男の子は一生懸命思い出そうとしているけど駄目なようだ。

「暗かったし、声もしなかった……」

「そっか、じゃあしょうがないね」

 子どもを問い詰めるのはよくない。僕は質問を切り上げて帰ることにした。

「あ、そういえば抱きつかれたときにいい匂いがした」

「いい匂い?」

「うん。嗅いだことのない匂い」

 なんだろう? それでもなにがしかのヒントにはなるだろう。

「ありがとう。それじゃあね」

「ありがとうございます。なんとお礼を言っていいやら」

 お母さんはさっきまでの態度が嘘のように、丁寧にお辞儀をした。長いこと忘れていたけど、お母さんってこんな感じで子どもを守ろうとするんだよな。フジコもイシュメラも……。母親のことを思い出して少しだけ寂しい気持ちになった。



 誰かにつけられているというのはすぐに分かった。太陽はとっくに沈み、今は細い新月が夜空に浮かんでいる。僕はあえて人通りの少ない通りを選んで街はずれのゴミ捨て場へと向かっている。この時間ならだれもいないに違いない。戦闘になっても迷惑をかけることもないだろう。

 二つの建物に挟まれた細い路地に入った。追跡者は屋根の上を移動しているようで月見の猫が怯えて逃げる足音がした。僕は立ち止まって怯えたように後ろを振り返る。主演男優賞がもらえそうなくらいの演技力だ。

「誰かいるの……?」

 闇は濃く、物音一つしない。だけど感じる、奴は僕の真上にいる!

 ふわりと舞い降りた何かが後ろから息を吹きかけてきた。甘い匂い……、これは何の香りだろう? ぼんやりとして気持ちよくなってしまう不思議な香りだ……。

「クッ、毒物か……」

 こんな攻撃を仕掛けてくるとは思わずに油断してしまった。僕はなんとか『修理』と『抽出』で意識を混濁させる原因物質を取り除いた。でも、そうとは知らない犯人は無造作に近づいてくる。僕の首筋に牙を立て、血を吸い取るつもりだな。

 じゅうぶんに引き付けておいて、振り返りざまに胸倉をつかんでやった。

 むにゅ。

「あん?」

 えっ!? 僕の拳が深い谷間に挟まれている。

「うわぁっ!?」

 僕は大きく後ろに飛びのき、相手の姿を確かめた。細い裏路地には背の高い金髪のヴァンパイが立っていた。赤みを帯びた瞳はじっと僕を見つめている。

「どうして『眠りの吐息』が効かないの?」