未確認につき、それは凛として刹那

 夏休み最後の日にプールに忍び込んで泳ぐなんてのは、平成最後の年としてはらしくない行為かもしれない。しかもここは北海道だ。いくら県庁所在だと言ってもお盆を過ぎれば、思わず半袖の腕をさするような寒さが始まる世界である。しかし、中学二年にもなって部活もやらず、勉強もせず、アニメと動画を謳歌するだけで冒険の一つもしないのは寂しいと思ってしまったのだから仕方ない。かと言って近くに洞窟も森も異世界への入り口もない。マチナカまで行けば地下に歩行空間はあるが、あそこは潔癖までにキレイすぎる。夜中飛び出したはいいが、特段思いつかず、そこで不意に目に止まったのが、学校の室内プール場である。
 
 
 繰り返す。本日は平成最後の夏休みの最終日の夜である。
 
 
 実の事を言うと、目に止まったのはそこに建物があったからではなく、室内プール場の頭上に何やら巨大な円盤状の建築物が見えたからに他ならない。建物ならば、途中にあったコンビニや24時間営業のスーパー、ファミレスのほうが目に入った。実際、その誘惑もあった。しかし金がなかった。中学生の小遣いでは、新発売のトレーディングカードを購入するので精一杯なのである。しかもそれは、大型ショッピングモールに買い物へ行った時、親にその購入の是非を手のひらを合わせて頭を下げ、その心情と財政状況に対して祈ることで不足分を買い集めていたシロモノであった。何を同じものを、と知らない人からすれば見えるだろうが、決して同じではない。あと同じカードは3枚は必要なのだ。ご理解願いたい。
 
 
 それはそうとしかし、それはよく見ればプールとは別物であるようだった。薄暗くぼやっとしているが、その円盤は、よく見やれば、たしかに浮いているように見えるのだ。暗いので街灯が頼りだが、いや、あれは、そうだ、たしかに、なんと浮いているではないか。
 
 
 ゆーふぉーだ。
 
 
 間抜けな声すら出なかった。すぐさま手持ちの、先々月に買ってもらったばかりの二世代前のスマートフォンで写真を取ろうとカメラを向けるがーーそこには映っていなかった。
 
 
「あれ?」
 
 
 ここでようやく声が出る。だが、カメラには幾ら角度やモードを変えても映らない。写らない。まるでそこには無いかのようであり、自分が見えていることの方がおかしい事だと言わんばかりだった。
 
 
 いや、実際そうなのであろう。
 
 
 これは所詮、中学二年生の空見であり、戯言であるとするのが不真実でありながら実は正解なのである。冷静に考えれば、果たしてそのようなものを見たと言いふらしたところで何になろう。部活もせず、勉強もせず、遊ぶ相手を小学生卒業と同時に失い、一人で読書と文芸同好会を放課後に開くような人物が、ある日突然である。ゆーふぉーを見た、未確認飛行物体だ、宇宙人だ、侵略者だと騒いでみろ。前から一人でぶつくさと喋るやつだと思ったが、やはり頭がおかしいやつだったのだと合点されておしまいである。そして、残り一年と半年に起こり得るかもしれない友人との邂逅、奇跡的なガールフレンドと言う名の彼女ができるという、ミクロコスモスレベルでの可用性ではあるが、その奇跡を希望として持ち続けることすら、そんなことを言い始めては出来なくなるのである。
 
 
 それは絶望だ。
 
 
 たとえ今見えているゆーふぉーが本物であっても、嘘であってもそれは変わらないのである。希望を残して義務教育を卒するためには、それは自分の中の思い出として置けば良いのだ。そう思い、考えをまとめると、なぜだか泣きそうな気持ちになるのを堪え、その巨大な円盤状の未確認飛行物体を目に焼き付けながらひとり、プールへと向かった。
 
 
 
 * * *
 
 
 
 プールの鍵は二箇所にある。一つは学校の職員室。これは無理である。そもそも学校の門と玄関と職員室の鍵がない。取りに行くのは現実的ではない。友達はいないが、回る頭はあるのだ。勉学ができなくとも、雑学なら大人より知っている。日常にも将来にも使えなさそうだが、自称文芸同好会部長を名乗る本の虫である以上、ある程度は利口なのだ。間違いない。
 
 
 ちなみに二箇所目は入り口床に敷かれたプラスチック製のトタンのようなものの下である。プール掃除当番の際、いつか役に立つかもしれないと紛失を装って盗んだものを隠したのだ。それがこんな時に使えるとは。実に利口である。間違いない。
 
 
「さてと、っと」
 
 
 カチャリと開けて誰もいないのに静かにこっそり忍び足。あとから考えれば、バシャバシャと泳ぐのだから忍ぶも何もない。堂々たる犯行である。
 
 
 更衣室に行き、これまた隠していた予備の水着とバスタオルのセットを取り出し、プールサイドへ向かう。そこで明かりをつけたくなったが、ふと思ってそれはさすがに怖いのでやめた。薄暗いなか泳ぐのも、背徳感が倍増して良いではないかと自分の中の何者かが鼓舞し始めたのである。正直なところ、電気がついた途端に通報なんてされてもかなわないと思ったからなのだが、これまた冷静になってよく考えれば、なんてことの無い。それこそ、侵入した時点で通報されていそうなものである。なんと頭の悪い子だろう。間違いない。
 
 
 着替えを終え、準備体操をきちっとワンセット行い、室内の温水プールにはしごを使って足から入った。利口であれば、それこそこの時点で温水であること、プールに水が張られていることに気づくべきだったのだが、気づかなかったのだから阿呆である。温かさに喜んだくらいであるから、確実なまでに間違いない。無念。
 
 
「よしっ、スタート!」
 
 
 ニジュウゴメートルをサクッとクロールで泳ぎ、壁に着くとターンして戻ってくる。やや息があがるくらいの心地よさが来る。サッカー野球テニス五十メートル走はダントツでビリのスポーツ苦手で生きてきたはずなのだが、プールだけはできた。もしかすると陸で生きるべき生物ではなかったのかもしれない。人間の生活が水中を主としているのであれば、それは友人たくさん羨望有望ガールズフレンドであったろうに。人類の進化たるや、ああ、無念。
 
 
「ぷはっ」
 
 
 五十メートル泳ぎ切った時だった。水から顔を出せば、そこには既に人が居て、しゃがんでこちらを見ていた。
 
 
 ドキリとした。
 
 
 その対するこちら側と言えば、またもや声すら出なかった臆病者なのだが、しかし、それは大人ではなくどうやら子供……よりは成長しているが、大人ではないから少女か。暗くてよく見えにくいが、年上の感じもあまりなかったので、同級生か1つ上下だろう。そう思った時に彼女によって何かライトのようなもので照らされたので、どうにも眩しくて仕方なくなってしまった。片手はプールサイドを掴み、もう片方の手が反射的にその光を覆い、その姿をよく確認しようとした。どうやら、彼女はこちらへ手を伸ばしているらしい。
 
 
「こんなとこで何してるの?」
 
 
 それはこっちが聞きたいセリフだったが、どうやら夏の夜に忍び込んだ侵入者を捜索通報するためにいるわけではないらしいと分かると、安堵してその手を掴んだのだった。
 
  
 
 繰り返すが、今日は平成最後の年の夏休み最終日の夜のことである。
 
 
 「ありがとう。いや、何って泳いでいたのさ……あっ」
 
 
 油断した。大人だ。そこに少女ひとりだと、なぜそう思い込んだんだ。施錠され、普段であれば立入禁止の管理された施設に、自分以外に居たのが同級生ぐらいだったから安心したのか。そこにはもうひとり居た。
 
 
 大人だ。
 
 
 ジャケットを肩にやって上半身がどこか光り気味なのはワイシャツになっているからか。そのおかげか否か、スーツ姿の大人の男だと分かった瞬間青ざめた。近くの荷物の方へ駆け寄り、それを手にして逃げようとした。とにかく急がないと、矢も盾もたまらずプールサイドへあがり、焦眉の急だ、と焦り急いだ。
 
 
 …………が、その声に足を止めてしまった。
 
 
「泳いでいたのか……そうか、今日は夏休み最後の日だもんな」
 
 
 僕は振り返り、相手を見据え、睨みつける。
 
 
「そんな、警戒すんなよ。大丈夫、チクったりしないから。安心しな、坊主」
 
 
 その代わりーー、と男は続ける。
 
 
「今日ここで僕らが出会ったことは秘密だ。もちろんこの()の事も。国家機密レベルで、秘密だ」
 
 
 そういうの、嫌いじゃないだろう?
 
 
 男はそれだけ言うと彼女を連れて出て行った。男に逆らえない状況である以上、それ以上何かを聞くことも抵抗することも、泳ぐこともできなかった。ただ二人が出ていくのを見送るだけだった。『気が済むまで泳ぐと良い』とは言われたが、それ以上泳ぐ気にもなれなかった。心のどこかではバレたのでは無いかと、気が気じゃなかったのだ。二人は『泳ぎたかったか?』『知り合いか?』『話していないよな』などと会話をしていたような気がしたが、正確には覚えていない。姿が見え無くなるや否や、その無き二つの影とまた出くわすのではないかと警戒を最大にしながら、早急かつ慎重に脱出して帰宅するのが最優先事項だったからだ。
 
 
 
 * * *
 
 
 
 翌日。登校日。
 
 
 転校生が来た。
 
 
 名前は明星(あけぼし)瀬都奈(せつな)。無論、昨夜の彼女だ。夏休みの宿題をすべて忘れたと白状し、怒鳴られる先生をたらい回しにされた挙げ句、小言を言われ続けながら担任と戻った教室の入り口に彼女は居た。そういえば担任が今日は忙しいとかなんとか言っていた気もしたが、そうか、このことか。
 
 
 もちろん驚いた。
 
 
 だけど、ワクワクした高揚や、ときめきは無かった。どこか無関係だと思っていたんだ。学祭とか体育祭とか。イベントや行事とかのいわゆる青春だぁ! って言う出来事は自分とは別の世界にあるものだと思ってきた。これまでそのような出来事に遭遇しなかったからと言うのもあるけど、世の中には青春が作品化されすぎて、それがどこか現実っぽくないと思っていたのが大きいと思う。だから、驚いたけど、この時はまだ自分事だとは思わなかったのだ。
   
 
 その日、クラスの中で彼女と話すことはなかった。あのプールでの出来事が噂されたりクラスの話題に登ることも無かった。ゆーふぉーの話なんて、SNSにも流れない。身近な人はみんな、転校生の話で手一杯だった。だからこそ、午前授業が終わり、図書館準備室に籠もっていた所に、彼女が来た時は本当に驚いた。
 
 
 時間は十四時前ぐらいだったと思う。
 
 
「なにしてるの?」
 
「な、何って。整理だよ。先生にお願いされてるんだ。図書室の本の整理は図書委員がやる事になっているんだけど、みんな仕事しないから。だから、鍵を貰って整理整頓してる」
 
「ふーん、ひとりで」
 
「うん」
 
「本、好きなんだ」
 
「うん」
 
「部活とかはやってないの?」
  
 
 うん。
 
 
 最後は声になっているか怪しかったし、今この活動を文芸同好会と名付けている事など、それこそ言えることではなかった。
   
 
 友達どころか、女子と話すのは久しぶりだった。
  
 
「あ、これ知ってる! イギリスの名探偵だ」
 
「そう、だね。僕も好きだ」
  
 
 彼女はなんとなく辺りにある本を手にとってオモテウラを確認するように眺めていた。その手は綺麗というより、暖かみと親しみを感じる幼げさえ感じる美しさという表現の方が相応しかろう。その黒く白い肌と対象的な、しかしそれでいてショートな耳に掛かっていた髪をそっとかきあげるその仕草は、どこかドキリとさせた。制服のワイシャツからチラリと見える首周りというのは、どうも僕を落ち着かなさせる。儚さと刹那ーーこの二語は最近小説で読んで得た言葉で、特にお気に入りであるーーがその面影から感じられる文字通りの美少女は、不純と不条理を噛み潰して純粋を貫き通す瞳をしていた。どこか先を憂いているような、そんな眼差し。
 
 
「ーーねえ、昨日会ったよね」
 
 
 昨日。昨夜。それはもちろん、あのプールで会ったということだよな。
 
 
「ゆーふぉー、見た?」
 
 
 え? たぶん声にできなかった疑問符は、それでも表情だけで彼女に僕の言葉は伝わったのだろう。続ける。
 
 
「ほら、プールの屋根の上。上に何か浮いていたでしょう」
 
「いや、でも、あれ」
 
「そう。普通は見えないの。カメラにも映らない。でも、あなたは見た」
 
「うん」
 
「名前は?」
 
「ええと、」 
 
「同じクラスだっけ? お名前は?」
 
「タケル。健康の健でタケル。鎌倉健」
 
「健ね。自己紹介聞いてたかな? 私は明星。明星瀬都奈。ええと、漢字はーー」
 
 
「大丈夫。聞いていた」僕はそう答える。「それより、その昨日って」
 
 
「うん」
 
「あれ、何?」
 
「うーんと、」彼女は指を口に当てながら、こちらを見てそう言った。人差し指が妙に魅力的に感じてしまった僕は、ほんとどうしてしまったのだろう。彼女は続ける。「説明はできない、かな。禁則事項? ってやつ? 話せるのは、私が侵略者だってこと。未来から来たのよ、わたし」
 
 
 彼女はとても美しく、可愛らしくそう言った。
  夕方。帰宅途中にまたプール施設へ足を運んでいた。円盤は昨日と変わらず、そこに鎮座していた。機械的で、無機質。未来感があると言えばそうだし、想像通りの姿だと言えば期待値以下に思える。音は聞こえず、カメラには相変わらず映らない。昨日と違うのは、まだ明るい時間なのでその全姿が見えるということくらいだ。周りに通行人はいたが、なにか異変を指摘することも、騒ぎ立てる者もいなかった。
 
 
 
 見えている僕だけがおかしいのだと、世界はそう言っているようだった。
 
 
 
「あのゆーふぉーみたいなやつ。ゆーふぉーじゃなくてタイムマシンなの」
   
 
 明星瀬都奈はそう言った。
 
「えっ、見えるの?」
 
 
 思えばこの質問はあまりにも頓珍漢め滑稽なモノだったのだが、その時の僕にとって誰かがあの“異常”を認識してくれていることのほうがずっと嬉しかった。だってゆーふぉーだぜ? 
 
  
 未確認飛行物体だぜ。
 
 
 光の反射とか、見間違いとか、鳥とか飛行機じゃない。もっと、堂々と、それが当たり前で普通であるかのように《《そいつ》》はこの日常に居座りやがったんだ。東京に現れたガ○ダムのように、創造上でのみ存在していたモノが現実に紛れもなく現れたんだ。だけど、誰も気にしない。気が付かない。あんなにもはっきりと見え、巨大で、プール施設の屋上に登れば手が届く距離にあるのに、だれも。その一方で、日が変わってもなお見えるその未確認浮遊物体は『夢じゃないぞ』と、告げていた。それが誰にも理解してもらえないなんて。誰にもわかってもらえないなんて。こんなにも、すごいことなのに。楽しい事なのに。わくわくするのに。誰も、見ちゃくれない。そんな一日をーー正確には午前中だがーー過ごしてた後である。ゆーふぉーの話をしてくれるだけで、それはもう夢のようだった。自分のことを認めてくれたようで、嬉しかった。
 
 
「そりゃね、だって私のだから」
 
「えっ」
 
 
 喜びを顔に張り付けると同時に彼女の言葉に混乱したため、おかしな表情と声になってしまった。絵に書いたような疑問符を並べる僕に、「《《あれ》》が見えるの? って聞きたいのはこっちよ。まったく。あのタイムマシン、この時間の現代人には見えないはずだったんだけど。あんた、なんで見えてるのよ」
 
 
「いや、そう言われても」
 
 
 そう言われても、見えるものは見えるのだ。不具合だと言えば、そちら側の問題では?
 
 
「そうよ、その通り。まったく、こちらの不手際っていう、そういうことなんでしょうね。それがね、報告があったのよ。あんたも昨日会ったでしょ、あのスーツの男。そうそう、それで黒服が言うには、タイムマシンを認識しちゃっている現代人がいるって言うの。いい? それは大問題なわけ。だがら、この学校? なんて言うところに転校? とか言う手続きをさせられたわけなんだから。まあ、あのプールの少年とか分かりやすい事象があって良かったわよ」
 
 
 そういうと、彼女はペン状の機械を取り出し、スイッチを入れてホログラム映像を映し出した。ここで僕の言うホログラム映像というのは、3D映像のことである。エスエフばかり読む癖に、勉強のできない阿呆であるので、虚像と実像も理解できていないのだ。まあ、中学二年生だと笑って許してほしい。
 
 
 ともかく。
 
 
 ここでいうところの、そのホログラム映像には僕が映し出されており、それはまさしく昨日のプールでの様相であった。彼女が言うにはその映像を辿った末にこの学校に辿り着き、僕への接触を果たしたのだという。
 
 
「しっかし、それにしても拍子抜けだったわ」と、彼女は、自分の調子を取り戻したロックバンド並みに続けざまに捲し立てて言った。「あんたみたいな子供だから、言いふらして回っているんじゃないかと思ったけど、全然そんな素振りないもの。そういうの、もう興味ない年頃なのかしら」
 
 
「いや、それは誰も、僕の話は聞いてくれないからでーー」
 
 ? 「なんで?」
 
 
 疑問符が先行してはみ出す彼女の問に、自分の当たり前を続ける。
 
 
「いつも、ひとりだから」
 
 
 だから、だから。
 
 
 それ以上は、理由を話せなくなってしまった。
 
 
 どうしてだろう。
 
 
 いつもひとりでいるのはその方が楽というか、気を使わなくていいとか、他人がわからないとか、合わせたくないとか、たぶんそういうのもあるだろうけど、実はそうじゃないのは自分が一番わかっている。話すことができなかったんじゃなくて話し相手がいなかったんだってわかっている。なぜ一人でいるのかって、それは、どうしたら仲良くなれるのかわからないから《《ひとりになってしまった》》“だけ”なのだ。
 
 
「まあ、いいや」
 
「誰にも言わないでね。それだけ、じゃあーー」
 
「あの」
 
 
 咄嗟に出た一言で彼女は、止まり振り返る。「何?」ってこちらに聞いてくれる。だから僕はそこで言うことが出来たんだ。
 
 
 乗ってみたい、って。
 
 
 
 
 * * *
 
 
 
 
「その、ゆーふぉー……じゃなかった、タイムマシン? に乗ってみたい。だ、誰にも言わないから」
 
「なんでよ。話聞いてた?」
 
 
 瀬都奈は呆れ半分以上で少しのため息と一緒にそう返した。
 
 
「だめに決まってるじゃない。昨日あの男が言った通りよ。国家機密」
 
「じゃ、じゃあ、誰かに話しちゃう」
 
「だれに?」
 
「いや、だ、誰って、友達とか」
 
「ふぅ〜ん?」
 
 
 なんだよ。
 
 
 そう言い返したかったが、自分で先程誰にも聞いてもらえないと言ったばかりである。いつもひとりだ、と友達がいないことを見知らぬ昨日会ったばかりの転校生に話したばかりである。認めよう。誰にも何も言えないと。しかし、直接とは限らないのだ。
 
 
「え、SNSとかに書き込むから」
 
「SNS? あぁ、そんな時代もあったらしいわね」
 
 
 まるで時代遅れだと言わんばかりだった。最先端なのに。
 
 
「ちょっと待って」
 
 
 からかい気味であった瀬都奈であったが、「SNS……」と、なにやらあれこれつぶやくと、ややあってから気を変えた。どこかへ小型の通信機ーー名称不明。携帯やスマートフォンより小さいーーを使って連絡をし始めた。しかし、国家機密だ、禁則事項だ、などと口酸っぱく言っていたのになぜ、彼女が考えを変えたのかは分からない。SNSはそんなにも強かったのだろうか。乙女心とかそんなものだろうが、次の言葉に心を踊らせたのは言うまでもない。
 
 
「いいわ。乗せてあげる。少しだけなら、見せてあげる」
 
 
 そういうわけで、未来からの侵略者こと明星瀬都奈と待ち合わせるため、まだ明るい夕方のこの時間に再び学校のプール施設前へと来ていたのであった。
 
「それで、どうだったの。ゆーふぉーの中は」
 
「タイムマシン、な」
 
「ゆーふぉーじゃないの?」
 
「いや、未確認飛行物体って意味ではゆーふぉーだろうよ。でも、瀬都奈と僕には見えるし、それが何であるか知っている。もう、それは未確認じゃないだろう」
 
「ふーん。そっか。じゃあ、何話したの?」
 
「それは、その。秘密だ。あっ、でも次年号教えてもらった」
 
「へえ、なんて言うの」
 
「そんなの。言えるわけない」
 
「僕は君の空想上の存在だ。知っても知らなくても、タイムパラドックスは起こらないと思うよ。君が知っていた方がヤバい気がするけどね」
 
 
「確かに。それは、そうかもしれない」
 
「ふふっ。冗談だよ」
 
 エデンは僕の答えに微笑んでいる。答えなんてなんでもいいみたいだった。言葉なんて何でもいいかのようであった。UFOなんて、タイムマシンなんて気にもしていないかのようだった。実際そうなのだろう。彼はいつもそうだし、そういう存在だ。
 
 
 エデンの姿は僕にしか見えない。
 
 
 明星瀬都奈にだって見ることができない。僕の頭の中にしかいなくて、現実には存在しない架空の友人。美形の顔で、さらりとした髪をしている。前髪は目線まで長いが、その優しい瞳はしっかりと見える。彼は空想上の存在だが、僕にとっては実存する本当そのものなんだ。今回の未確認飛行物体も、その想像ばかりの世界の延長だと最初は思っていた。だからある程度は諦めていたし、誰かに話すようなことでもないと、そう思っていたんだ。
 
 
 でも、今回はそういう意味では違う。空想上でも、想像上でもない。瀬都奈という共通点が確かにある。
 
 
 未確認飛行物体、unidentified flying objectの頭文字三文字でUFOと呼ぶそれは、今回の場合に限りタイムマシンである。瀬都奈が未来から今を侵略するために使用したタイムマシン。未来から過去への時間移動。明星瀬都奈の事は僕のクラスメイトも、担任の先生も、他の教職員も認識している。話もしているし、その認識に差異は微塵もない。ただ、タイムマシンとなると話は別。確認はしていないが、あれは瀬都奈と僕以外には多分見えていない。通行人という、名前の知らない第三者が指を刺さない事実がそうだと示している。実際、僕はタイムマシンに乗った。あの未確認飛行物体は存在している。触れることもできる、実在するそのものだ。だけど、第三者には認識できない。瀬都奈と僕にはタイムマシンを認識できる。第三者は瀬都奈を認識できるが、タイムマシンを認識できない。エデンの事を僕は認識できるが、瀬都奈も第三者も認識できない。これが架空上の存在、非存在だとすると、タイムマシンはより不明瞭な存在となる。架空上の存在、想像の世界における事物と言えばそこまでだが、それは同時に間違いでもある。タイムマシンの存在を否定すれば、それは瀬都奈の存在を否定することになり、瀬都奈こそが想像上の人物であるという事になる。瀬都奈という存在が偽物でなく、記憶の改竄(かいざん)出ない限り、やはりタイムマシンは存在するということになる。
 
 
「それで、あのミサイルも君の仕業?」
 
「いや、それは違うと思うんだけど」
 
 
 タイムマシン搭乗から二時間半後であった。晩飯のハンバーグを白米と共に掻き込んでいる最中、速報で入ったミサイルが東京に飛来したというニュースはあまりにもショッキングな出来事だった。また、そのミサイルの出どころがこの現代科学をフルに稼働させても解明できないというから、尚の事である。テロ行為だと言う首相と報道番組の発表は僕に瀬都奈とタイムマシンの事をすぐに想起させた。瀬都奈はあれでも自称侵略者である。それが誰かの仕業だと言うなら、僕より瀬都奈のほうが妥当で疑わしかろう。
 
 
「でも、君は今日乗ったんだろう? そのタイムマシンとやらに」
 
「うん」
 
「何か操作したのかい?」
 
「いや、特にはしなかったと思うんだけど」
 
「勇気が無かった?」
 
「覚悟なかった、かな。責任を取るだけの覚悟を持ってなかったんだと思う。興味と好奇心と冒険心に中二病持ち合わせての行動だったけど、何か動かすという度胸は無かったと思う」
 
「そうだね。君はそういう賢い子だ」
 
「でも、やっぱり」
 
「気になるかい?」
 
 
 うん。そりゃ、そうだろう。こうも現実離れしたことが続くと本当に夢を見ているんじゃないかと思ってしまう。現実ではない。僕の夢想。空想上の世界の話。エデンと会話しているその延長線上。不可思議と空想を想うあまりに産んだ、ただの作り話。その日はそう思って、電気を消した。
 
 
 瀬都奈が悪者なんて、テロリストなんて嫌だった。なぜそう思うのかはまだ分からないし、考えてなかっけど無性にそう思ったんだ。夢ならいいのに。夢じゃなければいいのに。
 
 
 だけど、現実は厳しかった。本当に、それに限る。
 
 
 
 
 
 
 翌日。
   
 
 朝になるとテレビに映し出されていたのは瀬都奈の顔だった。ニュースによれば、ミサイルを打ったテロ組織の首謀者であり、テロリストとして国際指名手配されているとのことであった。
 
 
 事態が事態、状況が状況なだけに被害も含めてすべてが深刻だった。
 
 
 学校は臨時休校になった。
 
 
 学校にはマスコミが殺到し、記者とカメラマンが殺到する前に街全体に警戒態勢が敷かれた。警察、自衛隊、黒スーツの人間。街の外からたくさんの人が来て、占領していった。我が物顔で横行し、武器や戦車が平然と歩いている。瀬都奈が悪者だと言いながら。明星はどこかと、探しながら。
 
 
 僕は家を抜け出した。
 
 
 非常事態宣言が出て、外出禁止令が出ていたけど街のことであればこちらの方に利がある。見つからないようにするなど、造作もない。そうやって、三日連続である。僕はゆーふぉーの下にやって来た。未確認飛行物体はまだそこに鎮座している。カメラには依然として映らないが、確かにそこにある。警戒する武装ヘリも、記者もスーツの男も見つけられない。見ることができない。認識できない。だけど、確かに間違いなく、タイムマシンはここにある。そして、明星瀬都奈はそこにいる。
 
 
 
 * * *
 
 
 
「明星さん、あのミサイルは君がやったの」
 
「あら、随分と素直な問いね」
 
 
 タイムマシンへの乗り方は禁則事項で、その内部はそれこそ想像に任せるしかできないほど語れない国家機密レベルで秘密である。これだけは、瀬都奈との約束だ。この約束を守る代わりに乗ることを許してくれたのだから。今日は許可もらってないけど。
 
 
「そうよ。東京のど真ん中にどかーん、ってミサイルを七発。どこまで発表されているかは知らないけど」
 
「君の名前が出てる。テロリストだって、犯人だって指名手配されてる。被害は一発のミサイルだけだって、テレビでは報じられていたけど」
 
「ふーん。タイムマシンとか未確認飛行物体って話は?」
 
「もちろん。出てない。周りもだれも認識できていない。さっき見てきたから、間違いない」
 
「そっか。それは良かった。それにしても、一気に時の人だね。わたし」
 
 
 時をかける少女、ってところかな。未来から過去へ。平成最後のこの時間を駆けるって、ね。
 
 
 彼女はおどけたつもりだったのかも知れないが、僕にはさっぱり笑えなかった。面白くなんて、ちっともなかった。
 
 
「ねえ」
 
 
 なに?
 
 
「聞いてもいいかい」
 
 
 ええ。
 
 
「なんで今年が平成最後って、知っているの」
 
 
 未来から来たからよ。正確には来年の四月まで平成だけどね。五月からよ、次の年号は。
 
 
「あ、これオフレコね」
 
「未来には“オフレコ”って言葉残ってるんだ」
 
 
 そうね。
 
 
 そう、瀬都奈は笑った。最高に美しく、可愛らしく、美少女であった。すべてが嘘に帰すかのような、そんな笑い。
 
 
「わたし、やることやったからもう帰らないといけないの」
 
 
 そっか。
 
 
 僕はそう言うしかできなかった。ありがとうって言いたかったけど、言えずに別れた。タイムマシンから降りた僕は、未確認飛行物体が動き出すのを見送っていた。徐々に上昇していく円盤はまさに想像通りのUFOだ。途轍もない、想像以上に大きな乗り物だけど、プール施設程度と言えば、意外と小さくてコンパクトに思える。僕が過大評価し過ぎなのかもしれない。
 
 
 黒いスーツジャケットを肩にかけた男に、声を二日ぶりに掛けられたのはその直後である。
 
 
「すまんな、呼びたてるようなことをして。しかし、事態は今最悪だ。急を要するのをどうか理解してほしい」
 
 
 大人の都合ですまない、と男は言った。
 
 
 男は名前を佐藤と言った。国家機密組織の世界的諜報機関に属しているのだと言う。真偽は定かでない。
 
 
「この間、三日前か。ここで会ったのを覚えているかね」
 
 
 男の誘導通り、僕はプール施設の中に入っている。ちょうどプールサイドの所までやってきて、男が止まって煙草に火を点けるのを一通り見ていたところだった。
 
 
「覚えています」
 
「そのことを誰かに話したことは」
 
「話していません」
 
「誰にも」 
 
「誰とも」
 
「いえ、」
 
 
 ややあって、続ける。
 
 
「瀬都奈とは話をしました。明星瀬都奈とはその日のことを話ました」
 
「なるほど」
 
 
 男は「そうか、それなら良いんだが」と煙草を咥えたまま、煙を狼煙のように続けている。灰を携帯灰皿で処理し、またふか(・・)す。
 
 
「最悪というのは、明星が姿を消したことだ。急を要すると言うのは、このままだと取り返しがつかなくなるということだ。手出しできなくなる。ミサイル事件ごと塗り替えられてしまう。それは我々、つまり現代を生きる人間にとって都合の悪いことだ。今すぐにでも明星を連れ戻し、あのミサイルをなかったことにしなければならない」
 
「えっ。なかった事に?」
 
 
 どういうことだろうか。素直に分からない。
 
 
「いいか。覚悟を決めて聞いてほしい。明星を、あの少女を殺すんだ」
 
 
 佐藤と名乗る男は拳銃を取り出し、こちらへ向けた。僕はただただ絶句した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 Continued.All green,cleared.
 
 
 
 
 
 Start up.
 
 
 Input the name.
 
 
 
『REIWA』
 
 
 
 Yes,Recognition!
 
 
 
 
 いつだって正義は現実に押し負ける。語れば青臭く、理想的だと鼻で笑われる。しかし、理不尽や不条理がまかり通り、それが世の中だと言われると反抗したくなるのはいつの時代も同じだ。
 
 
 お偉いさんの理屈はこうだ。
 
 
 明星瀬都奈は2052年からタイムマシンによって過去へ時間遡行し、地球外知的生命体からの攻撃から守り未来を変えるために2019年、本年の七月に来米。攻撃は現実世界、ネット世界とは異なる第三の世界なるところから開始してきたと言う。理屈も法律も科学も理解も超えた攻撃というのは、初めは信憑性・信頼性共に皆無で相手にすらしていなかったが、二週間後に現実世界の都市名機密箇所で被弾。ネット世界ではダークウェブ内部で続々敗戦。被害が出てしまっては仕方がない。瀬都奈の自己紹介を呑み込み、これまで要求に従ってきたという。しかし、相手の姿が見えないこと。超常的事象の全てに明星瀬都奈が関わっていることは確かだという事実から、愚かにも攻撃して来た侵略者は瀬都奈本人だという結論を導き出した。平成現代から敵認定を受けた瀬都奈は追われるままに姿を消した。しかし、謎の超常的第三世界からの攻撃が無くなることはなく、ネット世界を中心に悲鳴を上げていたという。そして八月最終日。後に平成最後となる夏休み最終日の夜。日本国における北の主要都市にその姿を見せた。同時に居合わせたのが僕なのだと言う。
 
 
 瀬都奈は転校という形を取ったが、あれは逃げてきたのだった。助けを求めてきたのだった。
 
 
 瀬都奈来日三日後。東京にミサイルが着弾した事と、瀬都奈が日本で姿を見せた事実によりいよいよ暗殺の命令が強くなった。しかし、現代人では手の出すことのできない第三世界という空間に手を出したくても出せない。
 
 
 そこで出された瀬都奈からの理屈はこうだ。
 
 
 人間の妄想する世界はここで云う、いわゆる第三世界に近い存在らしい。瀬都奈自身が使用している世界空間が僕の空想世界空間と近似しており、それを利用していたとのことだ。未確認飛行物体だと思ったタイムマシンそのものが見えたのはその為であると言う。今夜が最終決戦になる。だから、その日まで手を出さないで欲しいと声明があったそうだ。
 
 
 そして世界はそれを信用してなんかいない。
 
 
 大人達の策略は、それは簡単な理屈である。空想の世界からの攻撃だと言うなら、ミサイル事件そのものを空想の話、妄想そのものにしてしまえば良い。そう考えたのだ。仮に瀬都奈の理屈に則ったとしよう。瀬都奈が第三世界内部で命を落とせば、それは空想であり、現実ではなくなる。未来から現代に来た事実はなくなり、約一ヶ月の闘争そのものが虚無と化す。想像の世界で何でもできるのであれば、地球外知的生命体からの攻撃をなかったことにすることくらい造作もないだろう、と。
 
 
 それで話は第三世界への繋がりを持つ僕へと回ってきた。明星瀬都奈を殺し、全て無かったことにしてくれと。
 
 
 彼女はきっと今も戦っている。今と未来のために。あの日も戦っていた。娘の場所、プールで初めて会ったあの夜も。
 
 
 そう。
 
 
 そうなのだ。彼女はあの夜も戦いの最中だったに違いないのだ。追われた後も瀬都奈は戦っていたのである。未来のために。
 
 
 ひとりで。
 
 
 
 
 
 黒服の男、佐藤と別れた僕は第三世界へと入った。そこは白い空間で天地無用に思えた。地面を決めて認識すると、そこが足をつける事のできる平面になった。目の前に人型空想上兵器が巨大の頭身で忽然と待っていたが、それはとても当たり前のことのように思えた。最終決戦である。出撃するのならそれは間違いない。