ところが、事故から一ヶ月が過ぎた頃。仕事を終えて帰宅中の僕のスマホに、母から『仁美ちゃんが急に来て、葉一の赤ちゃんができたと言っている』という困惑したようなメッセージが届いた。

 夕方に突然連絡もなくやってきた仁美は事故のことも兄の死についても全く認識しておらず、とにかく話が何一つかみ合わないらしい。

『仕事が終わったら、早く帰ってきて』と母に言われて帰宅すると、リビングにいた仁美が満面の笑みで玄関まで飛び出してきた。そして、僕の顔を見るなり言った。

「おかえりなさい、葉ちゃん」

 真っ直ぐに僕の目を見て、嬉しそうな笑顔で。少しの澱みのない声で仁美が呼んだのは、僕の兄の名前だった。

 仁美を追ってリビングから出てきた父と母が、何とも言えない、ぎょっとしたような顔をする。驚いたのは僕も同じで。

「仁美ちゃん、その子は葉一じゃなくて、弟の蓮二よ」

 玄関に立ち尽くして顔を引きつらせる僕に、母が助け舟を出してくれたが、仁美は母の言葉に少しも納得しなかった。

「何言ってるんですか、お義母(かあ)さん。私たち、今日は仕事が終わったら二人でこちらに伺おうって約束してたんです。葉一さんと一緒に、妊娠の報告をしたくて。ね、葉ちゃん」
「仁美さん。あの、僕は……」
「どうしたの、葉ちゃん。仁美さんだなんてよそよそしい呼び方して。お義父(とう)さん達に大事な報告するから、緊張してる?」

 ふふっと笑いながら、上目遣い僕を見つめる仁美。彼女はまるで生前の兄を見ていたときような甘えたような表情で、僕のことを見ていた。