もっと普通に教えてほしいな」
「消しゴムのお返しだよ」
彼女が鼻歌を歌ってこちらを見ていたのは、僕が先生に当てられることに気付いていなかったかららしい。実際、彼女と話していて気付いていなかった。見すぎていた訳じゃない。
彼女は消しゴムのことをまだ根に持っていてお返しと、頬をあげてお返しとはにかむ。